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影響を与えてくれた言葉シリーズ4 「相手を尊重する気持ちがあれば介護は誰でもできる」

久しぶりの「言葉シリーズ」4つ目です。今まで、特に仕事をしてきた中で新しい視点をくれた言葉や背中を押してくれた言葉、ずっと覚えているありがたかった言葉をシェアしたいと思います。

今回はある、介護施設を運営する役員の方から15年くらい前に聴いた言葉です。
「相手を尊重する気持ちがあれば介護は誰にでもできる」というもの。

「介護の職に就きたい人、介護を仕事にしたい人」に向けての言葉だったのですが、家族にとってもとても大事だと思います。

ですが、この言葉を忘れるときが数年後自身の親の遠距離介護でやってきます。

頭では分かっている。「相手(私の場合は親)の希望を聴く。どうするのが本人や家族にとって良い暮らしが続けて行けるかの意識を持つ」ということなのですが、実際は身内の介護って当時「未知」だったので、恐怖が強いんです。
一つ一つ、「ええ!」というようなことがやってくる。
親の身体能力の低下、自分が一緒に実家に住むわけにはいかない状況、親が住み慣れた家を離れてうちに来ることは「とんでもない!」と思っている状況。

そうなると「安全第一」という考え優先になってきました。
例えば「一人でいるときに転倒しないだろうか?」「ガスの消し忘れで火事など出したらどうしよう?」という「もしも」を考えると「施設が良いのでは?」「良い施設とは?」になったのでした。
ですが、ここで本人の意向は全く反映されていないんですよね。

追々少しずつ話し合いをすることになるのですが本人は「絶対に嫌!」だったので結局「あのリサーチしまくりは何だったのか?」となったのでした。

ですが、今思えば必要なことでした。どんな可能性があるのか、どういう風に暮らしていくのが一番良いのかというのは決まったレールがあるわけではないし、超高齢化社会だからサービスもどんどん進んでいます。親本人の情報収集力って私たちIT取り入れてる世代に比べて1000倍くらい差があるので(本当に、そう思います!)本人の情報収集は全く期待できません。
ネットで調べる、包括支援センターに聴く、ケアマネさんから情報をもらう、知人等に訊くなど離れて暮らす家族がいろいろやっても、やり過ぎではない、という気がします。

その後色々ありながら落ち着いていきます。
「相手を尊重する気持ちがあれば介護は誰にでもできる」。いろいろあった中で、家の親の場合は「私は絶対こうしたい」主張がめちゃくちゃ強い分そこを尊重することでコミュニケーションがうまく行く、というのが結果としてとても良いと感じます。(とはいえ、体力や認知機能の状態からなんとかできた、というのが正直なところです。本人がいくら望んでも沿えない場合もきっとあります。ですが結構粘り強く検討したりやり取りすると「もう、こうだな」というその時点の最善、というのは見えてきたような感じがしました。)

コミュニケーションが上手く行くと本人の精神が落ち着いているので日々穏やかです。これ、本当に大事です。本人、関わる家族が平和に(生活、仕事含めて)暮らせます。
本人の精神が不安定だと体調にも出やすいし(ストレートに病は気からという感じ)、機嫌が悪く空気感も良くないです。
本人も家族も穏やかで暮らしの小さな嬉しいことを共有できる、というのは幸せなことだと思っています。

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