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空と向き合えなくて

「そんなんじゃ人生が世田谷の円の中だけで終わっちゃうよ」私は幼いとき、同い歳の従姉妹にそう言い放ったらしい。

数ヶ月前、「これだ!」と決めたら、無意識にいろんなものを一緒に背負い込んで、海でも、山でも越えていき、そこにいる生活者と、できるかぎり自分の耳と目を近づけて会話をしていた。

 なぜか学校に行けない。しまいに親に携帯の契約を止められかけて、泣きじゃくりながらリストカットして、でも小さな生き物を守るために必死になって声を上げる優しいあなた。

 入管の独房に閉じ込められ、数日間も飲まず食わず。想像も出来ないような不安に襲われているのに、障がいのあるお子さんへの愛をガラス越しに語ってくださったあなた。

 島。「今日はほんとの家に帰らないで」って、弟がご飯を持ち帰っているのをそっと見届けて、そう言わざるをえない小さなお姉さん。

 夕方はシャッター街で弁当を売って、夜から朝まで働いて「私なんか自分のことだけで精一杯だよ」って言いながら、離婚した夫婦の口論に巻き込まれている子供と一緒にコンビニにお菓子を買いに行っていたあなた。

 施設からスマホ越しに、話すのも辛いのをグッと堪えて、あなたの人生について話してくれてありがとう。綺麗な声。一緒に食べたマックのポテトは、家から2時間以上離れているのに、なんだか家族の味がしました。お母さんに一緒に手を振った小さなエスカレーターは、今日も動いていますか.

学校から家 or 家から学校 (直径5キロ)
受験前。ここ3ヶ月、わたしという生活者の「円」から外に出ていない。

 そんな円内の商店街で、中年の男性が若そうな黒マスクの女性の手をぎゅっと握って、なにかを愚痴り出す。「なんかね、もう何処に行っても僕はいらないもの扱いなんだよ。しょうもない仕事もまともに出来ない自分が悔しいんだけど、でも出来ないんだよ」女性は空いた片手でおもむろにスマホを確認して、男性はうつむきながら暑そうな背広をパサパサしている。

 彼の背中姿が私に12月31日を思い出させた。毎年「1月1日0:00」がiPhoneのロック画面に表示される瞬間を記念して、誰かに喜びをシェアするかの如くスクショをする。シェアもしなければ来年に見返すこともない。でも、その瞬間だけ、目の前の世界は昨日とたいして変わっていないのに、まるで暗くて長いトンネルから抜け出したばかりのような瞬間に自分がいれる気がする。

 でも今年の私は少しちがった。2022年へと切り替わる瞬間が近づけば近づくほど、まるで抜け出したばかりのトンネルが再び目の前にあらわれて、もう少し眩しい空を見せてよ、と強く願うかのようにパソコンのスクリーンと向き合っていた。その眩しさの中で、想いは届けたかった。

 3日後、グーグルカレンダーには「flight to Nagasaki」と書かれていた。私はまるで故郷に帰るかのように黄色いスーツケースを持って飛行機に乗り込む。こなれた手つきで市内行きのバスチケットを買ってみると、ようやく2022年であるという事実が夕焼けの上に千草色が漂い始めるかのように脳内に浸ってきて、次第に寂しくなっていく。

 稲佐山の帰り道、病院の裏からタクシーに乗ると運転手のおっちゃんが話しかけてくれた。「今から帰られるとですか?」という呼びかけに3人で答えた返事はエンジン音にかき消されたかのように耳に届かなかったように思えたけれど、おっちゃんの話は淡々と続いていった「迷惑かけてばっかの看護婦の娘はなかなか帰ってこんで、」「こないだ自衛隊の人と結婚して福岡で生活しとるみたいなのだけど、」「実家は長崎の南のとんでもない田舎でね、」「青いドラム缶風呂だったんよ」・・・

「あ、ここで降ろして頂いても良いですか」バタバタバタ…。
「じゃ、570円で良いよ」と優しく言い放っておっちゃんは去っていった。

まるで連想ゲームのように続くおっちゃんのモノローグが包み込む車内の雰囲気はなんだか心地が良かった。話を聞いてくれる他者の存在が生まれた時に、自分の過去の経験や知識が連想ゲームのように言葉に起こされ、紡がれていく。その言葉たちに改めて思考を巡らせた頃、自分も同じプロセスを伝い、共感が生まれている。そして、お互いが共感しあった頃には対話の時が終わってしまい、思い出として新しい他者への共感のために用いられている。この流れのスピードがSNSでの瞬発的な「いいね」による錯覚的な共感の速さよりも私にはとても心地良く感じられたのだ。

おそらく、ものごとの速さはスローダウンしている。

ドイツから帰国した直後、私は山手線に乗ることができなかった。今になっては笑い話だが、あまりにもドアが閉まる速さが早く感じたのだ。でも、その違和感が平常だったのかもしれない。

多種多様で、個性的で、美しくも寂しくも見せられる。
昼。夜。変化が激しく、雨の日は弱くて、風は強くて、とにかく大きな空。まるで人の感情の集合体。

円の上に空はあるけれど、円の中だけでは、空とは向き合えない。でも、それでいい。今の私はもうしばらくの間、「円」の中で生活者のスピードを取り戻していきたい。

そして、私の中に誰かになにかを伝えたい思いが残っているのか、自分の声を聞き取るような時間にしたい。


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