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軍馬の水飲み場

                  石田柳子

たっぷり二時間半電車に揺られて
門司港レトロ地区にやってきた

駅舎そのものが大正ロマンのかたまり
案内所の女性は矢絣の着物に袴すがた
ロ―タリ―には人力車が客を待っている

ともあれ  まず展望台へ登ると
下関は文字どおり指呼の間
正面には竜宮城みたいな赤間神宮が見えるし
左手には平べったい巌流島が望まれる

赤レンガ造りの旧税関も
白い外装に木組みの美しい旧三井倶楽部も
沢山の観光客を吸いこんでいる
けれども
一兵卒として大陸へ渡った父を持つ私には
軍馬の水飲み場は見逃せない

海岸通りの一角
半円形の小さなスペース
国じゅうから集められた何十万頭という馬が
日本で最後に水を飲んだ所
蛇口をひねってももう水は出ない

馬たちは再び故国の土を踏まなかったとか
そして多くの兵たちもまた……
七十年ほど前の時代は近いような遠いような
中国もまた近いような遠いような


*2005年1月詩誌「爪」77号石田柳子作品

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