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今の震度7って昔の観測網だったら?

はじめに

1997年4月に計測震度計による震度測定に切り替えられてからというもの、震度の大きな地震の頻度が増えたように感じます。
  ・人の主観が入らなくなった
  ・震度の基準が変わった

などの、素人に「検討しづらい」要素も影響はしているのでしょうが、最も単純な要素として「震度観測点」が数倍~数十倍に増加し、単純に「観測点の密度」が高まったことによる影響が大きいものと思います。

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仮に、「人の体感での計測」と「計測震度」が同じだ、という大胆な仮定を設定したとしても、震度観測点の数が急増していれば、「震度6」の地震等も、当然に増えていくものです。
(※)詳しくは(参考)をご覧ください。

今回の記事では、「今の震度6以上」→「昔なら震度いくつだった?」を、考察していきたいと思います。

( 注 )
・ここで言う「今」は、計測震度時代たる1997年度以降、
・「昔」は、1970年頃の気象官署(観測点)の配置・分布 を指します。

(参考)観測所の配置密度と最大震度

観測所の配置密度と最大震度

1996年に気象庁の発表地点である震度観測点が大幅に増加したことにより観測所の配置密度は飛躍的に高くなり、震源の近くで大きな震度が観測される可能性が高くなった。
例えば大きな被害がありながら最大震度4とされている長野県西部地震、および巨大地震でありながら最大震度5とされている昭和南海地震のように、1995年以前では大きな地震でも震源の近くに観測点がなければ最大震度は小さくなっていた。
観測点が増えて以降は地震の規模が以前と同程度であっても最大震度がより大きく出る傾向にあり、震度6弱などの大きな震度がより頻繁に報告されるようになっている。
震度観測点の増加により、より震源に近い位置での震度観測が可能になり、このことによる最大震度の変化を検討するため気象庁は全観測点で観測した計測震度の最大値と、気象官署で観測した計測震度の比較検討を行っている。

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以下はその実例である。

気象庁の発表対象の全観測点における最大震度と気象官署における最大震度

7 (6.5) 5弱(4.5) 上越  2004新潟県中越地震
6弱(5.7) 5強(5.1) 福岡  2005福岡県西方沖地震
6強(6.4) 6強(6.1) 輪島  2007能登半島地震
6強(6.3) 5強(5.3) 上越  2007新潟県中越沖地震
6強(6.2) 5弱(4.6) 仙台  2008岩手・宮城内陸地震
6弱(5.8) 5強(5.4) 大船渡 2008岩手県沿岸北部地震
7 (6.6) 6弱(5.8) 水戸  2011東北地方太平洋沖地震
7 (6.7) 6強(6.0) 熊本  20160416熊本地震
7 (6.5) 4 (4.4) 小樽  2018北海道胆振東部地震

1.新・震度7

まずは、気象庁震度階級で最大の「震度7」5例について見ていきます。

・2004/10/23 新潟県中越地震
・2011/03/11 東北地方太平洋沖地震
・2016/04/14 熊本地震(前震)
・2016/04/16 熊本地震(本震)
・2018/09/06 北海道胆振東部地震

(1)新・震度7 → 旧・烈震(震度6)

「震度7」のうち、昔の観測網で「烈震」を捉えられたのは3例です。

110311 24 9.0 ⑦ 烈(6弱) 大船渡、仙台、石巻、小名浜、水戸、柿岡
160414 11 6.5 ⑦ 烈(6弱) 熊本
160416 12 7.3 ⑦ 烈(6強) 熊本、阿蘇(6弱)

上が東日本大震災、下2つが熊本地震です。

①「東日本大震災」では、史上最多「6地点」で烈震(震度6弱)を観測。M9に相応しく広範囲での烈しい揺れが旧震度でも良く表れています。
一方で、震度6強だった地点は無いことや、最大震度5.8を観測したのが東北ではなく茨城県【水戸】だったことも、特徴として挙げられるでしょう。

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②「熊本地震(前震)」では、【熊本】の観測点で初めて烈震を記録。この時は、【阿蘇山(南阿蘇村中松)】では中震(震度4)であるなど、益城町周辺での『直下型地震(Mj6.5)』らしい小規模な分布でした。

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③「熊本地震(本震)」では、前震で6弱だった【熊本】は6強、4だった【阿蘇山】でも6弱を記録したほか、その他の地点でも軒並み震度が上がっていることから、『こっちが本震だった』と感じやすかったのではないかと思います。
(※)当初は益城町・西原村の震度7は入電せず、14日の地震が最大震度7なのに対し、最大6強と報道され「一回り小さい」ものと誤解された例も。

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(2)新・震度7 → 旧・強震(震度5)

04/10/23 13 6.8 ⑦ 強(5弱) 上越
18/09/06 37 6.7 ⑦ 強(5弱) 苫小牧 [注]
 [注]「苫小牧」はしらかば町から末広町に移転していますが、
   ここでは同じ観測点と見做しています。

(1)と異なり、新潟県中越地震と北海道胆振東部地震は、
  ・内陸直下型地震
  ・M7以下
  ・震源近くに観測点が無い

 ということなどが影響し、【烈震】を観測した地点はありませんでした。

④「新潟県中越地震」では、『中越』と関した地震なのに、唯一の「強震」観測点が【上越】でした。(新潟県・本州には2地点のみ)
 直線距離的には大きく違わない【新潟】は中震(震度4)であり、内陸直下型地震における「新旧震度の差」が浮き彫りになる結果です。

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⑤「北海道胆振東部地震」でも同様で、直線距離的には近いものの、揺れが強まった方角と異なる位置にある【苫小牧】で唯一の強震(5弱)、それを除くと、遠く離れた【小樽】の中震(4.4)が最大震度となるわけです。

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(3)ここまでの事実、裏を返せば……

現行「震度7」の地震であっても、気象台のすぐ近くで起きた「熊本地震」を例外とすると、旧観測網では「強震」しか観測できなかったというケースも一定数あったのではないかなと想像されます。

少し強い口調で言えば、(震度計が沢山ある今だから)「新潟県中越地震」も「北海道胆振東部地震」も『震度7』として大騒ぎされたけど、昔なら、『最大震度5(強震)』の地震としてトーンダウンしていたはずです。

そして、逆の見方をしてみましょう。旧震度時代において、
  ・M6.5以上の内陸深発地震
  ・強震(最大震度5)以下

 という地震を、目についただけピックアップしてみます。

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1984/09/14 02km M6.8 中 長野県西部地震
1969/09/09 03km M6.6 中 岐阜県西部地震
1967/11/04 12km M6.5 中 釧路地方北部
1962/04/30 19km M6.5 中 宮城県北部
1961/08/19 10km M7.0 中 北美濃地震
1939/05/01 00km M6.8 強 男鹿地震
1931/11/04 15km M6.5 中 岩手県沿岸北部
1931/09/21 03km M6.9 強 西埼玉地震
1931/02/17 33km M6.8 中 日高地方東部 etc

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これらの地震が顧みられることは殆どありません。それには、最大震度が4ないし5だということも影響しているのではないかと思います。
しかし、現代(計測震度時代)を生きる我々からすれば、M6.5以上の浅い地震が内陸で起きれば、“普通に”震度6弱以上の揺れが何処かで観測されてても全くおかしくはないと感じます。

Wikipediaのリンク先で「推定震度5や6」を示している記事もありますが、今のような震度計が当時設置されていれば、震度6や7の烈しい揺れが実測され、もっと『大事』と捉えられ、名が知られていたかも知れません。

おわりに(1)

「新・震度7」は、昔の観測網ならば「震度5(弱)~6(強)」となっていたことが分かりました。
同じく、6弱・6強ではどうなのか、次の記事で確認してまいりましょう。


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