見出し画像

#38 長男の小学校入学 特別支援学級にて

昨日は、保育園で集団保育に入るようになり分かっていった長男の障がい。診断名がついたときの、私の気持ち。それから、受容の過程について書いてみました。
今日は、小学校に上がってからのことを書いてみます。

幸せな保育園時代

診断がついて、障がい児枠となった保育園時代。この保育園がとてもよく、どんな子も当たり前に「その子らしく」いることができました。特色ある保育だったので、このことについてもいつか書きたいと思います。
一番は、周りの子の意識です。
「障がい」という名前がなくても、その子が「困っていること&手伝ってあげたらできる」こと、に対して、「無理なく」思いやりをもって、助けてあげる。そんなチームワークが、クラス全体にできているんです。これは、担当の先生や園全体を通して、大人が子どもたちに対する姿、そしてどの子も安心できる環境づくりのたまものなのでしょう。
助けすぎず、その子ができることは本人がやる。小学校の支援などでは、つい、手助けしてあげることがよいことだと、手取り足取り支援してしまうことがあります。前に小学校と保育園で同時に働いていたことがあると書きましたが、仕事として支援に入っている大人(先生)よりも、保育園のクラスメイトの方が、支援のスペシャリストだなと思うこともありました。

そんな風に、保育園時代、長男は、”ごちゃまぜ保育”の中で自分らしく、のびのびと過ごさせてもらいました。

小学校入学。日本の特別支援教育

現在、障がいがある児童が小中学校を選ぶとき、日本ではこんなシステムになっています(これもまた別トピックで取り上げたいところですが。今日はさらっと触れます)。

  • 特別支援学校
    知的な遅れを伴う場合。区立や市立ではなく、都立や県立の学校になり、別の場所にあります。肢体不自由も合わせている場合はスクールバスが何台も並び、敷地も大きいです。

  • 特別支援学級
    普通の小中学校の中に併設されている学級。「○○学級」と親しみやすい名前が付けられていることが多いです。知的と情緒があります。

  • 通常学級 知的な遅れがなく、問題が大きくなければ、通常学級に入ります。

長男は、知的な遅れはあるのですが、社会的にコミュニケーションできるということで、特別支援学校ではなく、特別支援学級の判定になりました(教育委員会で、就学相談というのがあって、そこで決めていきます)。

ある先生との出会い

長男が入学したのは、全校生徒1000人を超えるマンモス小学校でした。1学年あたり5~6クラス。急行が止まる駅の、駅近マンションの子ども達が通う小学校でした。特別支援学級は1~6年生全体で4クラス、30人以上在籍していました(公立小学校の中では多い方です)。

この大きな学校は、よく言えば「活気がある」、けれど、何でもすごく頑張らせる、そんな印象でした。ここで担任になった先生との出会いは大きなもので、私の人生を変えたと言っても過言ではないくらいでした。

大きな出会いと書きましたが、それは私にとって正直つらいものでした。20代後半か30代前半の女性の、とても熱意のある先生でした。特別支援学級に赴任してきて初年度。保護者会でのあいさつは、
・「東京23区内の学校でも、特別支援教育を経験してきました!」
・「私にも3人子どもがいて、毎日忘れ物などひどいし、小学生でも毎日ぐちゃぐちゃで、みなさんの気持ち、とてもよく分かります」

・特別支援分かってるよアピール→後から考えれば、とんだ考え違いをなさっていると思います。むしろ、言わない方がいいんじゃ、、、
私自身も小学生の親をするのは初めてだったので、この言葉で、ほぼこの先生の言うことは正しいと思ってしまったように思います(疑うことをしませんでした)。
・ご自分の環境で、つらいと思うことを伝えて、共感されているつもりなのかもしれませんが、これは余計に傷つきました。安易に共感してほしくなかった。「分かります」と言われても、たぶん全然分かってないから。
なぜかというと、「忘れ物がひどい」「ぐちゃぐちゃ」のレベルが違います。学校での生活はその子のほんの一部であって、当事者でなければ、様子は分かりません。たいていの場合、子どもは学校ではとても頑張っているから、学校で頑張っている反動だったり、リラックスして素の自分を出していることで、家での姿は、学校よりもさらに落ち着かないことが多いのです。
共感するなら、「分かります」ではなく「大変ですね」「毎日頑張ってますね」と、無理に同じ場所に立とうとせずに声をかけてもらった方がよかったです。

個人面談での経験

こちらは、当時の私のSNSへの投稿を加筆修正したものです。当時の私の心境です。

昨日は個人面談でした。
「そんなこと分かってるし、できるならとっくにやってるよ」という生活のことを、細々とちくちく指摘された。言い方もある。
息子の苦手を改善することについて、「家庭でもできることだよね」と言われれば、よし、私も頑張ろう、と思えたかもしれないが、「この子ができないのは家庭の責任」と言われれば、すでにこちらは毎日そのことに奮闘してるだけに反発だけが残る。
話の中で、例えば「(息子くんが)食べ方が汚いから落ち着いて食べるようにしてほしい、そういう様子を見てダメな子もいるんです」と言われた。
毎食毎食、5回以上は注意し続けているのに、こぼすのが直らない、そんな個性を持つ子どもの親の気持ちを想像することもできないのか。数年間ずっと長男の食べこぼしを改善しようとしてもどうしようもなく、私は長男との食事が不快になり、それでも逃げることもできず、なるべく伝わるように心を砕いて言い続けてる。平日は完全ワンオペで、兄弟2人みながら、食事についてもひとりで準備から片付けからすべてしなくちゃいけない中で、いったいどうしろというのだ。
しかも、相談もどこにしたらいいのかさっぱり分からず、ひとりで抱え込んでいる状態。諦めたくないから、四方八方の知り合いに話しかけまくって情報収集。
学校に言われた内容を「そう言ってるんだな、でもできないから仕方ない。やれることやったら受け流そう」と達観できる状態には私も至っていない。すると、親の不安定な精神状態とストレスは、結局、本来ならケアすべきである一番不適切な、子ども本人に矛先がむく。
どのようになったかと言えば、毎食5回程度だった、食べこぼしを改善するための促しは、長男を赤ちゃん扱いするか、当たりがきつくなり修正しようとしていじめのようになる。そんなことしていながら私自身も傷ついている。長男の障害を受け入れているつもりでいて、人とは違う個性(長男の特性)と、目には見えない親の努力を想像できない人たちを、受け入れることはできていなかったんだ。時間をかけて根気強く分かってもらうしかないのかな。
個人面談の話に戻ると、食事の話はほんの一例である。先生から言われることは、私にとっては分かりきっていることであり、やれることはやっているのにどうにもなっていない、ということの指摘がつづく。「学習より、生活なんとかしたほうがいいんじゃないですか!?本人のために言いますけど」と担任の先生。指摘が続き、こうしたらいいんじゃない?と提案してくださるが、手間がかかって現実的ではなくよけいに気が滅入る内容も…。長い個人面談の中で、息子のよいところの話は、最後に1つだけ(がんばりやさんで、失敗しても立ち直りが早いということ)。
結局全部親がやれってか。隣の市には、そういう子どもの訓練を手伝ってくれるような療育の学童があるけど、この地域ではまだ聞いたことない。
・・・という思いが、学校出てからわきあがってきて(面談では、私と先生は、メモに書いて持っていたことを互いに伝え合うだけで時間オーバー)、なんともやるせない気持ちでいっぱいになった。
いずれ、私がこのつらさを乗り越えたときに、困ってるだろうママたちを寄り添いサポートしてあげられたらいいな。
子どもを持つ大変さは、子どもがいて初めて分かる。
男の子の大変さは、男の子がいないとわからない。
って思ったけど、同じで、
障害を持つ子どもの大変さは、毎日接していようが、結局は障害ある子の親じゃないと分からない、と思う。
はぁ・・・でも毎日は続いてく~

とてもつらく、出口の見えないトンネルの中にいて、もがいていました。
けれど、この経験があったからこそ、今の私があります。

明日は、それがどうつながっていったか、どんな学びがあったか、私がとった行動を書いていきます。

読んでくださってありがとうございました。

参考になったと思ったら、記事をお友達やSNSでシェアしていただいたり、いいねボタン(ハートのマーク)を押していただけたら励みになります^^

それではまた明日!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?