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自分の中のわだかまりを越えるためには

わたしのnoteでは、主に子育てや保育のことを中心に、その時々の自分なりの生き方や考え方を書いていますが
ちょっと今回は毛色を変えて、
こんなタイトルで書いてみます。

この記事で言う「わだかまり」とは、
わかりやすく言うと後悔とか、やりきれなさとか、不甲斐なさとか、弱さとか、モヤモヤする感じとか…
そんなところを指します。

心の中に、ちょっとしたわだかまりって、皆さん少しはありません?
たとえば、小さいものだと「お年寄りに席を譲ってあげたかったけど、断られたり周りからどう見られるか怖くて譲らず知らぬふりをしてしまった…」とか、
「出産を機に仕事を辞めてしまったけど、本心では続けたかった…」みたいな人生に直結してくるようなこととか。

自分で決断して選んできた道とは言え、
100%過去の自分の選択にOKが出せる人ってどのくらいいるのでしょう…
もちろん、これって見方の問題なので、あるゾーンに行けばすべて肯定し、前に進んでいけるとは思うのですが、
とは言ってもわだかまりの存在って結構心の中で大きいと思っています。

わだかまりが知らず知らずのうちに自分の足を引っ張ったり、自己卑下したり。
そんなこんなしているうちに、わだかまりはどんどん毛糸が絡まるように本音を隠していく。
心のブレーキをかけて、自分自身にさえ本音を言えなくなってしまったり。そういうところに繋がっている気がします。

そんなわだかまりを解いて、解放して、良い方向へ向かわせていくために必要なことは、
結論から言うと「ネガティブな感情を感じ切ること。行動すること。自分を認めること。」
これに尽きると思っています。

夢を持ち続けられなかった、わたしの話

わたしは、実は中高生の頃、保育士や幼稚園教諭を目指していました。

でも、学力的に背伸びして入った高校で「保育士になりたい」と言うと、「この高校に入ったのに、保育士さんなんですか?」というような言い方をされました。
つまり、四年制大学進学が当たり前のような進学校に来たのに、短大で資格を取る保育士を目指すの、もったいない、ってことなんですね。

言葉だけ聞いたら保育士さんにめちゃくちゃ失礼な話ですし、これだけが世間の目ではないです。むしろ、感謝している人が多い仕事です。
実際にわたしがいま、保育の世界に入ってみて思うのは、保育士は常に頭をフル回転して働いていて、本当にすごい仕事なんです。
ってことを、今なら堂々と胸を張って言えるのですが、高校1年生の頃のわたしはそこまで思うことができず、保育士の夢を諦めました。

こんなふうに書くと、「他人に夢を壊された」みたいな話に聞こえるかもですが、要は、わたし自身に意思がなかった、ってだけなんです。
志す人はちゃんと志すので。でもわたしはそれができなかった。
なんとなく、肩書きとか、他人にどう見られるかを気にして自分の気持ちを他に持っていったんです。

その後、大学卒業し、旅行の仕事をしつつ地域教育に関わるような働き方をしている過程において、
やっぱりふと思い出されるんですね。
「保育士、なりたかったなあ…」って。
とは言えその当時は、自分の仕事が好きだったし、保育以外にやりたいことがたくさんあったので、充実はしていて。
でも、「あのときに保育士の道を選んでいたらどうなっていたんだろうなあ」って思うことが何度もありました。

人生の余白の中で、わだかまりに向き合っていく

そのときの感情は、後悔にも近いような、
でもひとつの諦めでもあり、
保育の仕事をしている人たちを目の前にすると羨ましく思ったり…
いずれにしてもそれらの感情は、あまり自分にとってプラスな感じではなかったです。

その後、妊娠中に保育士の資格の勉強を始め、子育てしながら保育の仕事に就いて日々奮闘する中で、
やっと、そのわだかまりというか、
「保育の道を選ぶ勇気と意志がなかった自分」を認められるようになったし、それをフランクに人に話すことが出来るようになりました。

そうなったのはなぜかというと、
わだかまりを認め、感じ切ることで行動に移せるようになり、過去を受け入れられたから。です。

意志がなかった、弱い自分だった、その結果後悔することもある、、という事実をめちゃくちゃ感じまくること。(特に、わたしは妊娠をきっかけに引っ越しをした際にたくさん考えました。ちょっとしたブランク期間。)
そうすることで、本当は自分は子どもと日常的に関わることをメインの仕事にしたいこと、
保育士の仕事に挑戦してみたいという純粋な気持ちが自分から出てくることに気づき、
じゃあ今なにが出来るだろうか?…資格取得は独学でも出来るぞ、やってみよう、
と行動に移していく。

自分に対してでさえ、自身の弱いところは認めたくない。隠したい。見なかったことにしたい。
でもそうしているだけでは、隣の芝がずっと青く見えるだけだし、言い訳ばかりの人生になっていきます。

それまでの自分の功績とか、プライドとか、他者からの評価とかを一旦脇に置いて、素直な気持ちと向き合うことは結構難しいと思います。
でも、なんとなくモヤモヤする気持ちを存分に感じること、それを認めることがまずは第一歩。
そうすると、現状を良くするための行動に移せるようになり、その「行動している自分」が、自分の中にあるわだかまりを肯定できるようになると思います。

回り道したからこそ、見えるもの


わたしの例をつらつらとお話しましたが…
でも、いま、子どもの頃からの夢だった保育士という資格と仕事を手に入れて思うのは、
「大学進学や旅行業経験に、無駄なものはなかったな」ということ。

たぶん、過去の自分にとって、旅行業をずっと続ける道は自然なものだったと思います。
だから、保育士に固執して人生を送ってきたわけではなく、その時その時で必死にいろんなことをやってきた、というところも要因として大きいのですが、
やっぱり保育業界から見る今の保育と、
他業界から見る保育って違うなと感じていて、
そこの橋渡し的な存在になれるのは、わたしのように異業種から保育士になった人の特権なのかもしれないな、と感じています。

多様性、発達障害、なんてワードが毎日のように聞こえてくる現代だからこそ、もっともっと保育のあり方は多様でいいはず。
そもそも、保育の「正解」なんて存在するのだろうか?
このやり方じゃないと子どもが育たない、なんて基準はあるのだろうか?

そういうことを、保育畑出身じゃないからこそ、言ってしまえるんです。保育業界のことをよく分かってないから、素朴な疑問を聞いてしまう。同僚にも、園長先生にも。
怪訝な顔されたり、面倒な人扱いされることもあると思いますが、そういうのを「言えちゃう存在」でいることが、いまのわたしの保育士としての関わり方だと思っています。
でも、保育士さんたちがいままで築いてきたものとか、職務上そうしなきゃいけないこととかも、現場に入ったからこそ分かるので。
現場に居ながらも、少しずつ対話をしていくことが、わたしの務めなのかなとも思います。(仕事に追われ、対話できないこともしばしばです…これからここは頑張りたいです)

だから、わだかまりを経験したことで得られているものは確実にあるし、その経験をしてわたしは良かったと個人的には思っているのですが、
なかなか心の中にモヤモヤしたものがあるのも辛いと感じることがあると思うので、
今回はこんなテーマで書かせていただきました。

自分の弱さとか、出来なかったこととか、そういうのを認めながらも殻を脱いでいくって、
しんどいですよね。
でも、絶対に受け止めてくれる人がいるので、わたしはもっともっと、自分のカッコ悪いところもこれからは見せていきたいなと思います。

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