大学生のヤングケアラーの学生さんと話して感じたこと

以前、午前中の授業を休みがちな学生さんに事情を聞いたことがあります。
よく話を聞いてみると、まさに「大学生のヤングケアラー」でした。

https://bigissue-online.jp/archives/1080391889.html

ヤングケアラーとは「18歳以下」と定義されますが、実は3世代が同居している実家に住んでいる大学生(特に親御さんが定年していない方)の中にも一定数の割合でいるのではないかと思うようになりました。

日本人的な気質として、「家庭のこと」は「自分自身で何とかしないといけないこと」という意識になってしまいそうです。特に「家庭のことや家族に対して感じていること」=「すごく個人的なプライベート」となってしまい、仲の良い友人や親に対しても苦しい、しんどいと言えない人もいるかもしれません。
 
また、刃物のような「自己責任」という言葉を使わないまでも、社会の側も、制度的な面からそういう雰囲気を醸し出しているように感じてしまいます。。。子育ても介護もどちらについても、この手の議論は頻繁にありますが、本当に困っている当事者は、そもそも現状を回すことにいっぱいいっぱいで、声を上げている暇すらないという状態もあるかもしれないなと思いました。
 
社会で起こっている問題を解像度を上げて見てみると、とても複雑すぎて、自分が少し関係することですら、一つ一つのことについてきめ細かく思考の労力を割くのが嫌になってしまうくらいです。
 
それゆえ、見て見ぬふりをしてしまいがち、知らないことにしがちです。また、組織的な判断というのは制度や遵守すべき事項を守るために、「通常」と「例外」は分けて考えるのが常ですが、今の世界の状況的には、もはやその線引きすら曖昧になって、というか曖昧にせざるを得ないような状況のようにも思ってしまいます。
 
本来の連続性を、これまでのようにいかに単純化しないで捉えるか。
それが今の時代に住む、我々に試されていることのようにも感じるのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?