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Grove Innovations


1995年NOBAレース会場の設営
当時のメンバー 

Grove Innovationの創業者

Bill Groveはペンシルベニア州で産まれました。彼は機械修理の店を営む父の影響もあり幼少期から工作機械に触れ育ちました。
彼の遊び相手は父の道具の旋盤 ボール盤 フライス盤 溶接機で彼はこの時期に物の修理についてのやり方を覚えたようです。

ペンシルベニア州の父親の店で、 彼は機械工およびエンジニアとしてのスキルを磨きました。
その過程で、ビルは自転車に興味を持ち、 10代の頃にはトラックレースに興味を持つようになりました彼の自転車への入口になります。

彼の製作したTrack Bike

彼のバイクは凡そ壊れることがないバイクを作るという思想が念頭にある為、基本軽量には作られないがフレームはかなり頑丈だ

極太のダウンチューブ

彼の自転車に対する情熱と機械工としてのスキルが彼が自転車を作ることに導いて行きました。

その時点から愛は深まり、 彼の2つの才能の相乗効果が後のGrove Innovations の設立につながりました。

当時の名刺

彼はMTBのビルダーとして名が知られていますが前述のトラックレーサーに始まり、様々な自転車に対しての興味がありました。

ビルのデザインが機能するのは、彼が多種多様の自転車の機能を理解しているからです。

70年代に彼は最初の会社である
Titron Titanium Componentsを設立しました。

この会社はチタンとマグネシウムの軽量コンポーネントの設計と製造を専門としていました。

当時はbmxブーム真っ盛りで彼は自分の持つ知識、切削技術を使いパーツブランドとして業界にアプローチをしようと考えていた為です。

BB圧入部分はスーパーエンプラで作られている

彼はBMXレースにも参加することがあった為、会場でライダー達の意見を聞き、製品開発に役立てました。中でも有名な丸い形のベアトラップはペダルは角が食い込まず踏みやすく使いやすいペダルで今も名前とデザインが残っています。

これらの優れたコンポーネントは多くのレーサーの関心を引き付け、彼は業界で有名な BMX 会社であるHutch Hi-Performance BMXからオファーを受けて
次の事業に向かうことになりました。

彼はTriton をHutch Hi-Performance BMX に売却して、Hutch のリードデザイナー兼生産マネージャーの地位に就きました。

Hutch名義で出されたベアトラップペダル
タフなレーサー向けの4130クロモリシャフト
軽量レーサー向けのTitaniumのライナップ

Hutchで、ビルはフレームビルダーおよび革新的な
自転車コンポーネントのデザイナーとしての成長を続けました。

SUNTOUR

日本の企業であるサンツアーは当時アメリカの動向をチェックすることに余念がありませんでした。

ブームはアメリカからやってくると言われる程
当時の日本ではアメリカでの流行が日本での流行りを決めていました。
市場調査の為に賞金を出してレースを主催するほどです。彼らはレーサー達がつけていた、丸いスパイク付きのペダルに注目します。

このデザインはビルによってサンツアーに売却されましたが、サンツアーはパテント料の支払いを途中で怠って非常によく似たデザインの XC ベアトラップペダルを発売しました。

ベアトラップの名はもはやサンツアーのものになり、後のMTBシーンではサンツアーXCペダルが
ヒッピー達のトレンドになることになります。

彼は85年の終わり頃にHutchを辞めて86年に今日の主役Grove Innovationsを立ち上げることになります。

カタログの思案
1986年の様子

彼の工房ではフレームは専用ラックに掛けられ作業工程順に使用する工作機械が置かれていました。
これより業務がかなり短縮化され、フレームの大量生産が可能になりGROVEの事業は順調な滑り出しを迎えました。

HARD CORE用の治具
筆者のHARD CORE

綺羅びやかな塗装に目が行きがちだが、彼の溶接技術はとても素晴らしく、断面に対してとても丁寧な仕事が感じ取れる、汎用の小物なども基本使わずに工房で製作する拘り、彼の製品に対しての思入れが良くわかる

Patco製Dillsburg4130チューブ 
YETIと同一の物だと思われる

MBAに掲載された広告

クランク、ステム、ハンドルバー、ボトムブラケットに至るまで工房で製作していたと言うのだから
驚きを隠せない、いくら量産体制を整えたから
と言って従業員は5人にフレーム製作はビル一人
長い時が必要だったのは言うまでもない

NOBAレース
Groveのサポートレーサー
レーサーのみが利用できるカスタムペイントが施されている
筆者のAssault

オールラウンダーなMTB、まさに全地形対応自転車ATBだ、80年代終わり頃から90年代前半のレースで活躍した。

写真右側に映り込むGrove Team

Groveは地元の英雄だった
彼らの製品は作れば売れ、提携していたショップでは常にバックオーダー待ちだったといいます。

GroveXのインプレ 
改造されたローラーカム

ローラーカムの制動力、ハンドルを左右に切る時に左右のアウターに干渉するワイヤールーティングに満足の行かなかったビルがサイドプルに改造したものです。
これによりかなりの制動力を得ることができるようになりました。

治具で製作された筆者のGrove X

機能としては何の問題もありませんでしたが、手間のかかる作業である為、製品化される際にカンチブレーキ台座へと変更がなされました。

HARDCORE以外の車体も乗り込んでまたインプレを書こうと思います。

話を戻して、ペンシルベニア州の限られた地域の人々以外にはあまり知られていないGroveInnovationsだが、アメリカやカナダのビルダー間のコミュニティではとても有名だったようだ

FAT Chanceのオプションに登場するGroveステム
OFF ROAD TOAD
DirtSharkの オプションパーツとして販売

彼はビルダー達へのパーツ提供も行っている
HUMMER HEAD
HUMMER HEAD STEM
はバラでの販売がメインとなっていた

HOT HEAD

HUMMER HEADは焼入れを施していない4130のクロモリバーで焼入れの施してあるGrove純正のHOT HEADと比べかなりマイルドな乗り味になっている

HOT HEADは薄く軽量だがかなり硬い

HUMMER HEAD→HOT HEADという
安直なネーミングセンスもいい

Groveのボトル

奇抜なステムも縦の振動は撓らせ、逃がして
左右のハンドル操縦は潰してある断面でスムーズに動かせるようにといったビルの思想が反映されている
見た目は奇抜だが、思った以上にちゃんと機能するから困る

塗装工程
塗装ブースから出たフレームは専用ラックに立て掛けられる
フレームのリペイントサービス
GroveによってリペイントされたCannondale
92年の工房の様子
僅かだが、フルサスペンションのバイクも製造した

小規模のMTBメーカーにAMPのリアバックが多いのは、サスペンション設計を行う予算がなかった為であった。なので他社で良く使われており、確かな実績があるAMPのリアバックの採用が行われていた。有名所で言えばFATCHANCEが該当する

日本ではワークショップモンキーなどが採用していた。

彼らの資本について
小さいメーカーにしては、様々な事業に手を出しており、レーサーはチームジャージを着用し、専用ボトル、ケージ、タイヤなどそこそこ資金力があるように感じる
彼らは当時のSPECIALIZED最大手の代理店から資本面でのバックアップを受けていたようだ

なので彼らのチームジャージにはスペシャライズドの名前が付いているし、スペシャのパーツをよく使用している

Grove Innovationsの終焉

HandCycle
競技用車椅子
競技用チェアスキー
特注サイズのミニベロ

彼は自分の技術をいかし、頼まればなんでも作った
特にチェアスキーは有名で障害を持つアスリートの間ではとてつもない人気を誇ったようだ

核廃棄物の密閉容器の製造もやっていたようだ
アメリカ政府からの依頼で毎月製造していたらしい
楽しい仕事ではなかったようだが、給料はとても高かったようで、Groveの資金調達に一役買っていた。

日本のオリンピックチームの競技車椅子製造の様子

彼らの仕事は順調だったが
ある日カリフォルニア州でスキーヤーが範囲外を滑り40フィートの崖から転落した。
スキーヤーは重体になってしまった、彼は逆恨みでスキーを恨み、スキーの製造上での問題があって操作ミスをしたと主張してGroveInnovationsを訴えて
Groveは解散することになった。

この製品が障害者コミュニティで紛失した後、その男性は他の障害者スキーヤーから何年にもわたって殺害の脅迫を受けることになった。

ビルはその後、トイザらスや他おもちゃ・ホビーの設計を行うことになるが、終ぞ自転車の表舞台に戻ってくることはなかった。

Groovy Cycleworks

しかし息子のロディが看板をかえてオハイオ州でフレームビルダーをやっている、彼もまたビルの背中を見て工房で育ち、機械についての興味を抱いたようだ。

写真、中央の人物

それならばGroveInnovationsは無くなったわけではないように感じる

GroveInnovations時代の客が23年後
にRodyに再注文したHARD CORE

出典、引用












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