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お習字と私 小学生→中学生→受験編

小学生低学年の頃、近所の公民館に習字の先生が来てくれることになった。
火曜日の夕方から休憩を挟んで2時間くらいだったか。

今思うとここで習字を習ったのは人生において非常に価値のある事だったと思い至り、思いつくままに書き起こしてみる。
なお、例によって推敲はしないスタイル。

さて、子供の頃の私。ヤバいやつだった。
小学生1年生。集中するという事が苦手だった。
子供なんで仕方ないか…というと、
一番後ろの席、先生が黒板に書いているタイミング見ていないからとハサミを出し、髪を切ってた時期があったので、“幼いから集中が続かない”とは違う気がする。
あの行動は自分自身謎なので一旦置いておこう。

ただなんとなく、落ちこぼれの方だった気がしている。

よくある話なんだが、習字を習い始めて一気に何かが変わった。
手本を見る→書く→指導→手本を見る→書くを繰り返して行く。
ただそれだけなんだけど、最初の清書が終わった後に指定の部分に数字を書き込んだ。
言われた数字の意味を知るのはその少し後だが、トントン拍子で、数字が小さくなって褒められた。
私は怠け者なんだが、怒られるのがめんどくさかった。
だから怒られないなら褒められれば良いと気づいた瞬間でもあった。

郡の新年揮毫会は常連になった。
小学2年から中学3年は毎年入選しているし、時々入賞もした。

小学2年生あたりで、一気にクロッキーが上手になった。
当然、年相応の稚拙さはあるんだがチューリップの葉っぱをデフォルメの2枚ではなく、茎にそって重なり合う葉を描いた。一気にそれらしさが表現できるようになった。
そう、この頃から郡の絵画コンクールも常連になるのである。

少しずつ学力も上がったし、怒られるのがめんどくさいので生活態度も悪くない。
落ち着きのない子から、通信簿「オールA」、家庭訪問「特に問題はありません」になった。

幼少期の成功体験として、記憶の深いところに根付いている。

小学生の頃の「授業聞いていればわかる」のままで中学生になったので、学業に対する努力をしないから若干落ちこぼれ気味だった。いや、国語と理解以外は落ちこぼれだ。
まあ中3の時に、「こいつまじで勉強しねぇ」と思った母が、新しく塾ができる事を知り、破格のお値段で夏期講習を受け、学年200位くらいから2桁まで回復したのでそこはよしとしようや。

部活は幼馴染のお姉さんに誘われて、家庭科クラブ。
作る事が好きなので、年代物の足踏みミシンも使いこなし、この頃から臈纈染をしていた。
生徒会はめんどくさいけど、短期決戦ですむ生徒会長候補の選挙管理委員をやった。

なんか、知ってしまったんですよ。公立高校の芸術コース。
成績も挽回して、生活態度も良く(学級委員、議長団、選挙管理委員、部長)、そこに書道の揮毫会での受賞歴を引っ提げて、学校推薦をもらった。

芸術コースの中に、美術コースと書道コースがあり、私は美術コースを受験した。
デッサンと透明水彩と面接。
面接は「美術以外でどの科目が好きですか?」という質問に「理科です」と答えた私。
質問者が化学の先生だった。ほんとこういう時の運がいい。
今思うと、芸術コースの受験で受験番号1103(文化の日)で縁起が良いと思ったんだ。
そして訳あって、フライング気味に合格を知った。

合格前、滑り止めで受験する学校の受験対策を塾で継続していた。
受験が迫った頃の実力テストでは学年1桁になっていた。

冬休み、みんなが受験の追い込みに入る中、相変わらず、選抜で学校代表の20名に選ばれた。冬休みに登校し、かなりの時間を裂いた。
推薦で合格していた私は、冬休みは勉強との両立は必要なく、揮毫会にだけ費やした。
結果、第2席だった。新聞に名前も載った。
入学後その揮毫会で採点していた人が副担任になるなんて知るよしもなかった。

中学3年の担任は国語の先生で書道部の顧問だった。
書道に力を注ぐ姿をみて(部員じゃないけど)、この子は芸術コースで書道を学ぶんだと卒業式の日まで信じていた。

そんなこんなで、お習字のおかげで上達した美術を、自分の得意だと錯覚したまま、美術の門を叩いたのである。


今日はここまで。


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