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管見談 チャットGPTで現代語訳 ②公儀-3


5.格式を守る厳格さがいかに重要であるか、そしてそれが家の安定に繋がっていることについて

原文

 一、日向国飽肥の領主伊藤矦ハ昔より御家盛衰なしといへり、其故いかにと申に、先君の立置し格式作法厳にして小細の事迄夫々に定法あり、御代々是を厳敷御守りある也、
 矦の召るゝ上下にも定式有て代々夫を召るゝ事なるに、或時矦営中より御退あつて家老を召れ、我等着用の裃裃の如きハ一人もなし、染色の替る計の事ハ苦しくもあるまし、人並の裃裃にしたき物也と仰られけれは、同役評判仕候而御答可申上とて退き、其後出て申様、先日被仰聞候御上下の義、
 御年若之儀なれハ御尤之御事也、乍去仮令御染色計りの事にもせよ御定格を替られては御家格の破るゝ基なり、御定式の上下を召れゝとて御恥辱にもならぬ事なれは、御延引可然とて諾せさりしと也、
 又或時御泉水江靏を飼度由家老へ御申有けれは、御先例を僉義仕可申上とて、其後申様、当表には御先例なき故御在所江申遣候処、靏を飼せられし事ハ相見得す、鴨を飼せられし御例有は鴨を御飼有へしと云けるとそ、
 ケ様成る聊の小事迄も先格を頽さぬゆへ御家いつも同格也といへり、

現代語訳


 一、日向国飽肥(ひゅうがのくにあくび)の領主である伊藤家は、昔から家の盛衰がなかったと言われています。その理由は何かというと、先代の君主が定めた格式や作法が非常に厳格であり、細かいことに至るまで全てに定められた規則があったためです。代々の当主たちはそれを厳格に守り続けてきました。
 たとえば、領主が召し抱える上下の者にも定まった規則があり、代々それに従って召し抱えられていました。ある時、領主が営中(館内)から退いて家老を召し、「我々が着ている裃(かみしも)のような服は、誰も着ていない。染めの色が少し違うくらいのことであれば問題ないだろう。普通の人並みに裃を着たいものだ」と仰せになりました。
 家老は「この件について他の者たちと話し合い、回答を申し上げます」として退き、後に戻ってこう申し上げました。「先日仰せいただいた上下の件は、確かにお若い年齢ゆえにもっともなお考えかと存じます。しかし、たとえ染めの色だけのことでも、定められた格式を変えてしまえば、家の格式を崩すきっかけとなります。定まった格式の上下をお召しになられたとしても恥ずかしいことにはなりませんので、もう少しお待ちいただければと存じます」と述べ、提案を受け入れませんでした。
 また、ある時、領主が泉水(いずみ)に鶴を飼いたいと家老に仰せになりました。家老は「前例を調べて回答いたします」として、後に「当家には鶴を飼った前例はないため、他の場所に問い合わせましたが、やはり鶴を飼った記録は見つかりませんでした。しかし、鴨を飼った前例はございますので、鴨をお飼いになってはいかがでしょうか」と申し上げました。
 このように、ほんの些細なことでも、定められた格式を崩さないため、伊藤家は常にその格式を保ち、安定していると言われています。

6.上に立つ者の責任と行動が、いかにして国全体に影響を及ぼすかと、倹約と教化の重要性

原文


 一、教の道は君上を奉始執政執事の臣よりして、都而人に上たる重役の面々自ら行ひて下に及し、父ハ子に及し、兄は弟に及し、朝夕に見習聞習する時は敢而力を入るともなく、自然と心よりして其通に務る事になるなり、是を教化と申なるへし、習慣自然ノ如シと仰られ、又芝蘭之室ニ下ルコト久而聞かず其香かヲと仰られ、人ハ朝夕見習聞習ひするか第一也、
 君子の徳ハ風なりと仰られ、君子とは都而人に上たる人を仰られし也、上たる人善行あれは自ら下ハ其風に化する也、されは人君善行ましましても、中に有重役の人々行さる時は日月欲すれとも明浮雲覆之ヲと申如くにて、御善教下へ行渡らす、朝夕見聞せぬ事にて余所の事に聞ゆへ教に化さぬ也、
 一を挙万を知へき事なるか、治憲公御代より御綿服一汁一菜の御膳具を召しより治広公も御同様なりと云り、封君の富貴を在せ給ひなから、国民の為に大倹を行せる事ハ誠難有忝く感載し奉り、
 面々飽迄倹約を用へき処、下には左様に思わぬ也、却而拾五万石の御大名かあさましき御事也、治憲公ハ御倹約を御好ミ被遊るゝなと勿体なくも口の明きたる侭に天罰を恐ぬ事を申す也、年来の奢侈風俗となり、骨髄に染入し故とハ乍申、畢境は重役の面々身に引受て行ハぬ故也、
 上の御苦労被遊る如く重役の面々共に国家を患る心ありて、上の御倹素に比挍する程に、面々の身の上も飽迄倹約を用ひ下の手本となる時ハ、下たる人朝夕に見聞する故、自然に其風に化して米沢中倹素の風俗になる事也、然るに重役になる程家を修造し器財を求め、只官振舞抔をして栄耀をなす故に、下たる人其風を見まね、倹約ハ家を助け身を守る専要也と云事を知る人稀なる故、上の御訓導も行ゆき渡わたらぬ也、
 尤貴人になる程諸事を貴くするハ本分の事なれとも、当世は奢侈風俗となり過当を常とする世界なる故に、貴人は分限よりも猶一等を下ス程にあらされは、下たる人か合点せぬ事也、法令の行れぬも同様にて、重役の人々身に引請たる事と思はぬ故、表向にのミ守る体にして内々には守る心なく、程過れは早手前より破る也、
 近頃も承しに、香坂何某か少し普請をせしに、屋根葺人日料を御定之通り百十文渡せしかは猶弐拾文賜れと云、何故と問しかハ酒代に賜るへしと云、依而去年中被仰出も有て、酒も与るなと有し事なれは叶はぬと云しかハ、いや其御触の事ならハ少しも苦しからす、某等に御任有へし、其故ハとて重役の名を誰々と指して皆御吸物ニ而御酒を賜り、其上百三拾文ツヽの日料賜りしと云しとそ、黒井半四郎も百拾文ツヽ与へしかハ翌日より屋根葺共来らすして大に迷惑せし処、雪か一降ふりて世間仕事の無く成りたる時来りて葺たると也、又御城内を行抜無用と云被仰出近年有し、
 今は重役の人か行貫ケする也、都而ケ様の事なる故、下たる人如何なる号令有とても始より守る物にせす、暫く見合居て一人二人と破る者有れは、皆々其尾ニ連る故、程なく国中の破れと成也、上ニも御憐愍の思召にて破りたりとて敢而御咎もなき故、いかなる法令ニても終に破れて詮無キなり、ケ様に御役人の忠義の心薄く成しも役儀を御任せ無故の事成へし、

現代語訳

 一、教えの道は、君主から始まり、執政や執事の臣下にまで及びます。上に立つ重役の人々がまず自ら実践し、それを下に広めていきます。父は子に、兄は弟に教え、朝夕見習い聞き習うことで、特別な努力をせずとも自然と心からその教えを実践するようになるものです。これが「教化」と呼ばれるものです。習慣は自然のようなものであり、「芝蘭の室に長くいればその香りを感じなくなる」と言われるように、人は朝夕見聞きして習うことが何よりも重要です。
 「君子の徳は風のようなものだ」とも言われています。君子とは、上に立つ人を指し、上の者が善行を行えば、下の者は自然とその風に従って善行を行うようになります。ですから、君主が善行を行っても、重役の者がそれに従わなければ、まるで太陽が昇っても厚い雲に覆われて光が届かないように、善行が下に伝わらず、日々の見聞がなければ他人事のように感じられ、教えが広まることはありません。
 このように、一つの例を挙げれば、全てを理解することができるはずです。治憲公(上杉鷹山公)の時代から、御綿服に一汁一菜の質素な膳具を使用され、治広公も同様でした。封君(領主)がその富貴さを保ちながら、国民のために倹約を行われたことは、誠にありがたく、感謝に堪えません。
 しかし、下の者たちはそのように思わず、むしろ「十五万石の大名がこのような質素な生活をしているのは情けない」とさえ言います。治憲公が倹約を好まれることを「もったいない」と軽口を叩く者もおり、天罰を恐れない言動まで見られます。これは、長年の奢侈(贅沢)な風習が骨の髄まで染み込んでいるためとも言えますが、根本的には重役たちが倹約を身に引き受けて実行しないからです。
 もし君主が倹約の苦労をされているように、重役たちも同様に国家を憂い、倹約に努める姿を見せれば、下の者たちもそれを見て自然とその風に従い、米沢全体が倹約の風潮に包まれるでしょう。しかし、重役になるほど家を修繕し、器財を求め、官職の威勢を誇るようになると、下の者たちもその風を真似し、倹約が家を助け、身を守る大切さを知る者はほとんどいません。これでは、君主の教えも行き届かないのです。
 確かに、貴人が高貴な生活を送ることは本分ですが、現代は奢侈が常となり、過剰な生活が当たり前の時代です。貴人がその分限よりもさらに一段階身分を引き下げて示さなければ、下の者たちは納得しません。同様に、法令が守られないのも、重役たちが自ら守ろうとしないからです。表向きには守っているように見せて、内心では守らず、早々に自分からその規則を破ります。
 最近も聞いた話では、香坂という者が屋根を修繕し、賃金として定められた百十文を渡したところ、さらに二十文を求められました。理由を尋ねると「酒代としていただくべきだ」とのことでした。昨年、酒を与えてはならないという御触れが出ていたため、その者は「叶いません」と答えましたが、相手は「その御触れのことなら問題ありません。我々に任せていただければよい」と言い、重役の名を挙げて「その方たちも食事の時に御酒をいただき、さらに百三十文の日当をもらっていた」と言いました。
 このように、重役たちが自らの行いを正さなければ、下の者たちがそれを真似し、法令も守られず、国全体が破綻することになります。重役たちが忠義の心を失い、役職の責任を果たさないことが、これらの問題の根本なのです



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