「仕事できる・できない」なんて評価はダサい。
こんにちは。えのもとです。
新しい職場仕事をしていて、同僚の人からこんな相談を受けました。
「僕はスター選手みたいな仕事ができる人間ではないから、だめですよね。。。」
でも、そもそも仕事できるとかできないとかで、そんな凹むって三重にイケてないなって思うので、んなもん気にすんな!って言いたくなって、いろいろその場で話したんですが、まとめられなかったのでnoteの場を借りてお伝えします。
1.仕事できる・できないはロジカルな発想で下された評価
そもそも仕事ができる・できないなんて、ちゃんと測れんの?という話。
「成果にコミット」とか言う人も、「適切な成果を測る指標って?」って聞くと答えられなかったりするのと似てるんですが。
要は、論理的に物差しや価値基準を作って評価してるんですが、仕事っていうクリエイティブなものでそれを一義的に測れるの?っていう。
人間もっと多面的で、横の長さ測ったら短いのかもだけど、奥行きは実はすんごい深かったりとかあると思うんです。
だから、そんな一義的にそれを測ったものでできるのかな?とか、仕事ってのは複雑系な訳で一部の要素を悪いと決めつけるのもおかしいと思うし。
2.仕事できるってのが目的化しても意味なくない?
こーゆー仕事ができる・できないって発言って、市場価値とか仕事ができることを目的化してる人に多い発言かと思います。
しかし本質は、ミッションを達成することで、そのやり方だとミッションを達成しづらいとか、課題を解決しづらくなるということです。
市場価値を気にする人は、危機感や恐怖、仕事にロマンを持ち込んでる人に多いのではないか?というのが僕の仮説です。
「お金がなくなったらどうしよう?」という危機感から市場価値を上げないと!となったり、「俺らがいないとこの課題は解決できない」とロマンを夢見て、ワンピースみたいなものを投影したりであったりとか。
いずれにせよ、そういうスタンスからの発言では本質が余計見えにくくなるかと。
そして、それは「コトに向かう」ということからも遠ざかります。
3.言われた側は余計消極的になる
そして、言われる側にもイケてなさが出てきてしまいます。それによって、自分には才能がないとなってしまい、結果的に悪循環に陥ってしまうんです。
これによってさらに自分の頭で考えたり、自分の個性や強みで挑戦をしようと思ったり、具体的にスキルや技術としてここを直そう!というのが余計なくなって現状維持どころか、悪化していってしまいます。
僕はそもそも人はみんな何かしらの可能性を持ってると思っていて、仕事ができる・できないではなく、それを発揮できている・いないの問題だと思ってます。
それを一義的に潰すのは人の可能性を潰すことと思っていて、その結果、「仕事できないね」って評価でイケてない三重苦が訪れてしまいます。
評価は具体的に、キャリアは個性的に
そこでここは注意していこう!と思ってることをまとめます。
・勝手に作ったロジカルな基準による評価なら、技術も体系化できるはずなので、フィードバックを具体的に返す。
・ミッションに対してどうなのか?という視点で仕事に向かう。「コトに向かう」
・キャリアは個性や強みを活かして構築する
是非皆さんの意見もください。深めていきましょう。ではでは。
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