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B型肝炎ウィルスキャリアの私が、30年間やめなかったお酒をもう飲まないと決めた記念すべき夜

20代の前半にはじめて自分がB型肝炎ウィルスキャリアであることを知った。ずっと、出産時の母子感染が原因だろうと思って生きてきたが、考えてみたら誰からそう伝えられたんだったかなぁ。

ある時、献血しようと採血して初めてそれが判明したのだが、後日自分がキャリアであることを伝える文書を受け取った時は、そのうち絶対に肝硬変やがんになって死ぬもんだと勘違いしてえらく落ち込んだのを覚えている。

でも、その後に何かで調べたり本を読んだりして、キャリアだからと言って必ずしも発病するとは限らず、一生普通に過ごせる人も大勢いることを知って、少し安心した。

それから、かれこれ30年以上経ったけど、これまで肝臓の不調を特段感じじることはなかった。社会人として年に一回は人間ドックや健康診断を受けてるけれど、肝機能検査で特別悪いと指摘されたこともなく過ごせてきた。

今までは。

無知もいいとこだけど、キャリアと知ってからもずっと酒を飲んできた。最近はないが、30代で働き盛りの頃などは長時間意味もなく惰性で飲み続けたり、外国の強い酒をあおって飲むような、馬鹿な飲み方もしてた。日本酒、ワイン、ビール、リキュール、と種類にこだわらず、基本的に酒が好きなたちなのだ。

50代に入ってから急に酒が弱くなったと自覚し始めたるようになった。それからは、無茶な飲み方はせずにせいぜい1日1〜2杯と少量適量を守るようにし、晩酌に、はじめの頃はビールや酎ハイ、そして最近では赤ワインをほぼ毎日飲む生活をずっと続けてきた。美味しい食事と一緒に飲む晩のお酒は1日のストレスを発散させてくれる最良の友だった。

だが、最近になって、いよいよ完全な断酒をする時期が来たことを悟らされる出来事が続いた。いわゆる“サイン”である。そもそも、これまでウィルス保持者にもかかわらず酒を飲み続けてきたのに大した症状もあらわれず元気で生きてこれたのは、免疫力の高い子として産んでもらったことと、人並み外れて強い運を持って生まれてきたからに違いないと本気でそう思っている。

だが、これからは持って生まれた免疫力と運だけで健康でい続けることは困難だと直感が伝えている。ここから先は先祖からの庇護や運任せにせず、自分で自分の体を本気でいたわらないかぎりまともな余生は望めないよ、と周りで起こっていることのひとつひとつやどこからともなく感じる気配が告げているのである。

不思議なことは、あれほど好きな(だった)酒だが、なんの迷いもなく酒はもう飲まないと思える日がいよいよ来たことである。まだたった2日しか経っていないのだから、この先も完全に禁酒することができるかどうか正直確証はないが、多分大丈夫だろう思う。

なぜなら、そうしないと私の肝臓がいよいよ悲鳴をあげるのが直感でわかるからだ。ウィルスに犯された私の肝臓の細胞は毒であるアルコールがしみわたると痛めつけられ、ウィルスの猛攻にそれこそもう耐えることができなくなって悪性化してしまうだろう。そうなるとあとは下り坂を転がり落ちるように私の寿命は一気に風前のともしびのようになることは目に見えている。そうなったら、大好きな息子や家族と最高の時を過ごし、成長を助け、見守ることができなくなる。

それよりも大事なことは、この世にはない。

これからは、残された命を大事にして、家族との時間を過ごすようにしたい。そして、少しづつだが、この病気のことや健康の大切さを人に伝えられるような生き方をしたいと考えている。

酒をやめた体にどういう変化が現れるのかや脂肪肝が減っていくことで体調はどうなるかなど、実際体験してみて感じたことを率直にレポートしてみたい。

やりたいことができるのは、命があってのことなのだ。

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