おいしくるメロンパンのライブ化けについて



邦楽に詳しい人なら、特に20代前半くらいまでの人なら、一度は耳にしたことのあるバンドだろう。おいしくるメロンパン。スリーピースの彼らである。


色水のMVがもう5年前。時の移ろいは早いもので、ちょうど自分が邦楽にかぶれだしたのもその時期だった。のでよく覚えている。自分の邦楽の世界の入り口らへんにいたのが彼らである。


あんなに技術があるのにいまいちパッとしたバズりがない理由は、まぁ何となくわかる。
小説と音楽を載せたあの感じ、一見無害そうなフリをして繊細でプライドが高い。故の「堅さ」なのだろう。ぎこちない、慣れてない、みたいな「硬さ」ではなく、音楽に対する誠実さ、真面目さ、からくる「堅さ」。それは彼らのライブでのMCからも読み取れる。大人しそうに見えるでしょう、けれど、ただ黙っているだけで、熱い熱い情熱がいつも彼らの内側を満たしている。



そんなことに気づくのは、同じく繊細でプライドの高い受け手なのだ。みんながみんなそこに気づくわけではない。


大抵の人は「中性的で声の高い男性ボーカル、今っぽいよね〜わかるわかる」そちら側には自分は行きたくないけどねミーハーだね、と、心の声付きで一蹴、偏見や先入観の強さでまずアウト、聞かず嫌い誕生の瞬間である。

次いで、これはほぼ女子だが、「中性的な人が好きなの‼️ナカシマくんかわいい〜‼️‼️‼️」と、先ほど述べたスタートラインは難なくクリア、だがここから「この曲のこの音の深さが…」とか「これ!ここなのよ、ここのドラムが最高で…」とか言いだすようになるのはレアだ。大抵は並べられた言葉の難しさに「やっぱそんな好きじゃないかもー」である。


そんなこんなで「おいしくるメロンパンが好きなやつはこう」という偏見は生まれやすいのだ。

自分がおいしくる好きを公言することでどう見られるのか気になってしまう。偏見どおり見られたくないなら「あ、そんな大好き!ってわけじゃなくてたまに聞くくらいなんだけどさー笑」とかなんとか言っておけばいいのに自分の気持ちに嘘はつけない。彼らに嘘はつきたくない。そんなこんなで、おいしくるメロンパンの音楽がぶっ刺さり、心から愛しているような、繊細で、プライドの高い人は、ひっそりこそこそ聞いてる。それかTwitterで専用垢作って界隈張ってる。


これが「おいしくるメロンパンが最推しです!!!!」と胸を張れない理由だ。


私自身、繊細でプライドの高いめんどくさい受け手の1人である。良くも悪くも闇や影に惹かれがち。そしてどんなに暗い世界でも光を信じがち。良くも悪くも。
あなたは殺人事件で逮捕された犯人は絶対悪、どんな理由があれこいつが1番悪くて当然と思いますか?それとも加害者の生い立ちや環境に思いを馳せて熟考するようなマザーテレサタイプ?後者の皆さん、仲間です。生きづらいね。

マザーテレサだからこそ、「いや、声がどうの見た目がどうのって言われてるけど音最高じゃん」「え?マジで音すごくね?自分素人で語彙がないから『すごい』としか言えないけど」「かっけえ。本気ですごくね?やばいやばいやばいやばい」になりやすい。ちょっと疎遠にされてるものに歩み寄って救いを見出しているうちに、その救いが本当にとんでもなく素晴らしくBIGなことに気づいて1人戦慄する。そしてその繊細な心で曲に想いを巡らせ、高いプライドでうまく周りとコミュニケーションを取れない。

世に出ているおいしくるメロンパンの曲をあさりにあさって耳にできたタコで寿司握れるくらい聞く。


おいしくるのオタクってこんなもんだと思ってる。


だが!


おいしくるのすごいところはここからだ。


今まで出てきた登場人物全員の心を掻っ攫うのだ。



これ。これです。元の曲を知っていた方がこうかはばつぐんなので知らない人はぜひこちらから。↓



聞きましたか。どうですか。
心、掴まれたでしょう。


これが彼らの強みである。もう偏見とか長い前髪が好きとかマザーテレサとかどうでもいい。これに心が動かない邦楽ロックファンがいるのだろうか。このライブの前に私たちはみな無力。ただただ圧倒され、圧倒され、圧倒されて、いつのまにか終了。
心臓が早く打っているでしょう。衝撃が頭から離れないでしょう。

こうして心においしくるメロンパンが植え付けられる。


そうしたら、どうですか、なんか、違って見えませんか、彼らのこと。


これがおいしくるメロンパンの最大の武器だ。


素人でもわかる演奏力の高さ。素人だからこそわかるものなのかもしれない。あの、言葉にできない、心の動きが何よりの証拠だ。
ギターもベースもドラムもソロパートが設けられている。歌っているより弾いてる方が長いんじゃないか?あの演奏力がなによりの煽りだ。かっこいい。かっこよすぎる。言葉では表しきれない。漏れなく全員カッコいい。



先日、アーカイブなしのYouTube Liveでなんと、ツアーファイナルの映像を丸々全部流してくれた。カッコいい。カッコよすぎる。もちろん全部見た。たしかに巡っていた。何通りもの循環を見せてくれた。
終始あのクオリティである。ぶっ通しで演奏し続けてあのクオリティ。私はナカシマさんのよく通る声が好きだ。ナカシマさんは終始あの声で綺麗に歌っていた。すげえ。楽器それぞれのアレンジについては語り尽くせない。見た方が早い。

ライブパフォーマンスが本当に見事だった。ひとつの組曲のような、各章つながりのある短編小説のような。どこかひとつを切り取ってはならない、始めから終わりまででひとつの音楽。そんなライブだった。


テーマは循環。幾千もの季節や命を巡ってラスト、飾ったのは「斜陽」。おいしくるのサビは突き抜け方がうまくて、聞いていて気持ちいい。スッと耳に入る。この曲は特に、私の中では、「5月の呪い」に並ぶくらい明るい曲だ。冬を無事越して春が見える。


この斜陽を聞いて、勝手に涙が流れた。なんでなのか分からない。ただ、本当に、自分でも驚いたのだが、泣いていた。画面上とは言え、ライブで見せてくれたあの景色に胸がいっぱいだった。



ご時世もあり、私も一介のジュケンセーなので、こんなに長いひとりごとをつらつら書き並べている場合ではなく、もちろんライブに行く精神的余裕もなく、そんなこんなでおいしくるのライブに行くチャンスを逃してしまった。こんなもん目の前でかき鳴らされたらどうなってしまうのだろう。こわい。

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