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緩やかに壊れていったこと。

今思うとあれは精神的なDVだったのではなかろうかと思うことがある。

そろそろ消化しないとなと思い、認めることにした。暗い話である。

168cm 52kgだった私に元旦那はデブと言った。55kg超えたら別れるとも。
今思うと痩せ型なのである。脂肪が少ないので、胸はなかった。
胸がない事は非常に不満だったらしく、夫だった人は「胸が大きくなる謎のサプリ」を誕生日プレゼントとして渡してきた。「…なんてね、これが本当のプレゼントだよ」と他にも用意したプレゼントも一緒にくれるとかいう展開はなかった。

技術職の彼は、技術に向かない私に「お前はどうしようもないな」と言った。
かわいそうだから一緒にいてやるけど、俺と別れたら、お前誰にも拾ってもらえないだろうな。

どんどん無価値になっていった。
その頃は体に不調が出ていた。経血過多とひどいPMS。
気が滅入る、排卵後イライラする、生理の間だけ普通の人になれた。
あぁ、やっと人になれた。毎月そんな感じだった。

それが酷くなって最終的に「生きていたくない」と思った。
思ったが、死ぬ気力はなかったし、迷惑かけてはダメだと思う程度には理性が残っていた。
だから病院に行った。薬をもらった。少しだけ楽になってきたところで、
「薬なんて弱い奴が飲むもんだ」と一蹴された。

なんで生きているのか分からなかった。

とりあえず、何か役に立たなければ価値がない。家に置いてもらう理由がない。
だから料理をした。彼が家に着くと同時にご飯が炊き上がり、着替えている間に蒸らして、美味しくだべられるようにした。
そんな些細な抵抗も無意味だった気がする。

そして、ますます追い詰められる中
「君は、もっと幸せになった方がいいよ」と他の人の言われたときに
「私が幸せじゃないって言うんですか?」って言っていた。
気持ちはぐちゃぐちゃに壊れていて、幸せからは程遠かった。

そうこうするうちに本格的に薬が効いてきて、本が読めるようになった。
文章が理解できなくなっていたんだけど、脳内の靄が晴れ、文字はすんなり脳で理解されるようになった。嬉しかった。
「まだ薬飲んでるんだ」ボディブローのような言葉だった。

私の実家に来ても背中をむけてゲームして会話をしない。
相手の実家に帰っても友達と遊びに行ってしまい、結婚の挨拶の親戚周りは私だけだった。
実の母親と折り合いが悪く、私は義母と旦那の間に挟まれ本当に困った。
よくあるのは嫁vs姑で旦那が板挟みだろ?なんで私が板挟みになるのよ。
この人は旦那だったのだろうか?私は嫁だったのだろうか?
きっと家族になる気はなかったんだな。
面倒なことを押し付ける都合のいい下僕だったのかもしれないね。

PMSがさらに酷くなって私は、月の前半は自分を殺したくて、月の後半は旦那に死んでほしいと願うようになっていた。

無気力なまま生きていた私に転機が訪れたのは、義母から旦那と私の源泉徴収票を送るように言われたときだ。なんでも実家の隣の土地が売りに出されるとかでローン組めないか審査するんだって。おれ、移住する話されても困る。

その時、旦那の源泉徴収票を初めて見た。
お前、あんなに俺にダメ出ししてたのに、俺より年収低いじゃないか!!! 100万も。
私は、エンジニアじゃなくてジェネラリスト方向に進んでたらね。
どうして私はこの人より下だと思っていたんだろうか。
私はそこまでダメな子じゃなかった!目から鱗が落ちた瞬間だった。

この人でなくていい。そう思ったら気持ちが楽になった。

親に保証人になってもらい部屋を借り、仕事に行く旦那を見送ったあとの時間に引越し業者を読んで、猫を連れて家を出た。

それから、なかなか離婚届けには印鑑を押してくれない事に苛立ちを覚え、なかなか自由になれないことで追い込まれておかしくなっていた私は、
「今から区役所行ったら、提出できる。逃げられる」という気持ちになり、気づいたら自転車に乗っていた。離婚届けを勝手に出した。

勝訴って紙を持って走り出したい気持ちだったので、どうしようも無いくらい壊れていたんだと思う。

憑き物が落ちたように、体も気持ちも楽になった。
実際、この後、経血過多になることはなかった。

あれだけ、メンタル病んだことを小馬鹿にしていた元旦那は、私が家を出た後から眠れなくなった。
本当はしなくてもいいのだけど、病院に付き添った。

そのあとは、旦那と道端で遭遇して刺されるという謎の不安と戦う日々だった。
なぜこんな発想になったのかはわからない。
今でも似たような顔を見ると未だに足がすくむ、体が強張るくらいに恐怖は深く根付いている。

しばらくして義母から連絡が来た。
息子と連絡が取れないから心配しているの。あなたと復縁してくれるといいのだけど等々、1時間くらい話を聞いた。相変わらずだった。
悪い人ではないんだけど、何かがずれていた。

それから数年後、転職して実家に帰るので会えないかと連絡が来た。
これで縁が切れるのだと信じて食事に行った。
開口一番「太ったな」と言われた。お前ってそういう奴な。
「俺、牡蠣が食べたいからオイスターバーに行こう」
あぁ、この人はあれだけ一緒にいて、当時の私が牡蠣を食べれないことも覚えていないんだ。きっと私の好みなんて興味なかったんだね(笑)
そのくせ、復縁をちらつかせて、ボディタッチをしてくる。
触られるのは気持ち悪かった。
「今度は守るよ」と言った。「そんなのできないよ」少しだけ本心が言えた。

残念ながら取引先の本社に転職していた。
微妙に縁が途切れないことに落胆した。

牡蠣をワインで流し込んだ。
家に帰り着く頃には気持ち悪くなって吐いた。
5,000円くらい無駄にした。

東京からいなくなる。この事実に感謝した。
刺される謎の恐怖はなくなった。

以上が断片的に残っている記憶だ
おかしくなっていた頃の一部記憶が欠損している。会社の研修でこの頃のことを思い出さないといけなくなった。もちろん、仕事の話なんだけど、無くした記憶にアクセスすることは恐怖だった。
怖くて、怖くて、病院に行って、泣いた。
普段は「死にたい気持ちになっちゃったんですよね」とか、平然な顔して病状を伝えていた人間が、恐怖で泣き出してしまい先生もしんどいのを理解してくれて「ゆりおこしによる抑うつを悪化させる可能性があり、云々」診断書を人事に提出し受理された。

恐怖という形でずっと引きずっていた。

幸い、今ののパートナーは何かと誉めてくれる。
注意欠陥で当たり前の事ができなくても、出来たことを褒めてくれる。
生きてて良いのだ。

だから、そろそろ過去と決別したい。

何かで読んだんだけど、許すことで消化するんだって。
でも許すというのは違うきがする。

今でも気持ちの安定を優先して生理も止めて、なんとか生きている。結局、子供も考えられなかった。

整理して、吐き出して消化することを許して欲しい。

滅入る、滅入る、滅入る。

もうそんな必要ない。忘れたままでいい。
記憶に蓋をして、思い出さない形で、お別れをしようと思います。

好きだったはずだったんですけどね、永遠にさようならをしましょう。
できればもう夢に出てこないでほしい。

私は今の生活を第一に生きていく、それだけだ。

さようなら。

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写真は伊豆高原に向かう踊り子の中で撮影しました

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