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兼題:アポロ杯(夏の俳句) 夏井Rxの妄想一句一遊・金曜日

※この記事は2021年8月前半(投票による優勝句が決まった後、アポロさんによる大金賞などが公表される直前)に書いたものです。そのため私が大金賞を取るだなんて夢にも思っていないタイミングでのコメントであります。

(なお、アポロ杯の記事が一段落ついてから投稿して、熱気を再燃してもらおうと思ってこのタイミングでの公開となりました点、ご了承下さい。)

【はじめに】
この記事では、夏井いつき組長が愛媛のラジオ局・南海放送で20年以上続けている俳句帯番組『夏井いつきの一句一遊』をnoteパロディした企画である『夏井Rxの妄想一句一遊』をお送りしていきます。

過去には、『土曜日』と題し、古今東西の名句を紹介してきましたが、今回は『金曜日』と題して、noteで大盛りあがりを見せた俳句大会「アポロ杯」の投句の中から私(Rx)が勝手に選んだ金曜・優秀句を紹介していきます。

(↓)元番組についてはこちらの記事から。ぜひ皆さんもご参加ください!

♪ オープニング

夏井Rx「note俳句部のRx組組長・夏井Rxです。」

家藤Rx「アシスタントの家藤Rxです。」

今週の兼題は、アポロさんが立ち上げた俳句大会『アポロ杯』から「夏の俳句」というテーマで、私が(投票始まる前に)選んだ約10句をご紹介していきたいと思います。

本家・夏井いつき組長に準拠して、基本的には『有季定型』を軸に評価して選ばせてもらいました。「プレバト!!」ぐらい季語には厳しい目を遅らせてもらっていますので、そのつもりでお読み下さい。

まずは、初心者が陥りやすい類想を抜け出した句たちからご紹介していきましょう。「ひろみ」さん、お名前を「ゆず」さんに改名されての1句です。

① 『夏帽子一年生とゴミ拾い』ゆず

今回のテーマで、多く題材となっていたのが「夏休み」系です。「夏休み」という季語を入れた俳句は10句以上。そのうち具体的に何をしたのかを書いていたのが約半数でした。

しかし、ゆずさんのこの句は、工夫に満ちていて、『才能アリの俳句』を目指す上でのお手本のような作品です。具体的に見ていきましょう。

まずは『一年生』という人物が出てきます。その子は『夏帽子』という季語を被っています。恐らくは、夏休みなんだろうな、と『夏休み』という季語を使わなくても、詠み手は想像できるでしょう。(厳密には夏帽子と一年生で切れるのですが、ここは細かい部分は割愛します。)

そう確信させるのが、下五の『ゴミ拾い』です。「夏帽子を被って一年生とゴミ拾いをした」と書けば絵日記の一節ですが、こうやって切り取るとちゃんと俳句として詩心を描き始めるのだから凄いものです。

「一年生」が小1か、中1か、高1か、或いは社会人1年目か
「一年生と」の「と」にある作者は、上級生か親か先生か
「ゴミ拾い」する場所は、海か森か道端か学校や家の周りか

「ゆず」さんの記事を読めば正解はわかるのですが、その記事を読まず文学として見ても、奥行きがあって非常に洗練された俳句だと感じました。これについては、夏井先生がYouTubeで話されている内容をそのまま踏襲するお手本のような作品なので、ぜひ合わせてご覧頂ければと思います。

続いて、2歳の双子の姉妹のお父様の日常をうまく切り取った一句です。

②『夏祭り「祭り」の意味を聞く娘』そりょうひん

これも子育てをされている皆さん、経験おありじゃないでしょうか。丁度、2歳を過ぎる辺りから「イヤイヤ期」から「なぜなぜ期」がやってきます。大体は適当にあしらってしまい勝ちなのですが、時折こうして大人もドキッとさせられるような質問が来る。子どもの問いとは深いものです。

上五の『夏祭り』も、多くの方が類想に陥りやすい季語です。家族、友人、恋人と一緒に行く句は巷に溢れかえっています。しかし、この句は、そこに一つドキッとする仕掛けを入れているのです。

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中七に鉤括弧つきの「祭り」が出てきます。(細かい季語の話しをすれば、夏祭りは文字通り夏の季語ですが、「祭」単体でも古く葵祭のことを指した季語です。ですから機械的に捉えれば季重なりとも言えます。) 詠み手は『ん? なんで祭りが鉤括弧を付けて再登場してるんだ?』となります。

そして後半で種明かし。口にしてもゴロ良く、『「祭り」の意味を聞く娘』と展開します。この17音の文字列を見るだけで、きっと娘さんは小学生低学年以下で、親と一緒にお祭りに(初めて?)行き、大人が口にする「祭り」という言葉の響きに素朴な疑問を持ち、ぶつけてきたのでしょう。

なぜなぜ期の子どもをとりあえずで納得させる説明も容易ではないですが、大人のプライドからして「祭りの意味」をどこか脳裏で堂々巡りしながら、子どもの手を離さないように縁日の参道を歩いていく若い親の姿が目に浮かぶようです。本当に素晴らしい句だと思いました。

「子ども可愛い俳句」も、ここまで洗練できると作品として、多くの人に、納得や気付き、共感を与える粋なものとなっていくのでしょうね。

時期もあったのでしょう。「金メダル」やら「夏季オリンピック」を詠んだ作品も大変多かったですが、この句はなんか2021年のリアルを感じました。

③『夏の月東京五輪始まる日』IKUKO TAKANAGA

新聞の俳句や短歌欄は楽しみ読むけれど、『作るのはからっきし』と謙遜されていましたが、元剣道部員で息子さんが元高校球児という「血筋」がこのオリンピックの夏に湧き上がったのか、金曜日に登場しましたよ!

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前提として、夏季オリンピックではありますが、1964年の東京オリンピックは、10月10日(旧・体育の日)に開会式を迎えた「秋の大会」でした。ですから、俳句の季節感に当てはめると「晩秋の大会」ということになります。

しかし今回のオリンピックは、終盤こそ立秋を過ぎていますが、7月下旬に始まり「晩夏の大会」でした。だからこそ、「夏の月」という夏の季語が、自然に同居できているのだと思います。『月』単体では秋の季語ですがね。

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そして、上五に「夏の月」というものだけが登場してから、中七・下五で、『東京五輪始まる日』という定型(7/5音)の心地よいリズムが奏でられ、その歯切れの良さが(表面的には)高揚感に繋がっているのだと思います。

もちろん、オリンピックが開催され始まることへの「不安感」や「憂慮」もある、複雑な心境での大会開催となったことがこの句の裏にある訳ですが、詠み手にとって感じ方が変わることも含めて魅力的だという風に感じます。

決して、「体育会系凡人」などではなく「才能アリ」の作品だと思います。後世に語り継ぎたい印象的な作品だと思いますよ?

続いて、有季定型だけじゃなく、洒落っ気もある作品を選びたいなと思いまして、こちらを取らせてもらいました。pokazo(ぽかぞー)さんの1句。

④『コンビニを各駅停車夏歩道』pokazo

ショートショートを創作されているということもあって、言葉選びなどが、新鮮にうつりました。一応、季語を「夏」とし、有季定型と分類しました。

まず上五で「コンビニ」という俗なものから入ります。古めかしい俳人が『略した表現はダメ!(正式名称はコンビニエンスストアでしょ!)」とかいう小言を完全に置き去りにする作品です。そこに助詞「を」を付け展開。

『コンビニを各駅停車』は、小説畑の人の言葉の組み合せ方だと感じます。当然、コンビニを各駅停車するコミュニティーバスがある訳ないので、比喩であると捉えられます。

そして、下五に季語を含んだ「夏歩道」(夏の道ではなく、歩道の「歩」としたのもダメ押しで結構)とすることで、サラリーマンか学生か分かりませんが、『コンビニを見かけるたびに各駅停車のように、何を買うでもなく、涼を求めて訪ねてしまう』様がありありと浮かんできます。あるあるです。

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こうして俳句以外も創作される方が、俳句を作って視野が広がるという経験は、「note」ならではだなと感じました。

それではここから、少し「惜しい作品」をご紹介していきます。というのも『季語』という観点からして、夏の終わりの空気感は良く分かるのですが、「夏の俳句」というテーマながら、『秋の季語』を使っている俳句たちが、一定数 見受けられたからです。良い句なんですが……ご紹介していきます。

秋⑤『稲妻よ帰途で初めて気づく意味』白

既に実績がある既作句ということもあって、作品としてのレベルは非常に高い物であると感じます。こちらの句の『あるある』感の追体験は見事です。

記事の中でもリンクが貼られているとおりでして、『稲妻(いなづま)』は『雷(夏の季語)』などと違い、秋の季語(稲が稲刈りの秋の季節とリンクする)という一点において非常に勿体ないという風に感じました。

ただ、だからといって、同じ4音の「雷よ」にすれば万事解決かというと、やっぱり『稲妻よ』の字面を含めたバランスには敵わない。そういった面で個人的には『非常に惜しい』作品だったと思いながら、取らせて貰います。

続いて、dekoさんも惜しかった、秋の季語2句目です、どうぞ。

秋⑥『吾も石も宇宙(そら)の粒なる天の川』deko

松尾芭蕉が詠み、私の大好きな句に『荒海や佐渡によこたふ天の河』というものがあります。教科書に載っていることもある天文の代表的な句です。

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旧暦7月7日(今でいう8月後半のことが多い)の「七夕」が秋の季語となっているように、秋の澄んだ空気の方が、湿気の多い夏よりも夜空が美しく見えるため、「天の川(銀河)」も秋の季語なのです。
或いは、「天の川」は季語ではなく形容の一部と捉えれば「無季」かも知れませんが、いずれにしても人によって「秋」と捉えられ兼ねない1句です。

この1点において勿体ないと感じてしまったのですが、そうした細かい部分は抜きしてこの句を鑑賞すると、大変詩心に溢れたキラキラした作品です。

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まるで『銀河鉄道の夜』で宮沢賢治が、自身の地学の知識も活かしながら、イーハトーブの川辺を描いたような晩夏から初秋にかけての透明感を、強く感じ、今回取らせてもらいました。

同様に準優勝まで行ったアッシュさんの『ソーダ水グラスの中の銀河かな』も、非常に美しかったのですが、『意図をもって、完璧に季重なり』を意識して作った作品なのかが不透明な部分もあったので、次点としました。かなで詠嘆しているのが「銀河」の方というのも少し差し引きした点です。

・「ソーダ水」(強い夏の実の季語、昼間を感じさせる)
・「銀河」  (弱い秋の虚の季語、夜間を感じさせる)

これらをいとも簡単に描いて対比して季重なりを作っているのだとしたら、それこそ「プレバト!!」の名人クラスではないかと思ったほどです。期待。

両名とも素晴らしい作品だったという風に思います、お疲れさまでしたー。あともう1句だけ紹介させてください。「うさぎと犬」さんの1句。

秋⑦『にがうりの遊ぶつる先揺らす風』うさぎと犬

絵を描きながら、句を紹介されていて。企画好きの方ということもあって、季語という観点から言うと、1句目は季語なし、2句目は「炎天下」と「蟻(これも夏の季語)」の季重なりなのですが、3句目のこちらは良かったと思いました。

厳密に言うと、「苦瓜(にがうり、ゴーヤー)」は仲秋の季語なのですが、その他が少ない言葉で深く描けていると思いました。

『にがうりの遊ぶ』と擬人化から『つる先』に展開して前半を形成し、実は『季語でない5音と季語を含んだ12音』という難しい形でありながら、更に「揺らす風」と展開して、苦瓜の育つ初秋頃の涼しくなり始めた風の雰囲気を上品にまとっています。

ちゃんと本などで俳句を勉強されたら、一気にうまくなるんじゃないか、と思わされる方が沢山いらっしゃりビックリしている次第です。

ラジオ本編は「10分番組」なんですが、ここでは無制限にいけるので、もう5千文字ぐらい書いてますねww 多分、アポロ杯の寸評記事としては最長なのではないかと思いつつww

ここから、夏の季語の作品に戻りまして、全国各地を巡って参りましょう。個人的には『向日葵へ悩みのひとつ打ち明ける』も良かったですが、堅実なこの作品を高く評価しました。玄人好みなこんな1句。

⑧『水無月の都井を蹴散らす岬馬』晴田そわか

囲碁が四段格なんだそうですが、俳句もこんな渋い作品を作れるのならば、「プレバト!!」名人四段格ぐらいありそうな気がしてしまいましたww

旧暦6月のことを「水無月」といいますが、さて今年(2021年)の水無月は何時から何時までというのを、皆さんは意識したことがございますか?

旧暦6月1日 = 2021年7月10日
旧暦6月29日 = 2021年8月7日

でして、今回の「アポロ杯」の募集期間の殆どは『水無月』の期間だったのです。こうした時代感覚をもってして、上五の『水無月』を夏の俳句として投句する時点で、俳句に対する造詣の深さが一発で分かります。

続いて、「都井」という漢字2文字が出てきます。都井とは何か。

都井岬(といのみさき・といみさき)は、宮崎県串間市大納に属し、太平洋に面する岬。志布志湾の東端かつ日向灘の南端。

そして、「都井を蹴散らす」と出てきます。台風などではありませんよ?

砂岩及び泥岩が互層となった山地が突出し、周囲は絶壁となっている。野生の御崎馬が棲息することで知られ、「岬馬およびその繁殖地」として国の天然記念物に指定されている。(by Wikipedia)

もう一度、この句を振り返りましょう。『水無月の都井を蹴散らす岬馬』。都井の絶壁を映像として知っている方は、この句を高く評価するものと信じています。それほどに脳内にリアルに再現されます。

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俳句を通じて好奇心を広げる。それが出来るようになると、視野/世界が更に輝いて見えるようになると思いますよ? この句も本当にお見事でした。

そして、梅雨明けの大会だったこともあって、『紫陽花』の句は2句だけだったのですが、こちらの句が非常に印象に残りました。これは鎌倉かな? 千葉県からの投句、西野圭果さんの作品です。

⑨『あじさいの階段遠く光る海』西野圭果

まず、『あじさい』という夏の植物の季語は、初夏、梅雨の季節を代表する季語として多くの作品に詠まれています。この句は、『あじさいの階段』とすることで、左右前後に「あじさい」が分布している広い光景を描くことに成功しています。

『あじさいの階段』というフレーズだけで、本当に“勝った”ようなものだと感じました。どの寺院か分かりませんが荘厳な感じが詠み手に伝わるから。

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更に、ここから後半の単語一つひとつが素晴らしい。まず中七を見ますと、『あじさいの階段遠く』と来ます。「ああ、寺院の参道は石で出来てて急で上も遠く見えるし、湿ってて滑らないように気をつけないとね。」なんて、大胆なミスリードをしてくるんです!(多分、意図的に!)

下五の前半行きますよ? 『あじさいの階段遠く光る』と、何かがおもむろに「光り出す」のです。何だろう、と。何が光っているんだろう、遠くに、と。そして種明かしが最後に来るのです。

『あじさいの階段遠く光る海』。あじさいの階段の遠く上の方にあるというより、階段の下の方、或いは振り返って背後に「遠く光る海」があるのだという風に私は詠みました。私が「鎌倉」だと感じたのは、この後半の展開によるものです。

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もちろん、全国各地に紫陽花と海はあると思いますので、どこでも良いのでしょうが、いずれにしてもこの光景の二重での遠近感の描き方はただものではありません! ただただ感嘆するほかありませんでした。

そして、この方は大変な実力者だと思います。『なんちゃって俳句』なのは寧ろこちらの方ですと謝りたくなるような5句でした。犬柴さんの句です。

⑨『夾竹桃被曝電車の走りくる』犬柴

私も『祖母マスクへぽろぽろ八時十五分』と、広島忌を思った句を投句しました。みなさん、投句期間中に広島忌が、そして締切日が偶然にも長崎忌であったことを気づいていらっしゃったでしょうか。

さて、この犬柴さんの句。「被曝電車」という言葉が、句の詠みをゆらぎのないものとしています。きっと、広島市を走っていた『路面電車』のことであろうと。

順番前後しますが、ご本人の季語にある通り『夾竹桃(きょうちくとう)』は夏の季語であると共に、広島市の花でもあります。こういった配慮をされている部分も、極めて高く評価させてもらいました。

実際に広島を走っていた路面電車は、戦後、他の大都市の路面を走っていたというのを犬柴さんの記事から教えてもらいましたが、今回は敢えて別の詠みをさせてもらおうと思います。

『被曝電車の走りくる』。本当に爆心地近くであれば、きっと焼けきって、電車として動かすことは不可能だったと思います。しかし、爆心地から離れた所を走っていた電車は、その後の復興に駆り出されていたものと思われます。だから、戦後(ここでは敢えて1945年8月6日以降を指す)に実際に広島市内を走った、被曝を受けた電車を思っても良いものと思います。

ただ……。

『被爆電車の走りくる』が、現実ではなく「虚」の描写であったとしたら。大変おぞましい、人々の心の奥底を戦後縛り続けてきたトラウマを指しているものだとしたら、或いは幻覚や魂の往来を暗示しているものだとしたらと考え出して、この句を詠んで恐ろしくなりました。

76年経っても、つい昨日のことの様に思い出される方々がご存命であることを、「昔のこと」ではあるが、「現実であったこと」を思い出させてくれるそんな「夏の俳句」と思い、金曜日に選ばせてもらいました。


さあそして、いよいよ最優秀句「天」の句の発表です! 私が決勝5句の中で唯一、票を投じたのがこちらの作品でした。とのむらのりこさんの句を、今回のテーマの「天」とさせてもらいます!

(天)『顔上げてプールサイドのママ探す』とのむらのりこ

< SE(五七五拍子)

『俳句になってますか?』と不安を書いてらっしゃいますが、大丈夫です。俳句になっています。だからこその「アポロ杯」優勝作品ですから!

優勝句の良さを先方のコメント欄に書いても良かったのですが、1,000字を超える長文を他者様に寄せても……と思い、今回の記事を書いた次第です。

まず「顔上げて」から始まります。顔をあげる瞬間というのは、案外多く、朝起きた時、洗面台の前、座ってて誰かが立っている時など色々あるかとは思います。

そこから、中七で「顔上げてプールサイド」と来ます。こうすることで、「プール」の水から顔を上げるんだ、主人公はプールの中に居るんだということが分かる舞台設定になっています。さらに、「プールサイド」という助詞によって、更にその後の展開が示唆されます。

下五「プールサイドのママ」と来ます。なるほど、この句の主人公は、母親をママと呼ぶほどの年齢の子なのだと分かります。別に幾つになっても母親をママと呼ぶ大人は居ますが、敢えて書いているんだから子どもでしょう。

「プールサイドのママ」が居るのは、
 ・「市民プール」でママは水着だけど一緒に泳いでいない
 ・「学校の授業参観」で年に1度ぐらい観に来ている
 ・「スイミング教室」などで、定期的に来ている
など幾つかパターンはあるでしょうが、いずれにしても、母親が居ることを子どもが知っているという状況設定にあるのです。

そして、最後の3音です。ここが「プールサイドのママ寝てる」とか「プールサイドのママ出べそ」では、全くもって優勝できなかったと思います。 体操と同じく着地(僅か3音)が本当に大事なのです。行きますよ?

『顔上げてプールサイドのママ探す』ということは、『ママが居ることは知っているが、思った場所に居ないとかすぐに見つからない』とかそういった状況にあるのでしょう。だから「探す」という動詞なのです。『ママ探す』の心境は、「不安(マイナス)」か「誇らしい(プラス)」かの両方の読みが出来ますが、いずれにしてもドラマになります。

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『顔を上げて、プールサイドに居るはずのママに褒めてほしい!』という、誰もが大なり小なり持つであろう欲求を、ストレートで分かりやすく描いていると読めます。

心境がプラスマイナスのどちらだとしても、その気持ちをママで安らげたいという深層心理があります。そしてその「深い共感」があるからこそ、この句は多くの人に支持されたのではないかと分析しました。

これは、「プール」という思い出の中で、多くの人が似た経験をしていて、その時の心情を、この句で思い起こされたからではないかと思うのです。

【締めくくりの言葉】

これだけ多くの人が参加し、これだけ多くの人がスキをしてくれたアポロ杯の決勝も、『とどける』ことが運営によるコンセプトとされました。

多くの人に届き、多くの人からスキで承認されるという、深層心理に働きかけたからこそ、あれだけ決勝が盛り上がって、白熱した戦いになったのだと思います。

想像以上の反響、投句数となった戸惑いがありながらも、主宰者として最後まで大会を成功裏に進めた「アポロ」さんに最大限の謝辞を送るとともに、その他の役員の方々、引いては参加されたすべての皆様に感謝を表し、その代わりとして今回の記事を送らせてもらいます。

それでは、また次の機会にお会いしましょう。俳号Rxでした。ではまたっ!


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