再開した話
趣味らしい趣味がなかった。
時間もなかった。
コロナ禍で突然始まった在宅勤務。
通勤がない日が出てきた。(1時間くらい余裕が生まれる)
外で飲み歩かなくなった。(自粛)
土日、あまり寝溜めしなくて良くなった。(通勤での疲労が減ったせいか加齢かは不明)
つまり、時間ができた。
少しずつ新しい事をやってみた。
最初は水出汁。それが定着したらあれやこれやと。
今まで使っていなかった食材やら調理法とか。最近はオートミールとか白パンとか。
時間があれば料理は楽しい。
上手に手を抜けるようになって、使える時間もう少しだけがる。
ふと原点に戻り、文字を書き連ねるようになった。
それが百人一首。
履歴書に困らない程度には字が書けるけど、
ずっと私は字が下手だと思っていた。
最近違う見方ができるようになった。
半端※に目が肥えているのだ…と、思うことにした。
小さな頃から習字のお手本を見続けてきた。
高校は芸術コースだったから
書道コースの作品をみることができた。
当たり前のように整った字に触れてきたのだ。
理想が高いから、理想に届いていない事をもって「下手だ」と認識していたのである。
※半端と書いたのは、深く考えずに接してきたから、正解がわからないこと、また、ギャップを埋める手段を持ち合わせていないから半端だと思っている。
下手の横好きなだけだし、そんな本格的なことは…などと。
趣味の書道は時間で殴れば良い。書いて、書いて、書いて。
納得がいこうが、いくまいが、無になって書けば良いのだ。
それなら私にだってできる。
やらなければそもそも出来るはずがないし
人に迷惑をかけるもんじゃないし
だから、素直にやりたいと思った意思に従ってやればいいんだ。
良い作品を書くだけが書道ではなかろう。
私はただ無心になれればいいのだ。
在宅勤務開始から1年。
時間の面で余裕が出来るとそんな気にさせてくれるのか。
今まで考える余裕なく生きていたのか。
私は高校3年、美術漬けだった。
そして頭打ちになった自覚があって少し距離を置いた。
これで食っていくことはできないから、いつのまにか自分の中で「趣味」ではなく「好きだけど自分ではできない事」と言うラベルを貼ってしまった。
書は小学2年の習字教室からだが、自宅では冬休みの課題の時くらいで、限られた時間の中で、細く長く続けたもの。
美術ほどの濃密さはないが、長きにわたり支えてくれた私の大事な特技だった。
だから思い切って再開。
書道教室で基礎の学び直し。
無心に書くためには筆や墨のコントロールが必要。(些細な失敗で止まってしまう)
基礎からしっかり復習。リハビリ。
コツコツと。時間で殴る作業。
丁寧さも必要だけど、感覚を取り戻すため、今は数をこなす事を優先している。
13日から始めて、まだ40枚程度。合間にペン習字を挟んでいるとはいえ、もっと書けるはず。
もっと、もっと。
この箱を何箱埋めれば生活の一部として定着するのか。
もう後には引けないし、もう、やるしかないのだ。
私がやってもいいのだ!
不安ながらに書いているので、書道教室で「書けてるよ」と言ってもらえると「そうなのか!」と安心する。
思うように筆が扱えないけど、悔しいと思う部分もあるけど、やっぱ好きなんだなと思えたから、やはり始めてよかったのだ。
早々に伸び悩むんだろうけど、うまく付き合って、長く続けて、自信を持って「趣味」って言えるようになりたい。
今のところ、先生との相性がいいかは正直わからないんだけど(お互い人間なんで)
書が好きなんだなというのが伝わってくるんで、今の教室は悪い選択ではないと思っている。
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