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MOVEDで出会った自由な働き方

皆さん、こんにちわ。

京都にて働いているMOVEDの遠藤といいます。
(冒頭は、昨年末に屋根の葺き替え改修工事が終わり、約35年ぶりに新しい屋根となった金閣寺ですw→古くならないうちに是非京都へ)

いや、MOVEDといっても私の仕事上の肩書きは、東京の某社会福祉法人での開発エンジニア、京都を中心とした関西圏の介護施設へのDX支援という個人事業主として一面も持っていて、MOVEDというのはそのいろんな顔の一面でしかありません。

もしかしたら僕たちの父親くらいの世代の人たちから見ると、1つの会社で普通に働き、朝8時から夕方18時まで、月曜日から金曜日(僕がほんまに小さい頃は、土曜でしたけどw)までちゃんと働く。もちろん、その中で子育てや親の介護や、学校行事や近所付き合いなどなど、いろんな顔を持ちながら生きていく。それが普通、されど普通。

何か複数の仕事を持って働くって、漫画家とか起業家とか、一部の才能を持ったフリーランサーしかないのかな、、2年くらい前までは僕も、そんな固定観念を持って、毎日片道2時間かけて会社に通ってました。

そんな僕に、自由になるきっかけを与えてくれたのがMOVEDでした。

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簡単に、僕の略歴を話すと、学生時代は理科が好きだった少年だった僕は当たり前のように理系の大学に行き、最後の大学時代は計算機物理をやっていたので、当たり前のようにIT系の会社に就職しました。

その最初の会社の本部が京都にあったので、名古屋圏生まれながら、それからずっと関西に。10年働いたその新卒の会社では、最後に2年ほどの東京赴任でいっぱい刺激的な経験もさせていただきながらも、関西に戻りたく、何気になく次の会社に選んだのは、同じIT系でも、「医療・介護」を中心にしたソフトウェアをつくっていた会社。

それから「医療・介護」とITが僕の人生のテーマになりました(その経緯とかのことは来週(2021年12月第3週)に書きますw)。そのあと、実際の現場に近いところで、働きたいと思い、大好きな京都に住みながら、宝塚の当時の会社に片道2時間近くかけて通っていたのが、冒頭の話になります。

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でも、僕は新卒時代、いや計算機で物理シミュレーションのプログラムを書いていた学生時代から思っていたのは、なぜ会社に(学生時代なら学校に)わざわざこないといけないのだろうということでした。

小さい頃なら、学校って、勉強だけじゃなく、部活とかサークル活動とかで友人や先輩・後輩との付き合い方を学ぶとか、みんな一緒に同じ空間にいることの楽しさ・苦しさからくる学びの重要性は、僕も経験してきたから分かります。でも、大学院が一人研究室だったこともあり、当時アラフィフの指導教官のオッサンとなぜ毎日顔を突き合わせないといけないのだと常に思ってました(笑)。極端な話、プログラムなんて重要なのは、アルゴリズム(計算結果や処理の過程)を検討することで、PC画面の前でやることは実際に考えたアルゴリズムのプログラムを書くことや論文調査に執筆、計算が落ちてないかなーとチェックすることくらいで、大学の研究室に四六時中いる必要もないんですよね。

それは会社生活でも同じ。今現在でも、いろんな現場でどのようなことが行われているかを知ることは重要ですし、今いる「医療・介護」などの分野は、特に門外漢のIT分野から来ている僕にとっても、病院なり、介護施設に出向いて見たり、話を聞いたりすることは、そこで必要とされる製品・サービスって何だろうと知るうえでも重要です。

でも、逆に調査や資料作りやチェックはどこにいてもできるし、ましてや企画ごと(昔ならアルゴリズムの検討)などは会社のせまっ苦しい空間にいたら思いつかないことも多い。タバコを吸わない僕にとって、新卒にいた会社での憩いの空間がトイレ個室だったというのは、よくある話かなと思ったりもします。

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そんなこんなで、社会人15年目くらいで毎日片道2時間電車往復の身になった僕が、毎朝明け方の電車で読んでいた新聞記事で知ったのがMOVEDという存在でした。コロナ禍の今でこそリモートワークや副業という言葉は(ありがたいことに)普通に捉えられていますが、ちょうどコロナが始まる前年の秋口に、そうしたリモートでのIT支援をいろんな会社に向けてやっている。しかも、MOVEDに所属している方は、他に本職となるような職業をもっていて、副業として、そういうことをやられていると知ったとき、自分もそういう人になれたらなーと思い、加わらせてもらうことになった次第です。

とはいいつつも、僕自身はもともと身体に障害があることもあって、MOVEDに入る前のときから、新卒での会社も含めて、リモートで働かせていただいたことはあったんですよね。それでも、それはあくまで会社に通えないから、職場が自宅になっただけでのリモート。朝8時から夕方18時までという就業時間の制約はずっとかかっていて、何なら最初のほうはずっと職場に自宅の様子を映すという前提で始まってました(今から思えば、私生活オープンのネットアイドルみたいでしたけどw)。でも、それって僕が考えるような理想の働き方、理想のリモートワークじゃない。ずっとここに書いているように、働く空間の移動はもちろん、時間も、場所も問わない働くスタイルっていうものの追求が、MOVEDがきっかけになって始まったという感じでした。

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MOVEDに加わった以降、当時働いていた宝塚の会社のときも、毎日会社出社ではなくし、関西にある各介護事業所なり、大阪の研修施設だったりに働き方の拠点を分散し(もちろん、当時上司に副業のことも含め、働き方スタイルの変革を了承取り付けてですが)、コロナ禍になってからは自宅も含め、働く場所を増やしていきました。最終的には、(コロナ禍の影響が大きいですが)宝塚に行くのはいろいろな打合せや事務所業務に必要な、月1回ほどにまで減らすことができたのです。

そして、その宝塚の会社も辞め、今は東京のとある介護施設で「介護」とIoTやロボット、AIも含めた製品開発のお手伝いを、京都に住みながら完全リモートで行っています。今の職場に転職できたのは運の要素も大きいですが、介護とITということを、いろいろな介護現場を見ながら、学び、経験し、検討する時間を、リモートワークで得られたことが大きいのかなと思っています。今、この分野でやりたいことは無数にありますし、やれる環境や議論できる仲間がいることは大変幸せに感じてます。むろん、5年~10年経ったら、違うことを学び、また新しいところに行きたいと思うかもしれません。でも、それを含めて、人としては死ぬまで成長できるものなんだと、自分に誤解を与えながら生きてみたいなとも思います(笑)

また、こういう経験を踏まえて、MOVEDのお客様や関わる人たちにも、自分なりの新しく・楽しい仕事の仕方を提案・発信していけたらとも思ってます。リモートワークを通じた人生の再構築。私は○○だからできないということではなく、できることから徐々に始め、最終的にいろんなHAPPYを広げていきたい。それにはITなり、AIなり(なんなら今後はIoTやロボットなり)の力が必要になってくると思いますので、そうした支援・構築とともに、マインドも変わっていく社会にできるように頑張っていきたいです。

<追記>
記事本編とは、別に関係あるようでないような写真(冒頭の金閣寺除く)を挟んでいましたが、その1枚1枚の説明をしていきます。

※1枚目、2枚目:完全リモートワークになってから、時々学生時代を過ごした北陸に京都から行っています。北陸の冬は閉口しますけど、その他の加賀を中心とした文化だったり、美味しい海鮮は今でも魅力です。今回は僕がワーケーション場所でも気に入った、富山の「南砺市クリエイタープラザ」での風景です。飛騨山脈の美しい風景が最寄りのカフェからも見え、近くに大きな自然公園もあって、空気は無茶苦茶きれいです。

※3枚目:南砺市クリエイタープラザは、東海北陸自動車道の「城端SA」に接続してます。車で来られる場合は、そこからのほうがアクセスしやすいかも。名古屋からの高速バス停留所もあります。電車の場合は、北陸新幹線の「新高岡駅」→JR城端線「城端駅」→町内コミュニティバスでのアクセスもできます。写真は「城端SA」のお土産グッズのさるぼぼちゃんw

※4枚目:僕は2009年くらいからずっとオリックスファン(新卒で入った会社つながりの影響)。リモートワーク以前は土日中心の観戦しかなかったですが、リモートワーク後は平日ナイターでの観戦が多くなりました。だって、空いているからw。京セラドーム近辺はカフェも多く、なんだったら球場外のベンチに座っての青空ワークも風が気持ちいいです。2021年は初リーグ優勝も体験!!年間20試合近く生観戦できました!

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