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学園東町三丁目(おまけ)
柔道部には(柔)という記号を付けた勧誘ポスターを手書きする伝統があります。昔の小平校舎には掲載許可が必要なかったので、学内に自由にどこにでも貼ることができました。学生運動のアジビラやピースボートの広告の横に柔道部の手書きポスター。どうやって新入生を笑わすことができるか、という文芸技能を競い合う場でもありました。当時の(柔)要員にご登場願い、コロナ危機の中で「何物かを掴」みつつある現在の心境を、柴山謙治先生の歌に対する返歌という形に託してもらいました。
<同期の主将・ホイヤーことN庭>
「壇上で 惑う質疑に 顔上がる 有備で今も 総力戦」
某企業の役員として株主総会を終えて一息ついたときに詠んだ歌だそうです。有備館の「有備」には備える・準備をするという意味と文武を兼ね備えるという意味の両方があります。
<同期の副主将・K林>
「夢うつつ 一つの道のり 迷いなし」
「線を越え 我が身いずこも なお清し(すがし)」
某鉄道会社でコロナ対応の危機的状況の中、協力してくれました。「夢うつつ」や「線を越え」とは落ちてしまったときの心境なのでしょうか。あまり深くは立ち入らないこととします。
<諏訪の種馬 スタローン・ダレイワ>
「ゆびさきと きかんまもりて ころながめ」
「きかん」というのは気管と医療機関、「ころながめ」は頃眺めとコロナ亀にかけているのだそうです。新型コロナウィルスの感染症からひたすら身を守る「亀の姿勢」を「頃眺め」と掛けているところに、落研を兼部していたダレイワさんの得も言われぬ風流を感じます。
<徳島のジャイアン 鉄砲返しのT田先輩>
「筋トレとひとり打ち込みもういい頃な(字余り)」
解説付きでしたのでそのまま掲載します。
”全柔連の稽古再開指針を受けて一句。本当に大事なことは、適当に時間を区切って、スケジュールありきで経済活動を再開するのでなく、本当にコロナ対策がうまくいっていることを見極めてから段階的に活動再開を決めることだと思います。”
ありがとうございます。
<ククレカレー嬢と合コンした 世界をまたにかける商社マン・バレー君>
「色あせぬ 令和の今も 参ったなし」
"時代は変わっても、サラリーマンになっても、「参ったなし」は普遍的な価値観として自分の中には生きてるな~と”
いうことなしです。
<菊里高校の刺客 紅天女は譲れない踊る主将・カガタク先輩>
「耳はやっても 首までやらぬ 耐えに耐えたが 目ボヨンだ(都都逸で)」
”カメ立ちでよくある、腫れかけの耳に先輩が拳骨をグリグリさせながら絞め技を狙ってきた、というおぞましいシチュエーションの顛末を詠めり”
解説するだけで気分が悪くなるのでノーコメント
<ゲスト登場 中井祐樹さん>
「友と組み 東を知りて 予の始め」
中井さん率いる北大柔道部の皆さんとは1992年春に国立有備館道場で合同合宿をさせて頂きました。合宿期間以外にも、我々の道場を寝床にして、中央、東海、日大といった強豪校へ出稽古に通われていましたので、ずーっと国立にいました。ほんとずーっと。そのときの気持ちを詠んでもらいました。中井さんにとっても忘れ難い春だったのだと思います。懐かしく思います。
<堕天使⇒看護師・ヤロサイ>
「明けぬ夜の 無きとは知りつつ 不安は消えず されど三つ児と 前向き生くのみ」
非常に情感のこもったいい歌です。これだけにしておけばよいのに、調子にのってもう一句詠んできやがりました。
「あゝダービー 世紀の駿馬を観れぬ悔しさ 百年一度の コロナ禍憎し」
あまりの面白さに言葉を失います。
一応自分も一句詠みます。
「武蔵野の 松風薫る 有備館 稽古の後の 清々しさよ」
ご清聴ご拝読ありがとうございました。
(ほんとの終わり)
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