死にたいわけではありません。生きていたいわけでもありませんでした。生きたくても生きられなかった人の想いを受け継いで生きているのでしょう。            カノン

そんなことを昔思っていました。

昔の事だけ輝いてる 
そんなクライ毎日は過ごしたくない
引用 B'z さよならなんかは言わせない

そう思ってティーンの中頃現実逃避をやめて出ていった。ティーンなのに
昔の事だけ輝いてる
って言うのもなんか。?だけれど。家族の中ではおっちゃんが亡くなって、仲良かった友達は転校しちゃって。ローティーン、昔の方が良かったなって思ってたんだよね。おっちゃんが亡くなったのがとっても大きかったなぁ。その後。私の本当のお父さんとお母さんは他人にいるんだって思った、信じてたくらい。お父さんが亡くなって、おっちゃんが生きてれば良かった、って思った。でも。そんな風に思ってもおっちゃんが生き返る訳じゃないし。あの頃から私は死をいつも意識してた。村上春樹の作品てさ。僕の回りの人が次々死んじゃうでしょ。そして村上春樹が書いたのは。

死と言うものは向こう側からやってくるのではなく、内側にある。    
村上春樹

アフタダーク以後は村上春樹を読まなくなったけれど。ちょうどその頃。私を捉えてた死も違う形になったんだよね。大切な人が亡くなってしまう悲しみ。もう2度と声を聞けない。話せない。アルバムの写真だけ仲良く一緒に写ってる。おっちゃんは亡くなって、私は生きている。死因は急性心不全でお布団の中で眠ったまま亡くなった。職場に出てこないおっちゃんを心配して彼女がおっちゃんの家を訪ねてお布団の中で目を閉じて息をしていないおっちゃんを見つけた。でもね。おっちゃんは透析をしていたの。だから私は思ったの。

死にたいわけではありません。生きていたいわけでもありませんでした。生きたくても生きられなかった人の想いを受け継いで生きているのでしょう。            カノン

お母さんももっと生きていたかったかもしれない。叔父さんも二十歳で亡くなった。そういう、うちの早く亡くなった人たちを思ってある時そう思ったんだ。

それからやっと自分の人生を始めたんだけれど。姉の子供に対する意地悪さ。細かいことに拘って全体像が理解できない父親。家族のことで頭を悩ませて、自分の事は二の次だった。でもね。もういい加減自分の人生始めさせてもらう!とポーンと母方のおじいちゃんの家に飛んでった。父親から離れたい。でも資金がない。それなら!おじいちゃんの空き家へ行こう!って。5月下旬。夏を越して、秋を迎えて、冬の準備をしていた頃。父親がおじいちゃんの家に車で来た時。父親のスリッパ道路に投げて『2度と家に来るな!』って叫んでたなぁ。あの家はおじいちゃんの家。それを自分の家のように思ってた父親が嫌だった。飲みに行くお店の人から携帯に電話が来て「今別荘にいるんだよ」って言ってて、テメエ!ふざけんな!お前の家じゃない!何が別荘だ!って私は思ってたな。そういう下らない父親。おっちゃんは私の母方の伯父さんだけれど、私はおっちゃんに育てられたようなものだった。

おっちゃんの思い出があるから、子供の時に可愛がってもらって、良かったよね。おっちゃんの記憶。だんだん薄れていく。いつもくっついて、後を離れなかった。おっちゃんは「カノン、給料取りに行くぞ」って私を連れてった。男湯にも連れてった。笑い話もあるけれど、それは私が覚えていればいいよ。私を捉えていた死は暖かい記憶と隣り合わせだったな。

これからも、私は生きていかなきゃならない。だって。夢を叶えたいから生きていたい、ってあの時思ったんだから。夢が叶わなくても生きていく。だって。生きていかなきゃしょうがないじゃない?




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