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エネルギー革命(#28 ニュース映画で現代社会を勉強しましょう)

エネルギー革命(電源開発貯蓄)

戦後のエネルギー革命による、直接の変化はわかりやすい映像として残っていますが、昭和31年1月26日付けの「電源開発貯蓄二千万円突破記念婦人の集い」も見逃せない重要な記録です。
しかし内容的に、非常に分かりにくいもので、また映像的にも興味を惹くものではないので、記録としてよく残したものだと思われます。

日本再建の一環として進められている電源開発。そのお手伝いとして、川崎市の婦人会が2年前から行っている電源開発愛国貯蓄が、昨年11月で見事に2000万円を突破しました。そこで、1月15日、この好成績を記念する67回婦人の集いが開かれ、日本銀行からお祝いの言葉を受けました。最近、この貯蓄は各方面から注目を浴びています。

これだけでは、全く何のことか理解できないと思います。

戦後かなり長い間、電力の供給が滞り、しばしば停電が起こっていました。
サザエさんやヤネウラ3ちゃんなど、戦後の庶民を描いた漫画には、停電が日常茶飯事だったことを伺わせるものが多くあります。
電力は戦争中、消費規制が行われていましたが、戦後は発電設備、送電設備の荒廃、不足などで、庶民は常に耐乏を強いられて来ていました。

3ちゃん

そもそも電気は、重要な社会基盤の一つであり、個人の努力で整備できる性質のものではありません。
国家や行政の力がそこに必要なのですが、こうした電力事情を背景に、昭和27年に「電源開発促進法」が制定されます。
これは、「電源開発および送変電施設の整備を速やかに行うことにより電気の供給を増加し、わが国の産業の振興発展に寄与することを目的」として制定された法律です。
例えば、全国を九つのブロックに分け、それぞれ一つの電力会社が電力を独占的に供給する、いわゆる九電力体制など、日本の電力行政のベースとなっています。
この法律は、戦後のインフラ整備に大きく寄与しますが、平成15年6月の「電気事業法及びガス事業法の一部を改正する等の法律案」成立により「電源開発促進法」が廃止されます。
戦後処理は、こと電力に関しては平成15年まで継続していたと言えるかもしれません。

このニュースの前提には、まずこの電源開発促進法の制定があります。この法律によって、人々の財産である郵便貯金を、水力発電のための大規模なダム開発に充当するというということも行われるようになります。現代のクラウドファンドのようなものと言えるかもしれません。
ただ実態は、戦中の総動員体制のうちの一つで、戦費捻出のために貯金を奨励する活動である愛国貯金のようなもので、戦中の体制が形を変えて経済発展に向かって行ったという指摘もあります。
この昭和30年1月の映像には、建設中のダムの様子が映りますが、同年8月17日付「林間学校」では、こうして完成したダムとして、相模原市の道志ダムが映ります。子供の社会見学にも使われていたようです。2つの映像から、ダムの完成前後を伺うことができます。

ダム

戦後、進駐軍による様々な占領政策が行われました。そのうち「民間情報教育局(CIE・Civil Information and Education Section)」という部局は、文化戦略を通し、戦後の日本国民の意識形成に大きな影響を及ぼして行きました。
政策の一環として、全国で「婦人の集い」と称する会合が開かれ、政治社会、教育、文化などの講演会が開かれ、民主主義への理解を深めていくということが行われました。
川崎でも昭和24(1949)年から、この婦人の集いが開かれました。このニュースで取り上げられるのは、川崎市で開かれたこの婦人の集いの模様の一つです。

婦人会

その場に、「薄井こと」という女性がいました。
昭和4(1929)年に川崎初の洋裁学校である川崎洋裁女学校を開講した人で、折しも職業婦人の登場とともに、多くの生徒を育てたと言われています。川崎大空襲で同校は焼失しています。
戦後、再び洋裁ブームが起きますが、そのさ中の昭和23(1948)年に、神奈川県公認の洋裁学校として学校を再建し、あわせて洋品店や働く母親のための保育所を開くなど、女性の支援や社会の変革に尽力したことで知られていますが、昭和37年の3月に亡くなっています。

この婦人の集いで取り上げられた電源開発促進法に共感した薄井ことは、「電源再開発愛国10円貯金運動」を提案します。
薄井ことは、戦中は隣組長などとして、戦時債券の売りさばきや貯蓄の奨励などで活躍したのですが、戦後も同じような活動をしていたようです。
月10円という額と、自分名義の通帳が持てるということで、多くの主婦が参加し、昭和34(1959)年には82団体で総額1億円という貯蓄額を集め、全国の注目を集めます。

その直前の、貯金運動の初期の様子を記録したニュースが、この映像です。
67回婦人の集いの折に映る女性が、おそらくその薄井ことでしょう。
尚、映像に映る女性はほぼ全員が和装です。

こと

薄井ことに関しては、「時代を拓いた女たち―かながわの131人」(江刺昭子,神奈川新聞社・2005)に取りあげられています。そこでは、薄井ことのことを「電化生活の夢を10円貯金に託す」と紹介しています。

家族の変化については、この後に触れますが、高度成長期以前には、家事労働が偏に嫁に担わされたため、特に洗濯機の登場を女性たちが歓迎したというような証言があります。

当時の女性にとって、電化製品がいかにあこがれのモノだったのか、その思いが電源開発貯蓄に繋がって行ったということでしょう。

この映像からは、戦時中の総動員体制が、戦後も経済の世界で残り続けたという事実がはっきりわかります。全国民の財産や労力を使わなければ戦時体制が維持できなかったという事実は、既に戦争をできるような状況ではなかったことを伺わせますが、戦後も民間の力が、電気を始めとしたインフラ整備にも影響を及ぼしていたという点は、戦後を考える時に重要でしょう。

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