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翹楚篇 チャットGPT現代語訳③


⑤公の世子にて-鷹山公が世子だった時の逸話3

原文

○ 世子にてまします時、
 侍臣某潔斎の日にあつてあやまつて悪火をすゝめまひらする側に侍るもの悪火のよしを告、且進るものゝ不敬を責たりしに、
 公きこしめして、
 此炭もとハいかなる家いかなる火をもてか製なせる
 とのたまひて敢て不敬を咎めたまはす、

現代語訳

 世子でいらっしゃった頃、侍臣の一人が潔斎(けっさい、身を清める日)の際に、誤って「悪火」(けがれた火)で炭を進呈しました。それに気づいた側に控えていた者が、その火が悪火であることを伝え、さらに炭を進めた侍臣の不敬を責めました。
 しかし、公(治憲公)はこれをお聞きになり、次のように仰せになりました。
 「この炭は、もともとどの家のどのような火で作られたのだろうか。」
 そして、その不敬を責めることはなさらなかったのです。

⑥世子にて-鷹山公が世子だった時の逸話4

原文

○ 世子にてましませし時、国民の困窮をきこしめし歎かせたまひ、やかて世を継たまひし時も、やはり此まゝならハ貧民の一助にも成なんかとのたまはせしか、
 世を継たまひしにも果して其御言葉のことく御部屋住御仕切料のまゝ纔弐百九両一分何程にて御手元の御服食ハ足らせたまひし、

現代語訳

 世子でいらっしゃった時、治憲公は国民の困窮を耳にされ、それを非常に嘆かれました。やがて君主として世を継がれた際にも、同じく「このままの生活を続ければ、貧しい民の助けになるのではないか」と仰せになりました。
 そして、実際に世を継がれてからも、その言葉通り、御部屋住(へやずまい、君主の隠居時や世子時代の生活)時代のままの仕切料(生活費)を続けられました。その額はわずかに二百九両一分ほどでありましたが、それでも御自身の衣食はその中で十分に賄われました。


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