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言語化と受け止めること。

DAY11。
noteを始めてみて感じてることは、時間を作り出すことの大切さ。やることがあると、静かなまとまった時間が作り出せるのがどうしても夜になりがち。先週朝が全然起きられなくなって、私は毎日8時間(せめて7時間)寝ないと、次の日が使えなくなると再実感したので、また再設計。ブログを書くための時間も、おおよそ分かってきたので、時間整理のための時間を作りたいところです。

ここ数日の記事の中で、ケガについて心のことを書いた気がしたのだけど、うっかり消してしまったかもしれないので、書いてみます。どこかに重複した内容があったらご容赦くださいね。

ケガに心を残さない。どんな声をかける?

1/28の記事で、ケガのときのことを少し書きました。

家では、このときに心のケアもしているなーと感じます。膝の上にケガしたわが子をのせて、じーっとお手当てしている時間。子どもにしてみたら、ケガして不安な気持ちがやわらいでいく時間でもあります。大丈夫だからね、と肯定的な言葉をかけ、痛かったねと寄り添ってあげます。
傷のお手当て わが家の場合 #1

ケガが治っていくとき、そこに心を残さないことでスムーズに治癒が経過していくなと思うことがあります。わだかまりがあったら、いつまでも傷が痛んだり、跡が残ってしまったりするから、人間の無意識ってすごい。

子どもが転んで、膝をすりむいて泣いていたら、なんて声をかけるでしょうか。
私たち(30代、40代)の2世代くらい上の方だと、
「痛くない!痛くない!」
「大丈夫、我慢よ。泣かない!」
「男の子なんだから泣かないの!」
なんて言ったりします。そうすると、子どもはもっと泣いたりします。

逆に、
「転んでびっくりしたね。大丈夫だよ」
「痛かったね」
と寄り添ってあげると、自然に気持ちが切り替わって、泣いたと思ったらもう駆け出してる、なんてことがあります。

日常のなんてことのない声がけが、その子の安心感につながっていくのではないかなと思います。時に、我慢してこらえることは、強いのではなくて、感覚を鈍くしていたり、自分を押し殺すことを学習しているのではないかと思うことがあります。
子どものタイプもありますよね。痛みを感じやすい子、感じにくい子。血がどうしても苦手な子、切り傷を見ると怖い子。無理して克服させるのではなくて、痛い・怖い・心細いと感じているならそれは真実なので、それをそのまま受け止めてあげたいものです。

子どもの心を言葉にしてあげる

小さい子(特に小学校の低学年くらいまで)は、言葉がまだ上手に使えません。会話ができるように見えても、自分の気持ちを表現するなど抽象的なことは、語彙力もまだ少なく、上手に表現できないことが多いです。

話し始める1歳の子が、「あっあっ」と言ってるとき、「犬、いたねー」「こぼれちゃったね」と言葉にしてあげます。
よく今の言葉の段階+1つと言われます。喃語がでているようなら、単語を(「あっあっ」→「コップ」)。単語が出てきてたら、2語文で働きかけてあげます(「コップ」→「コップ、あったね」)

同様に、先ほど書いた転んで泣いているときも、その時の気持ちを代弁して「痛かったね」と受け止めてあげると、子どもは、自分を分かってくれてたと安心して泣き止んだりします。

何か嫌なことがあるときにも同じです。
気に入らないと大声をあげる場合、子どもが「泣けば言うこと聞いてもらえる」と学習してしまっていることがあります。
そんな時には、気持ちを言語化してあげます。
「それは嫌だったんだね」
「こっちは違うんだね」
そうすると、言葉でも伝わるんだ、泣かなくてもいいんだ、と子どもは学びます。そして、共感して、寄り添ってあげます。

「どこが痛いの?」
「じゃあ、どうしたかったの?」
「そしたらどれがよかった?」

上の子と歳が近かったりするとやってしまいがちなのが、放っておくこと。上2人が小さかったとき、私もやっちゃってました。やがて泣き止むけれど、それは諦めてしまってることもあります。
子育て、特にワンオペだとすぐ手一杯になりがちで、自分の精神状態がいっぱいいっぱいのこともあるし、すぐ駆けつけられないこともあります。そんな時は、行ってあげられなくても声だけでもかけてあげると、小さい子どもでも分かっています。

ケンカのやり取り。ジャッジしない

ケンカの間に入るときも、受け止める→言語化を意識しています。
もちろん、双方に言い分があります。大事なのは、自分の思いを出すこと。分かってもらうこと。スッキリして次に進んでいけること。
兄弟げんかだろうが、園や学校での友達との喧嘩でも同じだと思います。

ついつい、話を聞いて、目の前で
「それは、AくんよりもBくんが悪い。はい、おしまい」
とやってしまいがちです。その方が、労力がかからないし、短い時間ですみます。けれど、言われたBくんは嫌な思いをするし、Aくんにとっても成長がないです。
保育園で働いていたとき、子どもから人気のあった先輩の先生は、AくんとBくんを集めて、思いを全部出すようにしてあげてました(本人がうまく言えないときは、その子の気持ちを代弁しながら)。
「Aくんにおもちゃを取られて嫌だった」
「最初に使ってたのは僕だよ」「叩かれたのは嫌だった」
自分の気持ちを出しきると、相手の話を聞く余裕ができてきます。そこで初めて「ごめんね」「いいよ」と言えたりするんだと思います。

私も保育士や学校支援員をしていたとき、まだ慣れないときは、とにかく謝らせることやその場をおさめること、落としどころをつくることが目的になっていました。子どもは、落としどころなんて求めていないんですよね。
思いを全部出す→聞いてもらえる
だけで、スッキリすることがほとんどです。小学生同士の喧嘩など、複雑になってくると、聞いてもらうのは相手本人でなくても、理解してもらえた、と思うだけで、気持ちがスッキリするんですよね。

兄弟喧嘩など、あまりにヒートアップしてしまうときは、一人ずつ呼んで個別に話を聞くこともあります。いずれにしても、思いを出し切ること、受け止めてもらうことが大事です。

大人も受け止めてもらう

私たち大人も、毎日一生懸命、頑張ってますよね。
なかなか頑張ってると認めてもらうことは少ないかもしれません。
だからこそ、受け止めてもらうこと、一人で抱えないこと、思いを出すことが大切です。
家族や親しい友達に「ほめて」とお願いしてみるのも一つ。
私はたまに「見て、ごはんこんなに作ったんだよ~。お母さんも頑張ったんだよー。褒めて^^」と子どもに言ったりもします(笑)

一番簡単なのは、自分自身で自分を認め、受け止めること。
寝る前に1日を振り返って、手帳に書いたりされてる方もいらっしゃいます。SNSでやり取りするのが好きな方は、できたよ!ということを書いてもいいでしょう。アウトプットも、ブログのように公開するものも、自分だけが見られるようにすることもできますね。日記をつけたり、ノートにただただ書いていくのもおススメです。言語化や、言葉に限らず見える化することで、客観的に自分を見られるようになります。

できた!と、小さなことにも満足して自分をほめられるようになるといいですよね。

なんだか取りとめのない内容になってしまった感じがありますが、今日はこのままアップしたいと思います。
読んでくださり、ありがとうございました。

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