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2074年、今から50年後…(春木ゼミ・仮想)

0.予言と予測、例えば西暦2525年

 1969(昭和44)年、私は夢見る中坊でしたが、密かにポップスファンでした。深夜放送だけが、クソつまらない中学時代の唯一の救いでした。中でもゼーガー・アンド・エヴァンスという、今では一発屋としか評価されていない、アメリカのロックデュオの当時の大ヒット曲、「西暦2525年」が大好きでした。確かシングル盤も買った記憶があります。

西暦2525年
もし男がまだ生きているなら
もし女が生き長らえるなら わかるだろう
西暦3535年
真実を話す必要はなくなるし 嘘も話すこともない
考えていること すること 言うことすべてが
今日飲む錠剤の中に入っている

西暦9595年
どうだろうか まだ人類は生きているだろうか
人類はすべてこの地球の与える物を自分の物にして、何も返してはいない
今1万年が経ち、人類は10億の涙を流した
決して わかりはしなかったことのために
今 人類の統治は終わる
しかし永久の夜の闇を抜けたところに、瞬く星の光がある
ずっとずっと遠いところに
たぶんそれはほんの昨日のことだろう

 かなりSFチックな歌詞で、いろいろ含意はあるのでしょうが、ここまで遠い未来を考えても、それほど意味のあることには思えません。「人類の統治は終わる」のは、直近の未来とは思えませんし。ただ「考えていること すること 言うことすべてが、今日飲む錠剤の中に入っている」をスマホに変えれば、実に示唆的ではありますが。

 未来予測は、このような予言ではありません。科学的にデータや感性を働かせて、予想していくわけです。すでに10年後の未来に関しましては、春木ゼミ(仮想)で出題しました。

・50年後を見据えた課題

 ここではさらに、50年後の未来について考えます。端的に言えば、現代社会において50年は相当に遠い未来であり、科学的に予測することは不可能であって、どうしても「予言」のようなものになってしまいます。
 そこで課題は以下を設定してみました。単なる未来予測ではありません。現代社会が、未来に向けてどう変わっていくのか、どう変わって行くべきなのか、それを考える課題です。

課題②
テーマ:50年後に価値のある記録
 50年後の社会変化を考えた場合、2024年(現代)の記録として、50年後に価値のあるものには何があるでしょうか。
 人の営み、風習、経済活動、設備、社会システムなどから一つ発見して、1分程度の「ニュース映画」として残すとするならば、どんなタイトルと内容になるでしょうか。企画書(タイトルと概要)を書いてください。また可能ならば、実際に1分程度の動画を撮影してください。

1.50年の過去が近く、50年の未来が遠い訳

 今年2024年の50年後ですから、西暦では2074年、令和が続いていれば56年です。未来を考えると、実に遥か先のことと思えますが、今から50年前といえば、1974年、昭和49年になります。

 今から50年先に比べて、今から50年前がそれほど遠い過去だと思えないのには、一つ大きな理由があります。もちろん筆者の年齢が60歳後半だということもありますが…

・近い50年前

 例によってAIに、「1974年の出来事で、現代社会に大きな影響を持っていることを、国内、国際に分けて挙げてください。」と依頼しました。解答が以下です。

国内(日本)
三菱重工ビル爆破事件:1974年8月30日、連続企業爆破事件の一環として、左翼過激派による三菱重工ビルの爆破事件が発生しました。この事件は、企業や政府に対する過激な抗議活動が一部で行われていた時期の象徴です。現代のテロ対策や警備体制の強化に影響を与えました。
田中角栄退陣:1974年12月9日、ロッキード事件の影響で田中角栄首相が辞任しました。この事件は日本の政治に大きな影響を与え、政治倫理や政治家の腐敗に対する厳しい目が向けられるようになりました。
国際
ウォーターゲート事件:1974年8月9日、アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンがウォーターゲート事件を受けて辞任しました。これにより、政治における透明性と倫理に対する意識が高まりました。また、報道の自由と調査報道の重要性が再認識されました。
OPECによる石油価格の上昇:1974年、石油輸出国機構(OPEC)は石油価格を大幅に引き上げ、世界的なエネルギー危機を引き起こしました。この出来事は、エネルギー政策や再生可能エネルギーの開発、そして省エネルギー技術の進歩に大きな影響を与えました。
キプロス紛争:1974年、トルコがキプロスに軍事介入し、キプロス紛争が勃発しました。この紛争は現在も続いており、地域の安定に大きな影響を与えています。また、EUとトルコの関係にも影響を及ぼしています。
インドの核実験:1974年5月18日、インドが初めての核実験(スミリング・ブッダ)を行いました。これにより、核拡散の問題が国際社会で重要な課題となり、核兵器の規制と軍縮の取り組みが強化されました。

chatGPT

  1974年の出来事で検索すると「ミスター巨人、長嶋茂雄選手が引退」、「ノーベル平和賞を佐藤栄作が受賞」、「セブン-イレブン第1号店が開店」などといった出来事が並びますが、話題になることと社会への影響力は全く異なっていることを痛感します。GoogleがchatGPTを脅威に感じていたことが実によくわかります。
 これらの出来事を見て、まったく異なった世界のこととは思えないのではないでしょうか。政治の混乱やテロ、国際紛争など、明らかに現代世界とは同質の価値観や原理、すなわちパラダイムで動いている世界です。つまり、50年前には、現代世界の姿はほぼ完成をしていて、その延長線上に今があるとも言えます。

 では、明らかに現代社会とは異質だった社会が存在していたのはいつのことでしょうか。いろいろ意見はあるでしょうが、ここでは一つの作業仮説として(仮説と言うより、前提とも言えますが…)、この国の「高度成長期」を指摘します。
 このような意見があります。

高度成長がもたらした変化に比べると、70年代以降の変化ははるかに小さい。今日我々が、日本の経済・社会として了解するもの、現代日本人をとりまく基本的な生活パターンは、いずれも高度成長期に形作られた
高度成長は、日本という国を根本から変えた。

高度成長,吉川洋,中公文庫

 高度成長期、あるいは高度経済成長期とも呼ばれますが、飛躍的に経済規模が継続して拡大することを意味しています。日本では、戦後の復興期を脱した、1955(昭和30)年頃から1973年頃までが該当します。その時期には、実質経済成長率(GDP)が年平均で10%前後を記録しています。
 その背景や理由などの詳細は省略しますが、未来予測手法としてのPEST分析に従えば、朝鮮戦争とそれによる朝鮮特需、さらに製造業、サービス業の拡大、団塊世代を中心とした若年労働者の存在、都市への人口集中、そして通称三種の神器と呼ばれた、家電製品の登場につながる科学技術の進歩など、様々な要因が重なって、高度成長という社会現象を引き起こしたと考えることができます。
 前述の文献「高度成長」では、以下のようにも指摘されています。

高度成長は、まさにこうした時代区分(平安、鎌倉、江戸など)に匹敵するほどの大きな変化を、日本の経済・社会にもたらした。
これほど大きな変化が、「昭和」という一つの元号の3分の1にも満たない短い期間、わずか6000日の間に生じたことは、考えてみれば驚くべきことである。
1950年代初頭の日本は、今から見れば、何ともつましく、古色蒼然とした社会だった

高度成長,吉川洋,中公文庫

 ここで示されているように、すでに50年前には高度成長が完了しており、今の社会と大きく異なる点は少ないのです、この指摘のように、1950年代初頭、すなわち昭和25年前頃まで遡らなければ、今とは異なった「古色蒼然とした社会」を見ることはできません。

 茨城県が昭和20年代から制作記録した行政ニュース映画(政策ニュース映画)が以下のサイトにまとまって公開されています。
なつかし・いばらき【映像一覧(県ニュース・県だより)】

 茨城県は元々工業都市が多く、軍事関係施設も多かったことから、大空襲の標的になっていました。そのため早い段階から戦後の復興を記録したニュース映画が数多く映されており、おそらく現存する戦後最古のニュース映画が、昭和23年に制作された「茨城県映画立ち上る茨城【平和茨城建設】No.1」です。その中に「なつかしのふるさとえ」(07:50)と題された、引揚者に関する映像があります。映像記録としては実に貴重なものです。

 ナレーション一つを取っても、時代を感じさせると思いますし、引揚者とかその方々を迎える地元の様子など、現代社会との共通点を見つけること自体も難しいようには思えます。結論的に言えば、この時点とならば、現代社会とは異なった様子がはっきりわかります。つまり過去に関しては、6,70年ほど前、高度成長期の開始前まで遡らなければ、大きな時代の変化がわかりません。これは、今我々の生きている社会の姿が、長い時間継続してきたということを意味しています。つまり現在の社会は、長持ちするモデルだったということにほかなりません。

・遠い50年後

 では50年後、2074年はどうでしょうか。これは、明らかに相当遠い未来のように思えるはずです。それはおそらく2つほど理由が考えられます。
 今から60年以上前に生まれ始めてきた現代社会の原型、つまり産業資本主義が成熟してきて、そろそろその原理が限界に来ているといったことが指摘できます。前述のように、産業資本主義社会においては、科学技術が人に利便性を与えて行きます。つまり新しい科学技術が登場することは、イコール人々の幸せということですから、明日のほうが今日よりも絶対に幸せになるという確信がある社会です。
 かつて昭和の時代、敗戦後の貧しい時代には、確かにそうした確信はあったはずです。ですから昭和の子どもたちは、早く大人になりたかった。しかし今は、早く大人になりたいと言う子供はまずいないでしょう。大学生に聞くと、人生のピークは高校生だったとか平気で口にします。要するに、既に産業資本主義に根差した価値観は崩壊していると思わざるを得ないわけです。
 さらに現代人の風土病ともいうべき癌という病を取ってみても、病気を引き起こした直接の原因が特定できることはごく稀であって、いわゆる生活習慣病といった言われ方がなされます。そしてそれが現代人の死因の中でも高い位置を占めているわけです。これは医療技術が限界に来たと言うよりは、科学技術によって我々が幸せになるということ自体が限界に来たのではないかとも考えられるわけです。
 そろそろそれ以外の社会の姿を模索、希求する必要が出てきたということ、つまり同じかたちの社会は、これからもう50年は継続しないだろう、ということ、おそらくはそれが50年後を遠い未来と感じさせているのではと思います。

 もう一点としては、近年の科学技術の密度の濃さを指摘することができます。例えば、今後の社会的な影響力の高い科学技術をAIに列挙してもらいました。以下にその抜粋を示しますが、おそらくは誰もが納得できる回答だと思います。

人工知能(AI)と機械学習:
 AIと機械学習は、多くの分野で効率化と自動化を促進しています。医療、交通、製造、教育などでの応用が進んでおり、今後も進化していくと考えられます。
量子コンピューティング:
 現在のコンピュータの性能をはるかに超える計算能力を提供する可能性があります。暗号解読、新薬の設計、複雑なシミュレーションなど、多くの分野で革命をもたらす可能性があります。
バイオテクノロジーと遺伝子編集:
 CRISPRなどの技術により、遺伝子の編集が容易になり、遺伝性疾患の治療や農業の改良、新しい医療技術の開発が進むと期待されています。
ナノテクノロジー:
 ナノメートルスケールでの物質の操作は、新素材の開発や医療デバイス、エネルギー貯蔵技術など、多くの分野で応用が期待されています。
クリーンエネルギー技術:
 再生可能エネルギー、特に太陽光発電や風力発電の進展は、化石燃料に依存しないエネルギー供給を実現するために重要です。また、エネルギー貯蔵技術の進化も重要です。
宇宙探査と宇宙技術:
 宇宙探査の進展は、新しい資源の発見や地球外生命の探索、さらには人類の宇宙への移住の可能性を拓くかもしれません。
ロボティクス:
 ロボット技術の進展により、産業用ロボット、家庭用ロボット、サービスロボットなどが普及し、人々の生活を大きく変える可能性があります。
バーチャルリアリティ(VR)と拡張現実(AR):
 教育、エンターテインメント、医療、トレーニングなどでの応用が進んでおり、今後も成長が期待されます。

chatGPT

 これらの画期的な科学技術は、実は20世紀後半に登場してきたものが殆どです。例えば人工知能技術に関しては、コンピュータの登場とほぼ同時期の1950年代に初期のAI研究が始っています。宇宙技術は、1950年代のスプートニク1号の打ち上げを皮切りに、1960年代には有人宇宙飛行が実現しています。やはり1950年代には初期の産業用ロボットが開発され、1980年代には広く普及しました。
 1960年代には初期のAIプログラムが開発されましたが、実用化が進んだのは21世紀に入ってからです。初期のVR技術も既に1960年代に登場し、1990年代には商業製品が発売されました。遺伝子工学の登場は1970年代で、1990年代にはヒトゲノムプロジェクトが開始しています。CRISPR技術は、2012年に実用化されました。
 量子コンピューティングの理論的な概念は1980年代に提案されましたが、実際の量子コンピュータの開発が始まったのは1990年代からです。ナノテクノロジーは、1980年代にスキャンニングトンネル顕微鏡の開発によって、ナノメートルスケールの操作が可能となり、大きく進歩しました。

 このように、20世紀の後半は科学技術の芽が様々な分野で芽生えてきた時代ですが、その大きな要因は戦争、特に第二次世界大戦を指摘することができます。しばしば、「第一次世界大戦は化学者の戦争であり、第二次世界大戦物理学者の戦争だった。」とも言われることがあります。第一次世界大戦ではマスタードガスがはじめて使用され、第二次世界大戦では原子爆弾が実使用されたからです。

第一次世界大戦は化学者の戦争であり、第二次世界大戦は物理学者の戦争だった。 第三次世界大戦が起こるとすれば、それは数学者の戦争になるだろうと言われている。 

暗号解読〈上〉 (新潮文庫) サイモン シン

 ちなみに、「同様に、第三次世界大戦が起こるとすれば、それは数学者の戦争になるだろうと言われている。なぜなら、戦争の次期兵器となるであろう情報を支配するのは、数学者だからである。」とも言われていますが、情報自体の持つ社会的な力を舐めてはいけないでしょう。
 これらの科学技術は、それぞれ固有のプロセスで進歩して来たわけですが、それらが21世紀に入って、現実化して行くとともに、社会的な影響力を高めていったということです。この後の時代はこれら科学技術が、より現実的な応用成果を上げていくことが予想されます。こうした点から、この後は同じ50年でも遥かに濃度の濃い時間が経過していくため、遠い50年に思えるのではないでしょうか。

2.過去の社会変化を総括する

 以上の認識を元に、ここでは過去の社会変化から、その法則性のようなものを抜き出して、一つの仮説を導き出します。前述の高度成長が始まる前の「つましく古色蒼然とした」社会の特徴を、項目別に整理してみます。

 人々、インフラ、生活、社会の変化といった項目に分けて、簡単に整理してみました。これらのそれぞれを深堀はしませんが、例えば平均寿命を取ってみても、男性58歳、女性61.5歳という、今からは考えられないほどの低い数値です。これが高度成長期を経て急激に伸びていったのは、医療技術の進歩や衛生観念の向上に加えて、食生活の変化が大きな要因でしょう。その背後には、食品加工の技術や流通の進歩など、様々な変化が存在しています。

 さらにここでは、こうした目に見える社会変化に加えて、人々の意識や価値観についても考えてみます。
 以下の映像を見てください。これは川崎市の残した市政ニュース映画の1本で、昭和29年02月24日付け「聾学校の子供達」と第されたものです。

 おそらくナレーションやその他相当驚くような表現ではないでしょうか。テレビでは流せないかもしれません。冒頭「耳の聴こえない不幸な子どもたち」という表現が出てきます。社会的な価値観や人権意識などが、明らかに現代とは異なっているのがわかると思います。また内容としても、聾学校での教育の様子なのですが、現代では一般的な手話を用いた教育は行われていません。口話法、読話法と呼ばれる、話者の口の動きを読み取る方法が教えられています。この経緯に関しては、以下の記事に詳しく書かれています。

日本の聾学校から手話が消え去った日が昭和8年1月29日。今から68年前のことです。

 この辺りの経緯には驚くようなことがありますが、さらに「一般の学校に負けない勉強を」という表現も気になる点です。端的に言えば、社会における価値観や人権意識、倫理観などが大きく異なっていたことが伺われます。

・何がどう変わったのか、何がどう変わるのか

 結局、ここまでの5,60年の経過を見ることでも明らかなように、つましく古色蒼然とした社会の中で、人々にとって不都合なものや不便なもの、さらには不快なものや不公平なものなど、人々にとってマイナスなことがらが、よりプラスな状態へと変化して行ったと捉えることができるわけです。
 例えば川崎市政ニュース映画で言えば、昭和20年代には、最低限のインフラの整備や衛生面の施策が目につきます。

 また昭和30年代では、高齢者、障碍者、母子家庭、貧困・失業者などの社会的な弱者に目が向いていきます。

 さらに、防災、交通事故、労災、公害など、当時の様々な社会課題が次々と取り上げられています。

 大量にリンクを貼りましたが、どれか一つでも観て頂くと、この時代の社会における問題点や課題などの様子をリアルに捉えることができます。
 こうした社会課題に対しては、まずは科学技術が主導して解決に向かう訳ですが、50年という長い時間が経過すると、ある時代を支えていた人々が高齢化、死亡するなどによって、社会の価値観そのものが大きく変化していきます。図に示しますが、今回の課題①10年後までは、科学技術が主導して行くのは明らかですが、人々の意識や社会の価値観は取り残されて行きます。


Tが導く10年、社会は時間を掛けて追いついて行く

 その結果として技術と社会の齟齬が起こる例は、我々は数限りなく目撃しています。現代では、まさにAIがその俎上にあるのは言うまでもありません。「AIにより無くなる仕事」といった煽情的な記事をしばしば目にしますが、問題は人々の労働観にあるのは明白です。おそらくは、50年ほどの長い時間を掛けて、それは人自体が入れ替わるという事ではありますが、科学技術の変化に社会が追いついて行くということを作業仮説として提起しておきます。

 総括すると、科学技術の力によって、人々は不幸な状態から、幸福な状態に向けて変化していきます。少なくとも科学技術はそうあるべきです、戦争によって科学技術が進歩していったという事実も否定はできません。だからこそ、その力を過剰に用いないように、人々の意識も変化していくわけです。
 以上を前提に、50年後の社会に向けて記録として残すべきものは、現在の社会に存在している、マイナスな要素が含まれた物事という考え方ができます。まずは、不便なもの、不快なもの、不公平なもの、生産性が低いもの、不条理なもの、人権侵害的なもの、無駄なもの等々をできる限りたくさん挙げてみてください。

 その上で、それが生まれてきた経緯や背景、その解決が図られていない理由、その解決のために必要なことなどを考えてみてください。それこそが、未来に向けて残すべきものです。なぜならば消えていくはずですから。我々は、そうしたマイナスなことを50年掛けてプラスなものへと変えていく長い旅の途中にいるわけです。
 以下は、情報倫理の講義の実況録音です。履修学生さんには、この後、どういった物事が消えていくべきことと考えているかをピッチしてもらいました。春木ゼミ(仮想)、まだまだ続きます。


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