管見談 チャットGPTで現代語訳 ②公儀-5
9.治世において「大徳」と「小恵」の違い
原文
一、諸葛武侯の言に、治世以大徳而不任小恵と云れたり、千古の格言なり、此語は世界の人偏く徳沢を蒙るへき道理を専一とし、一人二人の利害には拘はらぬと云意なるへし、夫可殺を殺して不赦は不仁に似たれとも、湯王有あるハ罪不敢赦と仰らるゝにて、孔夫子の無釈罪人則民不惑と仰られ、孟子の以生道殺民と云れて、世界の人を偏く生すへき為に殺す事故、是却而仁道にして大徳なり、可殺を赦して不殺時は仁に似たれとも、世界の人か悪に懲こりさる事になる故、是所いは謂ゆる婦人の仁にして却而不徳也、故に諸葛武侯の此語有也、
又子夏の言に、大徳は不踰間小徳は出入可也と云れたり、是も同し意味にて世の治るへき矩あひさへ違はされは、聊の恩徳 の事は如何様ニ而も宜と申事なるへし、凡務つとむる大者固忘小務小者又忘大従其大体為大人従其小体為小人、故に上たる人は唯大体を専務とすへき為の辞なり、時に尚書に不矜細行累大徳と有、此細行と云るは修身の事にて、上たる人は万民の仰く処にて善悪皆民の従ふ処也、故に行跡の事ハ端々迄も心を付て慎まされはならぬ也、聊の過有ても民是に従ふ時は治世の害となる故大切也と、修身ハ慎厳なるへき為の教也、
時に又樊噲言に、大行は不顧細勤大礼不辞小譲といへり、凡大小全からぬハ天地の道理成故、大を挙而小をも欠じと思ふ時は必大体を誤りて、其事成就しかたき也、故に修ルレ身ヲハ謹厳を尊むと云、然れとも大事有時は必小事に拘らす、其事の成就を専一とすへき為の語なるへし、
偖て大徳小恵の先蹤はいかにと申に、子曰、堯之為たる君也や巍々乎唯天為大唯堯則之蕩々乎民無能名焉巍々乎其有成功渙乎其有文章民無能名申、誠に広大無辺にして御徳の天地と斉き所以ん也、孟子のいはく、伊君治天下也 、匹夫匹婦有地不被堯舜之沢者天若己推而内之溝中如此類一是大徳也、則日月の世界を照し給ふか如く徳沢を国土に偏く及し給ふなり、
魯ノ荘公曰、衣食の所安弗敢専セ一也、必以テ分人、曹劌曰、小恵未タ徧小産聴鄭国之政以二其乗輿済人於溱洧、孟子曰、恵而不知為政歳十一月杜杠成十二月輿梁成未民病済君子平其政行に辟人可也、
焉得ん二人々こして而済故為と政者毎にして人而悦之日亦不足矣如此類是小恵也、則灯火一室を照如く徳沢の及事、耳目の及所に止る物也、
子産ハ一代の賢者にして此議そしり有ハ為政者見る処、小なれハ子産か徳義を捨て小恵を学事になる故也、小恵は人を悦しめて誉を求る為なる故、其流れ必公道を忘れて私を為事になる也、君相ハ唯堯舜の大徳を行ひ、使是民為堯舜民と給ん事仰願ふ所なり
現代語訳
一、諸葛武侯(しょかつぶこう)の言に、「治世は大徳をもって行い、小さな恵みに頼るべきではない」とあります。これは、古くからの格言です。この言葉の意味は、世界の人々が広く徳の恩恵を受けることが重要であり、一部の人の利害に拘らないということです。例えば、殺すべき者を殺して赦さないのは不仁(冷酷)に見えるかもしれませんが、湯王は「罪があれば赦さない」と述べ、孔子は「罪人を赦さなければ民は惑わない」と言いました。また、孟子は「生かすために人を殺す」と言っています。これは、世界の人々を守るために必要な処罰であり、結果的に仁愛であり、大徳です。
逆に、殺すべき者を赦して殺さないのは一見仁に見えますが、世界の人々が悪に懲りず、問題が繰り返されることになります。これを「婦人の仁」と呼び、徳ではないとされています。だからこそ、諸葛武侯はこの言葉を残したのです。
また、子夏(しか)の言葉に「大徳は一貫しており、小徳は出たり入ったりする」とあります。これも同じ意味であり、国を治めるための基本がずれていなければ、少しの恩恵についてはどうにでもなるということです。
大きな務めを果たす者は、小さなことを忘れることがあっても、大きなことに集中すべきです。だからこそ、上に立つ者は大きな原則に専念すべきなのです。『尚書』に「細かな行いを誇ることなく、大徳を損なわない」とあり、細かな行いとは自己修養のことです。上に立つ者は、万民の手本となる存在であり、善悪すべてが民に影響を与えます。そのため、行動は細部に至るまで注意を払い、慎むべきです。小さな過ちであっても、それに従う民がいると、治世に害をもたらすため、自己修養は非常に重要です。
また、樊噲(はんかい)の言に「大事を行う時は細かな勤めに拘らず、大礼を行う時は小さな譲歩を辞さない」とあります。大小の調和が天地の道理であり、大事を成そうとする時に小事をおろそかにすると、結果的に大事が成り立たなくなります。だからこそ、自己修養には慎重さと厳格さが求められるのです。しかし、重大な事態に直面した時には、細事にこだわらず、成功を最優先にすべきです。
さて、大徳と小恵の先例について見てみましょう。孔子は「堯(ぎょう)の君主たる姿は、天のように偉大であり、堯が行うことすべては天に従い、民はその偉大さを称えることができなかった」と述べています。これは、広大無辺の徳が天と同じくらい偉大であることを示しています。
孟子は「堯や舜が天下を治める時、すべての人々がその恩恵を受け、もしも受けられない者がいたら、それは天がその者を溝に落としたようなものだ」と言います。これは、大徳が太陽や月のように国土全体に広く及ぶことを意味しています。
また、魯の荘公は「衣食を一人占めすることなく、必ず他人と分けるべきだ」と言い、曹劌(そうけい)は「小さな恩恵が行き渡らず、小さな産業が影響を受ける」と述べました。孟子も「恵みを与えたとしても、正しい政治を行わなければ、その年の十一月には橋が完成せず、十二月には堤ができない」と言っています。
小恵は民を喜ばせ、その瞬間は称賛されるかもしれませんが、それでは持続的な利益をもたらすことはできません。小さな恩恵は一室の灯火が照らすようなものであり、その効果は限られています。これに対して大徳は、日や月の光のように、広く全体を照らします。
子産は一代の賢者でしたが、小恵を優先して大徳を忘れたために批判を受けました。小恵は人々を喜ばせ、個人的な利益を求める行いです。その結果、正しい道を忘れて私利私欲に走ってしまいます。君主や相(大臣)は、堯や舜の大徳を実践し、民を堯や舜の民とすることが望ましいのです。
10.役職に任せる人物の選び方や、役義に対する心構え
原文
一、役義ハ任せらるゝに成任せられさるに不成と也、如何にと云に、何役なり共御任せありて器量次第に御勤させありて、功あるを賞し功なきを退給ふ時は、御役人中自らゆるかせにならす、役義を身に引受、先格古法を僉儀して事の成否を考ひ、役筋一道の事ハ人に指さゝれぬ様に一式呑込我物にして勤る故、時に応し変に通る事も出て御用道無滞事になる也、
人ハ心のはまりか第一也、鉄鉋の壱分打をするに、始ハ玉の転ぶのも気かつかされは衾ふすま戸を抜く也、須賀玄斉か釼術を教る時、柳の蘖にて揉合に鉄棒の如くにてありしとなり、気かさゝれは妙なる事ある物なり、其如く役儀に心かはまれは無キ智恵も出る也、
依而賢不肖となく任給ふか専要也、若又弥不才にて自己に取量事の叶はぬ者は自ら身退かて叶はぬ也、若退すハ上より退ケ給ふへき事也、左あらハ尸位素餐の人もなくなる事也、
然るに当時の如きハ役義を御任なく、何事も上より御差図ありて押へて御勤させあり、上の思召に入ものを善とし、思召に入さる者を悪とし遊され、偶役筋を立てコタハルモノあれは無分別者として片付置れ、又御呵りある等の事なる故、いやいやヨシナキ分別立して、思召に違ふては詮なき事と面々身構して口を閉、都而阿諛の人となり、己か役義を差置、唯上の御差図を受るを専一にして、聊の小事迄も上へ伺、表向に伺はれぬ事ハ御内意を得て、偏に上江すかりて勤る也、
譬は書上事を被仰付に、聊の三御馬廻りの江戸番転等の事にても、一組より廿五人書なく迚、一手より百人余ツヽ書上る事也と云り、是にて書上何の詮かあるへき、畢竟役儀を身に入す兼而人才を撰置かす、時に当つてモウロウタルゆへ、下より望に任て何人も書上、上の思召に任する事也、
上にも又元来書上を体にせすして数百人書上る中にも思召に合者なけれは外より被仰付、又は誰夫書上に抔とも有しなりと云り、
都而ケ様に役筋を御立無き事故、皆御役人か木偶人の如くに成り、糸を引るゝを待て如何に成行とも不顧、只勤る内に内証を仕上ケ、無難に勤仕廻て子孫に譲渡と思ふのミ也、官吏皆ケ様成故御政道御立行無之、上下安心せさる事に成たり、
故に書曰、無自広以狭人匹夫匹婦不獲自尽民主罔与成厥功、孟子曰、訑々声音顔色距人於千里之外士止於千里之外則讒諂面諛之人至矣、讒諂面諛之人居国欲治可得乎、韓退之而孟子有云、今之諸侯無大相過者以其皆好臣所教不好臣所受教今之時孟子之時又加遠矣、皆好其聞命奔走者不好直己而行道者聞命而奔走者好利者也、直己而行道者者好義者也、未有乙好義而忘其君者甲未有好利愛其君者賢者之諭教挙而申せは事多し、抑人に長短得失あり、
人君の所長は孔子の修己以安百姓と被仰、臣民を子の如く思召、是を教る為に言行を正して手本とならせられ、皐陶在知人と云れて、是を安する為に人才を挙て誠に任給ふか仁智の二ツにして、人君の天より得給ふ処の長所なり、其外ハ皆短所也、
仮令聡明特達にましまして万事に長しさせ給ふ共、当世の人君は生れなからの貴人にてまします故、人情世態に通せさせ給ハさる所也、人情世態に通せさせ給ハはすしては御政令悉く中らん事難かるへし、万一中らさる時は豈国家の害なき事を得んや、
故に孔子曰乎不善而無違之也、不幾乎言而喪邦乎 、又曰、自損者必有益之自益者必有決之、自ら満てりとする者は天より損之なり、湯武は以諤々昌桀紂以唯々亡、故に帝舜大禹の御手を不自満仮惟汝賢と仰られ孟子の言に大舜舎己従人。楽取於人以為善と云れて皆自ら用ひ給ハさるを以聖徳の大なるを賛したまへるなり、
されは自用与任人利害得失古今の先蹤昭々として明らか也、
仍而御国政の大小事ハ執政執事、侍組は侍組、三御馬廻りハ宰配頭、足軽ハ物頭、百姓ハ郡奉行、町下は町奉行、寺社ハ寺社奉行、其外夫々の御役人江御任ありて、上にては申出る事の可否を決せらるゝのミにて、少も押へ扣なく器量一ハイニ御勤めさせあり、
賞罰を以忠不忠を正さるゝ時ハ人心活返蹈込て勤る事になり、面々の長所を以君の短所を補御政道欠る事なく、君上は唯無為にして位を守らせらるゝ而己にて、国治民安成り、大にしては大舜の無為にして天下を治め給ひ、小にしては宓子賤か堂上に弾琴して単父を治しか如き、皆人に任せし故也、
唯願くハ人才に任せられん事あらまほしき御事なり
現代語訳
一、役職や義務というものは、適任者に任せるべきであり、不適任者には任せるべきではないということです。どういうことかというと、どのような役職であっても、その役目にふさわしい人材が、器量に応じてその役職を務め、功績があれば褒められ、功績がなければ退けられるという仕組みが整っていれば、役人たちも自ら怠けることなく、責任を全うするようになるということです。役職を引き受ける者は、まずは先例や古い法に基づいて物事を考え、その役目が成功するかどうかを検討し、その上で、役目に必要なことを自分のものとして、しっかりと理解し、行動することで、事態が変わった時でも柔軟に対応し、職務が滞ることなく進むのです。
人間にとって、心がけが一番大事です。例えば、鉄のカンナで少しずつ削る作業をしている時、最初は小さなことに気をつけ、慎重にやっているうちに、ふすまの戸をしっかり作り上げることができるようになるということです。また、剣術の師範である須賀玄斉が、柳の小枝を使って練習を重ね、ついには鉄の棒のように力強く扱えるようになったという話もあります。つまり、心を込めて取り組めば、驚くほどの成果を生むことがあるということです。役職に対しても心を尽くして取り組めば、知恵が生まれ、無から有を成すことができるのです。
このため、賢者であろうと、そうでなかろうと、その役職にふさわしい者に任せることが最も重要です。もし、どうしても自分にはその役職を全うできない者がいたなら、自らその役職を辞して、自分の限界を認めるべきです。そうすれば、役職を無駄にすることなく、必然的に役職にふさわしい人材がその任務を果たすことができます。逆に、無理に役職にしがみつくような者は、その役職にいても役に立たず、無駄な存在となってしまいます。
ところが、現代のような状況では、役職に任せられることが少なく、どんなことでも上からの指示がなければ仕事が進まず、役人たちはただその指示に従うだけです。そして、上の意向に従った者が善とされ、逆に従わなかった者が悪とされてしまうという風潮があります。もし、少しでも自分で考えて役職を果たそうとする者がいれば、その者は無分別者として退けられ、厳しく叱責されるというのが現状です。そのため、役人たちは無理に分別を立てて、上の意向に反しないように行動し、結局は自己判断を避け、ただ上の命令に従うだけで物事を進めています。こうして役人たちは自己の役職を果たさず、ただ上の指示に依存し、どんな小さなことでも上に伺いを立て、伺う必要がないことまでも上の意向を確かめるために聞きます。そして、上の者にうまく取り入って、仕事を進めていくのです。
例えば、何かを書き上げるように命じられた場合、たとえ三御馬廻(みうままわり)の江戸番転(えどばんてん)などの小さなことでも、一つの組から二十五人の名前を書き上げず、百人以上が一つの手から書き上げられることがあります。このようにして書き上げられても、何の役にも立たないでしょう。結局、役目を引き受けてその役職に精通することなく、人材を選ぶこともなく、ぼんやりとしてしまい、下の者に任せて何人もの名前をただ書き上げ、上の意向に従うだけです。
上の者も、最初から書き上げることを重要視していないため、何百人が書き上げられても、その中に意向に合う者がいなければ、外部から別の者を選びます。このように、役目が適正に任命されないため、役人たちはまるで操り人形のようになり、上から指示があるまで何もせず、どんなに事態が変わっても対応せず、ただ職務に当たるだけです。そして、ただ無難に職務を終え、何も問題なく子孫に譲り渡そうとするだけです。役人たちがこのような状況にあるため、政治がうまく進まず、上下の者たちも安心することができなくなっているのです。
書物にも「広く意見を聞かなければ、成果を上げることはできない」と記され、孟子も「おべっかを使い、人の顔色をうかがう者は、真の士(さむらい)ではない」と言っています。真の賢者は、ただ命令に従って奔走するのではなく、義を好んで行動する者です。孟子が言うように、現在の諸侯は、臣下が教えることを好まず、命令を聞いてすぐに行動する者を好みます。こうして、政治は混乱し、真の意味で国家を治めることができなくなっています。
君主の長所は、孔子が述べた「修己以安百姓(己を修めて民を安んず)」という言葉にあるように、臣民を自分の子供のように思い、言動を正して手本となり、教え導くことにあります。皐陶(こうよう)が「知人を持って天下を治める」と言われたように、民を安んじるためには才能ある人材を登用し、誠実に任せることが、仁と智の二つを備えた君主の長所であり、その他の点はすべて短所です。
たとえ君主が非常に聡明で、すべての事柄に長けていたとしても、現代の君主は生まれながらにして貴人であるため、人情や世間の実情に通じていないところがあります。もし人情や世の習わしに通じていなければ、君主の政令がすべて民に適合することは難しいでしょう。万一、適合しなかった場合には、国家に害が及ばないとは言えません。
だからこそ、孔子は「不善でありながら、これに違わなければ、国を滅ぼす」と述べ、また「自らを益する者は天からその力を奪われる」と言いました。自分の力に満足する者は、天からその力を損なわれるのです。湯王や武王は諤々として進言を聞き、桀王や紂王は唯々諾々として国を滅ぼしました。そこで帝舜(たいしゅん)や大禹(だいう)は、自らの手で全てを行わず、他人に賢者としての才能を託して成功を収めました。孟子は「大舜は自らを捨て、他人に従った」と言い、そのため聖徳が大きいと称賛しています。
したがって、君主が自分で全てを行うのではなく、人材に任せることの利害や得失は、古今を通じて明らかです。
よって、国政の大小の事柄は、それぞれの役職に応じて任命された人々が、適切に仕事を果たすべきです。例えば、執政(しっせい)や執事(しつじ)は執政や執事の職務を、侍組(さむらいぐみ)は侍組の職務を、三御馬廻(さんみうままわり)は宰配頭(さいはいがしら)が、足軽は物頭(ものがしら)が、百姓は郡奉行(ごうぶぎょう)が、町のことは町奉行が、寺社のことは寺社奉行が、それぞれ責任を持って行うべきです。そして君主は、上に立ってそれらの役人からの申出に対して可否を決定するだけでよく、余計な干渉をせず、役人たちが自分の能力を最大限に発揮できるようにすべきです。
賞罰を正しく行うことで、忠義や不忠が明確にされれば、人々の心は奮い立ち、一層職務に励むようになります。そして、各々の役人が自らの長所をもって、君主の短所を補い、政治に欠ける部分がなくなり、君主はただ「無為」にして位を守っているだけで、国が治まり、民が安らかになります。大きく見れば、大舜が何も手を加えずに天下を治めたようなものであり、小さく見れば、宓子賤(ふくしせん)が堂上で琴を弾きながら単父(たんぷ)を治めたようなものです。いずれも、人材に任せたことによる成果です。
ただ願うことは、才能ある人材を適切に登用し、任せることが行われることであります。
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