#41 子育てで精神的に行き詰ってるときは

昨日は、私が特別支援を学んだ経験から、学ぶことで視座が上がり、問題解決の糸口が見えるようになったり、取れる選択肢が増えたりする話を書きました。

学ぶことにより、八方ふさがりの状態から抜け出せる兆しが見えたりします。そうすると余裕が少し生まれてきます。そんなときにオススメされたことがありました。

他の支援が必要な子のために、支援者になってみる

あるとき耳にしたのが、
「皆さん、ご自分のお子さんに向き合って、毎日大変な日々だと思いますが、学びの途中にいらっしゃることもあり、ボランティアされてみるといいですよ」といった主旨のことでした。

必要なことって不思議と耳に入ってくるようにできているように思います。このとき、私はこの言葉がストンと腑に落ちました。ボランティアするご縁があったら探してみようかな。
そんなとき、そこから1週間経たないうちに、長男の学童の保護者会がありました。隣になった方と連絡先を交換したら、そのご縁で、あれよあれよという間に、特別支援学校にボランティアさせてもらえることになりました。

心が震えた瞬間、そしてその後の進路

ボランティアの初日、いざ支援学校に行ってみると、そこには今まで私が知らなかった世界がありました。学校から肢体不自由の子ども達の送迎があるので、たくさんのバスが止まっています。ヘルメットをかぶった子や、大きな声をあげながら飛び出してくる子どもたちに、ラフな格好にポシェットを下げた大人たちが寄り添って校舎から出てきました。
躍動感!
みんなが同じ方向を向いて支援に当たってる。そのチームワーク!
その時も今も言語化できない何かに私は感動して、胸がいっぱいになりました。
初めての学校だったし、バス便の場所だったので、予定より1時間近く着いた私は、胸がいっぱいになったままそこに佇んでいました。

そのとき参加させてもらったボランティアは、職業訓練と言って、学校の外で働かせてもらう経験に付き添うという内容でした。これがとても楽しく、結局私は2年間ボランティアを続けることになりました。
そして、この胸がいっぱいになった体感は、「YES!」というときに感じるもので、このときのことがきっかけで、特別支援学校の先生を目指してみようかなと思うようになりました(結局6年間大学に在籍して、色々思うところがあって去年退学したのですが)。

そうして、「毎日大変だけど、ボランティアしてみるといい」と言われ、その翌週にはボランティアしている自分がいました。ピンと来て思いつき、大学を調べてみたら、なんとその翌週が出願開始のタイミングだったのです。

物事を決めるとき、私は自分の内側の感覚と、タイミングを大切にすることが多いです。過去を振り返っても、綿密に綿密に計画して、何かを成し遂げたときより、ピンと来たり心が震えたりして選択した物事の方が、長続きしたり、得るものが多かったりした経験がありました。
このときも、綿密にこうしてそのあとこうやって、、、と決めたり、どうしても○○したいと思ったのではなく、タイミングのよさと、なんとなくの自分の感覚を信じて、これは「GOサイン」に違いない、と、大学に出願することを決めたのでした。

支援をすると… こんないいことがあった!

支援、と書いていて実は違和感があるのですが。支援してあげる、みたいなニュアンスが好きではなくて。けれど替わりの言葉が見つからないから、このまま支援という言葉を使います。
実際は、支援していると、逆に受け取るものがとても多いのです。何が、と明確に言語化できないものの、仕事が終わったときの充実感たるや… 満たされているなぁと感じます。
ボランティア(後に支援員の仕事や保育士)をすることで救われたなぁと感じたこと、特に長男の子育ての大変さが楽になったなと思えたことを挙げてみます。

  • 悩んでいることにフォーカスしなくなりました。
    ボランティア中は、目の前の子どもたちに集中します。その間、いつも頭の中にあった自分の子どもの悩みごとは、どこかへ行ってしまっています。

  • 担当する生徒さんの特性や状況は、自分の子とはまた違います。目の前の子に集中して対応すると、家に帰って自分の子を客観的に見ることができました。「お、息子、こんなことできるんじゃん」と、できることに気づくことが多くなりました。

  • 心理的距離が取れるようになりました。特に仕事の日はうまくいくように。
    自分の子どもの場合でもボランティアでも、どちらも、目の前の困っている子を何とかしようと、みんなで知恵を出し合いながら、思いやりをもって支援にあたるのですが、自分の子どもだったらイライラしてしまうようなことでも、ボランティアや仕事だと気にならずに対応できることが多いのです。そのテンションを持ち帰るような感覚です。

  • 具体的なノウハウや対応策を実地で学ぶことができ、家でも実践できる。
    特別支援は、メインとサブの先生がいることが多く、たいていチームで支援していきます。ベテランの先生の見立てや支援はさすがで、尊敬できる先生が多くいらっしゃいました。わが子に生きる具体的な支援を聞けるわけではありませんが、現場で実践していることで参考になることはたくさんありました。

  • 痛みが分かり、ありがたがられる。
    特性のある子を育てたその経験自体が、スキルとなることがありました。目の前の子どもの心が分かることもあり、そうすると、困ってる子と担任の先生の間の心の通訳を担うこともありました。

支援以外のことでも同じ

自分が枯渇していたら、人に何かを与える前にまず自分を満たすことが大事」だと思っています。
一方、特性のある子の子育てで疲れ果てていた私。支援することでいただくものが多かったときは、これに当てはまらず、
自分が枯渇していたら、人に何かを与えることで、自分が満たされることがある」というのも、一見パラドックス(矛盾)のようですが、また真実でした。

今述べてきたのは、
特別支援でつらいときで、物理的に可能な場合は、他の子の支援をしてみるといい
ということですが、特別支援以外のことにも当てはまると思います。
きつくてつらくて、助けてほしいけど助けを求められないとき。自分が誰かを助けてみることで、自分自身が救われる、ということは、あるんじゃないでしょうか。

迷ったら、やってみたらいいんです。ちょっとやってみて、余計につらくなる・きつくなるようだったらやめればいいし、これは意外と自分も救われてると思える体験になったなら、それが突破口になるかもしれません。

終わりに

私の場合、ふと思い立ってボランティアに行ってみたことで、なぜか分からないながら心が震えるという経験をし、そこから、誰かを支援する仕事をしてみよう、と、どんどん展開していきました(きっかけをいただいた先生、学童で出会ったAちゃん、支援先で出会った方々には、心から感謝しています!)
この後、大学(通信制)の入学が決まり、大学入学とほぼ同時期に保育士試験を受けて合格し、小学校支援員や保育士として働く経験をさせてもらいました。
そうして歯車が回るようになってからは、子育てのつらさこそは変わらないけれど、以前のように、どうしたらいいか分からず、抱え込んで八方ふさがり、ということはなくなりました。

もし、渦中にいて、何かしたいけど、大変すぎて何をしたらいいか分からない、という方は、助けてもらいたいという思いを、助けてみたいという行動に変えてみたら、案外救われることもあるかもしれません。

読んでくださってありがとうございました。

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それではまた明日!

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