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シーボルトが愛したアジサイとお滝さん

飛鳥山公園というと桜の花見で有名ですが、「飛鳥の小径」は飛鳥山公園のふもとにあり、色とりどりの紫陽花が連なり咲くことでも有名です。

王子駅から上中里駅までのJR京浜東北線の線路沿いに咲く紫陽花たちは枯れるときには黒くくすんだ色合いとなり、季節に埋没してしまうので、なぜかしら桜が散るときのようなもの哀しさはありません。

梅、桜、ハナミズキ、つつじといった色とりどりの花々が替わり代わりに咲く新緑の季節の最期を飾るように咲き誇っていた紫陽花が散ってしまうと、いよいよ本当の夏がやってくるような気がいたします。

暑い夏の訪れを確かめるように、湿った空気の中をマスクをしてランニングする途中、息苦しくなって歩き始めたとき、ふとある看板が目に留まりました。

(看板から引用)

■アジサイとシーボルト

日本の植物をヨーロッパに紹介したことで知られるシーボルトはアジサイの仲間に特に興味を示し、彼の愛した日本での妻、楠本滝の名前をアジサイの学名、(ヒドランゲア・オタクサ)に付けたことでも知られています。

(引用終わり)

シーボルトは文政11年(1828年)に、当時、最重要機密の「国禁」とされていた日本地図その他の資料の国外持ち出しが発覚し国外に追放となりましたが(いわゆる「シーボルト事件」)、多くの博物標本や工芸品をライデン大学に持ち帰り、オランダには当時の日本の貴重な動植物標本が保管されています。

シーボルトは初夏に咲く美しい紫陽花を愛し、標本をライデン大学に持ちかえって、”Hydrangea otakusa”という学名を付けます。この"otakusa"というのは「お滝さん(おたくさ)」、楠本滝のシーボルトによる呼び名です。

シーボルトが日本から持ちかえった「新種のアジサイ」はその後、すでに学名が付けられていたホンアジサイ(Hydrangea macrophylla)と同種であることが判明したため、現在では正式な学名として"Hydrangea macrophylla var.otakusa"(ハイドランジアまたはヒドランゲア・マクロフィア・ヴァル・オタクサ)とされています。

長崎には丸山という花街があり、この丸山の遊女のみが出島に出入りすることを許されていたそうです。そうした遊女のひとりが「お滝さん」こと楠本滝でした。楠本滝とシーボルトとの間に生まれたイネは、その後医師となり、日本人初の女性産科医となったことでも知られています。

お滝さんとイネの話はおそらく誰かが本に書いているのだろうと思います。探してみて、読んだらNoteで感想を書きたいと思います。

(終わり)

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