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サッカークラブの根幹とは

小難しいタイトルを付けているがそれほど大したことはない。
勢いで書いているので乱文ご容赦頂きたい。
また、当方横浜F・マリノスのサポーターという立場のため120%贔屓目が入っているので合わせてご容赦頂きたい。

Jリーグも後半戦に入り、戦績が思わしくないクラブの監督交代がニュースとなっている。
その時に我がクラブのサポーター界隈で話題が上がるのが、
チーム改革を行う時の「胆力」の話題である。

2018年我が横浜F・マリノスも、降格の危機に瀕していた。
アンジェ・ポステコグルー(現スコットランド セルティックFCの監督)が持ち込んだ過激な攻撃的サッカーに、ファン・サポーターは魅了されたものの、良いときは大勝・悪いときは大敗・連敗という流れで低迷。
降格危機・監督解任一歩手前までいった。
当時は、サポーターの間でも解任論が出ていたように思うが、個人的にはこのサッカーに魅了されていたので「持ちこたえてくれ」という祈るような気持ちがあった。
耐え忍んで、そして、2019年リーグ優勝を掴んだ。夏に三連敗してこのまま沈むかと思いきや、終盤怒涛の無敗・連勝を繰り返し悲願の優勝を果たした。

2019シーズン 優勝



我がサポーターから、他チームで監督解任が出ると、「うちみたいに堪えられないのか?」という論調の声が上がるのはこの成功体験があるからである。
以前、清水エスパルスが、アンジェの片腕クラモフスキーを招聘、同じサッカーを志向しながら、シーズン途中でコーチもろとも解任にしてしまった時に、大きく話題に上がったのは記憶に新しい。
アンジェの片腕を「引き抜いた」結果だったのでマリサポとしては、なんか言いたくなったのは致し方あるまい。

22シーズン今期も「解任」のニュースが残念ながら頻発しているのでこの話題が出る。

もう一つ、アンジェ・ポステコグルーの前任監督エリク・モンバエルツ(2015~2017)がこのチームの基礎を作った。改革はそこからだったという説も一緒に出てくる。

どちらもその通りである。一つだけ違うのは、エリクの時は、「終わりの始まり」と言われた、痛みを伴う改革の最中であったこと。クラブの長きに渡る功労選手たちを「戦力外」として若返りを結果的に敢行した時期。
サポーターがもろ手を挙げ支持していたか?というとそうでもない。
当時それほど深いサポーターでもなかった私は、
「CFGのコネ監督だからモンバエルツだけは解任されない」という言葉を幾度となく聞いた。

あの時があり、今があるのは確か。
私がちょっとだけ、「解任騒動~うちは耐えた」論争で違和感を覚えるポイントはなにか?
そうなんです、違和感があるんです。最近。

エリク~アンジェ政権の時のクラブは、チームだけが変わったのだろうか?

違うと思っている、クラブ全体の哲学・方針すべてが改革されていったと思っている。

クラブは、ファン・サポーターを今ほど観察してくれていたか?声を聴いていたか?
サポーターの声は多少聴いていたと思うが、今は「ファン」の声も聴いている。
「横浜沸騰プロジェクト」も「LINE順番待ち」も、CDAさんのスタグルの組織的な充実も昔はなかった。
エンタメとしてのホスピタリティに尽力するクラブ像が昔はそれほどなかった気がしている。

充実のスタグル
沸騰プロジェクトから生まれた企画



選手とクラブの関係性も変わった。メディアを使ってクラブ批判を繰り広げる選手が減ってはいないだろうか?
選手にも多少の不満があるとは思うが、クラブとしっかりコミュニケーションを取っていると感じる。
今となっては、某横浜のクラブにいるレフティのレジェンドや韓国にいるドリブラーも、コーチ(現役として?)として復帰するまでの度量がありそうな気がしている。
もちろん「裏切られた今でも許せん」サポーター心情はあろうが。
現にOBのコーチ復帰や来場が増えているように思う。

スポンサーとの関係性もそうである。遠い存在だったスポンサーも今や選手・ファン・サポーターとの距離が近い。
冠試合の盛り上がり・企画の充実度は、近年高くなっていないだろうか?

アンジェ政権時、マリノスファミリーという言葉が躍るようになった。
チームの一体感を示しているが、私はクラブの一体感を示している。と思っている
今やチームだけではない、フロント・会社/スポンサー/ファン・サポーターも含めてのコンテキストとして使われていないだろうか?

マリノスファミリー


これっていったい何が改革されたんだろうか?
根幹のフィロソフィーに基づいて運営されているから
に尽きるのではないだろうか?
横浜F・マリノスにはクラブフィロソフィーが掲げられている。


これを私なりに解釈すると、サッカークラブとして強くなります
ではないのである。

スポーツエンターテイメントとしてクラブ全体で昇華させていきます
である。

勝っても負けてもエンタメとして楽しめるサッカーを見せる
観戦に来ても、来なくても楽しめるエンタメコンテンツを提供する
コンテンツをベースにスポンサーと共創を行う

三方良し ではないが、そうなっているはずである。
そして何が起こっているか?
結果的に「属人的なコンテンツ」になっていないのだ。

監督はアンジェから松永さん、そしてケヴィン・マスカットに引き継がれた。
社長も古川さんから黒沢さんへ引き継がれた
選手もそうである。「誰かがいないとチームがなりたたない」という絶大なヒーローはいない
中村さんも齋藤さんも中澤さんもいなくなった。
極端に言えば「誰が出てもマリノス」という言われるチームになっている。

チーム・会社・スポンサー・ファン・サポーター
この関係性の中に、サッカーのエンタメとしての強さがあり
それを楽しむのが、サッカークラブの根幹ではないのかなと思っている。

監督交代・退任・解任のニュースに触れるたび、チームが競技として勝つための強化の話だよなと。
確かに同じレイヤーだけれども、論点が違うと思っている。
我がチームの「改革」はクラブ全体が変わった中でのひとつの側面、監督を継続したか、してないかのひとつの側面を取り出して比較しているだけのような気がしている。

世に言う、Apple to Apple になっていない気がしているのだ。
極端な話、我がクラブもエリク、アンジェの時代、クラブ自体が何も変わらないままだったら、とっとと解任していた気がするのだ。

そんなこんなで、
なんだか違うよなと思っている今日この頃である。

以上解散

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