2024.08.22武士道葉隠

皆さん、おはようございます。
今日も執行草舟さん関連でお話しします。執行さんが葉隠について話している「人間燃焼論」という動画を見て感動しました。

昨日紹介した関大徹さんの「食えなんだら食うな」もそうですが、根底に流れているのは死を覚悟し、いつ死んでもいいと思って自分の信ずる道を貫くという武士道葉隠精神であろうと思います。

葉隠はまさに自由と情熱を問いた哲学本です。自分が一旦愛したら、一旦信じたら、その為に命をかけるということです。それは激しい情熱であり、実は死の恐怖によってがんじがらめになった自分の精神肉体を解放する自由の道だと思います。

逆を考えれば分かりやすいでしょう。かすり傷ひとつ負いたくないと思う多くの現代人に自由はあるでしょうか?情熱はあるでしょうか?愛は?愛していると言いながら、結局、相手は自分が「幸せ」になるために存在すると考える人が多いのではないでしょうか。

「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」と死の哲学を説きながら、葉隠は死を覚悟して動くことで魂が生命力を活性化し、輝いてくるという生の哲学を裏に隠し持っているのです。

私は正直このような哲学を持って生きるのは、過去の偉人だから出来るのであって平凡な自分には出来ないのでは?と心のどこかで感じていました。ですが、この動画の最後で執行さんが「葉隠の思想を聞いて感動する人は自分の中に先祖から来ている葉隠を体現して生きていくことのできる血を引き継いでいる。だから、感動する人はやらなきゃだめだ。」とおっしゃったのを聞いて、強烈に感動しました。

そうだ、吉田松陰や高杉晋作、そのほかの武士道を体現した偉人に出来てなぜ同じ人間である私に出来ないのか?やろう、やらねばだめだと思ったのです。葉隠にも「武士たるものは武勇に大高慢をなし死に狂いの覚悟が必要なり」とあります。私なんて、と謙遜している人には、このような激しい行動理念は出てこないので大高慢すらも命をかけて動くなら、葉隠の中では肯定されるのです。

権力者からの言論統制、締め付けが強くなっている今の日本だからこそ私はこの葉隠をバイブルとして生きていこうと決意しました。



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