親が変わると子どもが変わる
わたしの住む地域は、先週の雨を皮切りに気温が下がり、過ごしやすい日が続いています。
…なのですが、急に気温が下がったからか、まさかのまさか、まず自分が発熱して体調を崩し、それが0歳の息子にも感染り…という事態がこの週末我が家を襲いました。
やっとこさ息子も体調が戻りつつあり、平穏な夜が今夜あたりから訪れるかな?と思っています。
そんな感じだったので、先週末は主に
パパ→上の子の遊び相手
ママ→自分の体の休息・下の子のお世話
をして過ごしていました。
上の子とパパは、土曜日には三輪車で畑やごはん・銭湯に出かけ、
日曜日にはパパの仕事場(地域の中学校のグラウンド)に三輪車を持って付いて行って野球をしながら三輪車を乗り回して遊んでいたよう。
なので上の子にとって、先週末はママよりもパパと過ごす時間が長かったのですが、やっぱり、こうして少し離れる時間をつくると上の子に対する見方が全然違ってきたし、子育てが楽になったなあと感じたので
今回はそのことについて書いていこうと思います。
平日も保育園に行っているので上の子と離れる時間はそれなりにあるのですが、それとはまた別で、休日にもそれぞれの場所でそれぞれの時間を過ごすっていうのも全然有りだなあと。
基本、我が家はパパが土日のどちらかは仕事のことが多いので、
休日はどっちか1日はわたしのワンオペになることがほとんどで、娘と離れて過ごす休日って基本あまりないのですね。
それはそれですごく楽しいし、子どもたちを通じていろんな人たちと一緒に遊んだりお出かけしたり、すごく充実した休日を過ごせてはいるのですが
離れることでわかることがたくさんあったなと感じています。
目を向ける先はどこだろう?
我が家には半年前に生まれた0歳の赤ちゃんがいることもあって、
最近、上の子には「自分で出来ることは自分でしてほしい」という気持ちがあったり、「下の子に手がかかるんだからお姉ちゃんはなんとか上手くやってよ~」と思ってしまう場面がいくつもあったように思います。
上の子の気持ち優先で居たい、それがわたしの常日頃の目標ではありつつ、現実は結構違っていて、やっぱり物理的に手のかかる下の子に寄っていってしまうことも多いです。
「がまんしてること、きっといっぱいあるよな」と上の子の気持ちを想いながら、精一杯なんとか出来ることをわたしも試行錯誤しながら半年ほどやってきました。
やっぱり余裕がなくなるとわたしの言葉もきつくなるし、
上の子に「本当に素敵だよ、きみは」というメッセージを伝えることを怠ってしまうこともある。
そういった子どもへのまなざしや言葉は、心からちゃんと湧き出てこないとなかなか伝えられないものなので、ここをテクニックで「褒めてあげよう」なんて思ってもあまり上手くいかなくて、
でも上の子だってママにもっと認めてもらったり褒めてもらったりしたいだろうなという気持ちも分かるし…
って、どこか悶々としていた部分があったように思います。
いま現在の娘の姿の尊さ
「ママが風邪を引いているから、休ませてあげよう」
そういう気持ちでパパが上の子を楽しませようと過ごした休日の時間。
たくさん遊んできて、「ただいまー!」と帰ってくる娘の姿を見たときに
「この姿を見れるのは、今しかないんだよなあ」と思いました。
いつも弟にやさしいこと
いろんなことを自分でやろう、とチャレンジ心があること
パパの話をしっかり聞いてお出かけできるようになったこと
おやつを1つで我慢できたこと
自分でおトイレに行けるようになったこと
…いろんな娘の、素敵な姿が実はたくさんこの日常に転がっていたことに、ちゃんと腹落ちした感じ。
頭では分かっていたけれど、日々ずっと一緒だと当たり前になりすぎてしまうんだなと実感しました。
自分の子供だからこそ気になっちゃうことも多くなる。
その結果、ついいろんなことを口出ししてしまったり、そんなに注意しなくてもいいのに言いすぎてしまったり…
そうなってしまうのは、きっとこちら側が子どもとの距離が近くなりすぎている時なのだと思います。
だから少し客観視するような感覚になれる環境に身を置くことが大事で、
そのためのひとつの方法が、今回のように離れてそれぞれの時間を過ごすことでした。
見方によって、子どもは変わる
この子にはもっとこんなにいいところがあって、以前に比べて成長している部分があるから大丈夫。
子どもに求めるものなんて、本来ないなあ、
って思えるようになることは、結構子育てにおいては大事だなと思うのです。
親のマインドがすべての土台なんですね。
よくある事例だとは思いますが、親が「この子は出来ない子」などと決めつけると子どもは本当に「出来ない子」になってしまうけれど、
「子ども個性や成長を尊重しよう」と思うと、前者とはまったく違った子どもになる。
つまり、こちら側の意識や見方の違いで子どもが変わる(正確には「変わるように見える」かなと思いますが)ということです。
これは、保育でも重要なポイントだと思っているのですが
こちらが「この子は困った子」だと思って子どもを見ると、その子の行動すべてが「解決すべきもの」「直すべきもの」になってしまう。
でも、こちらが「この子は困っている子」だと思って子どもを見ると、
「その子にとってどんな環境だったら困らないだろう?負担を軽減させてあげられるだろう?どんなスモールステップが考えられるだろう?そもそも課題の奥に潜む根本的な課題は、子ども自身から来るものなのか?それとも社会の仕組みに要因があるのか?」
と考え、多角から子どもに寄り添うことができるのです。
ただ、頭では分かってるけど~~~ってことは往々にしてあると思うし、
頭で理解したからと言って出来る部分と出来ない部分があるし、
保育ならまだしも、これを特に子育ての中で実践するのはなかなか難しいところもあると思います。
だからこそ、ときには環境を変えてみるっていうのはありかな、と。
いつもと違うことをしてみる、っていうのも、子育てを楽しく、そして子どもとの時間を大切に過ごすためのひとつの方法だと思うので、
子育ては周りの人と一緒にしていこう、と改めて思った出来事でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?