成沢大輔って、誰?

~ある攻略本編集者の記録をまとめることについて~

※2018年11月4日に行われたゲームの同人イベント『ゲームレジェンド.29』にて領布されたコピー誌を一般公開するためにnote化したものです。

小杉あや×塩田信之で、来年『成沢大輔業績本(仮)』を作ります。
これは、制作にあたっての塩田の所信表明みたいなみたいな本です。
ほぼ文字だけですが、最後に小杉あやさんのゲストページがあります。
塩田信之

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はじめに
 この冊子は、小杉あやさんと私こと塩田信之が、2019年のゲームレジェンドに向けて制作する予定の『成沢大輔業績本(仮)』についての前準備として塩田が作ったものです。
 「準備号」とか「プレ本」といった呼ばれ方をするものに近いと言えますが、来年制作されるのはこの冊子になにかを追加して作るものではありません。まったく異なる内容で、すべて新たに制作します。ならこの冊子は何かと言いますと、来年それを制作するにあたっての所信表明みたいなものだと思います。どんな本を作るのかを告知するとともに、どんないきさつで作ることになったのかを、あらかじめ記しておきたいと考えたからです。

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成沢大輔って、誰?
 恐らく、この冊子を手に取ってくださった方は、問うまでもなくご存知の方が多いと思うのですが、なぜこのような誌名にしたのかを、まず記しておきたいと思います。
 これを作り始める前に、Twitterで以下のようなアンケートを行いました。

「考えてみると、メガテン伝道師と呼ばれた成沢が亡くなってけっこう時間 も経ってるし、もはや知らないメガテン好きな方も多いのかもしれない。
 と思ったので、ちょっとアンケートしてみてもいいでしょうか。

 選択肢1:成沢大輔知ってるし本も持ってる
 選択肢2:名前は知ってる(ダビスタとかで)
 選択肢3:……誰? 」

 多くの方に「いいね」や「リツイート」でご協力をいただき、最終的に1365票の投票が集まった結果、

 知ってるし持ってる:30%
 名前は知ってる:11%
 ......誰?:59%

 という数字になりました。この冊子を手にしてくださった方には、アンケートにご協力をいただいた方もいらっしゃると思います。その節は本当にありがとうございました。

 アンケートの結果を見ての正直な印象として、「思ったより知らない方が多いんだ」と思ったことがこのタイトルにした理由です。
 でもネットの広大さやそこにいる人々の数を考えれば、私からの発信とはいえ4割以上もの方が「知っている」と答えたのは「思ったより多い」くらいの結果なのかも知れません。例えばTwitterではなく違う場所だったり、私以外の人がアンケートを行ったとしても結果は変わっていたはずです。その変化は「成沢を知らない」割合がもっと増えてしまいそうですから、「今回の条件下ではこの結果」と納得しておくべきでしょう。成沢やCB's Projectを今でも覚えて下さっている方に、心からお礼を申し上げます。CB's Projectや元スタッフは私を含めて、皆様に支えられてここまでくることがものと思っております。

※なおこの冊子は、アンケートにご協力をいただいた皆様へのお礼にならないかという意図の元でも制作しておりますので、後程どなたでも閲覧可能なネット公開にする予定です。

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CB's Project設立に端を発する
 さて、次にどうして今私が『成沢業績本(仮)』を作ることにしたのかを語ってみたいと思います。これはいわゆる「話せば長くなる」タイプの話で、「さまざまな出来事が積み重なった結果そうなった」で済ませてしまってもよかったのでしょうが、ここは自分の記憶を整理する上でも文章化してみたいと思います。

 小杉あやさんと私が知り合ったのは、知人を介してのことでした。それは1991年だったはずですから、およそ27年も前の出来事です。当時私は、それまでやっていた仕事を事実上継続できない状況となり、フリーランスのライターとして細々と活動していました。
 それまでの仕事というのは、およそ31~2年前に出版業界でちょっとした流行になっていた『ゲームブック』と呼ばれる本の執筆です。私が作っていたのは主にファミコンゲームやアニメ『ルパン三世』をゲームブック化したもので、アレンジしたストーリーに登場キャラクターを追加するなどして、小説を読むような感覚で読み進めながら、読者が主人公の立場で行動を選択することで筋立てが変化する物語を書いていました。ファミコンが家庭に行き渡るようになってブームは衰退していき、私も当時ライター契約していた会社を離れることになったわけです。

 フリーランスでの活動がなかなか大変なものであることは、ここでは脱線も甚だしいので割愛します。ともあれ、そんな状況にあった私の生活は、ひょんなことから知り合った同じゲームブック作家でもあった健部伸明氏と、彼に紹介される形で知り合った成沢大輔氏(以後、敬称は略します)によって大きく変わることになりました。その3人で「新しく編集プロダクションを作ろう」という話になったからです。成沢はそれまでも『女神転生2のすべて』『THE ナムコブック』(ともにJICC出版局。現宝島社)などたくさんのゲーム攻略本を作ってきたライター兼編集者で、健部はそんな成沢の本を共に制作していました。私は基本的にゲームブックしか書いていなかったので編集者としての知識も特に持ってはいませんでしたが、攻略本制作の事業を拡大する上で役に立つだろうということで共同経営者として白羽の矢が立ったものと思われます。
 で、ようやく最初の話題に戻るわけですが、小杉さんは社長となった成沢の奥様でした。実はマンガも描いているんだよと紹介されて、いわゆる「オタク」だった私はその時点で確か小杉さんの作品を少し知っていたはずです。ええ、エッチなマンガも少々嗜んでおりましたから(笑)。

 とはいえ、社長の奥様と部下にそれほど多く接点があるわけでもなかったのですが、たまーに成沢と酒を飲んだりする機会で一緒になったり、数少ないけど初期の頃に何度かあった社員旅行などの機会に顔を合わせたりしていました。
 成沢と3人で作った編集プロダクション「CB's Project」は、その後健部が抜ける形でふたり+α(当初から社内にスタッフはいたのです)となり、そこそこ状況が安定してくると求人雑誌でスタッフを募集して多い時には十数人になったり、事務所をビルのワンフロアに引っ越ししたりと、中堅規模の編プロとしてがんばっていました。大きな柱となっていたのが、RPGの『真・女神転生』とそのスピンオフシリーズと、競馬の『ダービースタリオン』シリーズの関連書籍制作です。会社発足当時の宝島社から、『ファミ通』のエンターブレインや『じゅげむ』というゲーム雑誌を一時期発行していたメディアファクトリー、『ザ・プレイステーション(ザプレ)』等のソフトバンク(後にソフトバンク・パブリッシング)といった出版社から攻略本やゲームのファンブックの制作を請け負っていました。

 そんなCB'sで私が働いていたのは、だいたい12年間。結論から言うと、私は成沢と仲たがいして辞めています。その理由をここに記すつもりはありませんが、長いこと一緒にやってきた間に降り積もっていった相手に対する不満が、お互いついに限界を超えたものと理解しています。忙しい中この冊子にゲスト原稿を用意してくださった小杉さんが、「ほぼ同時期に成沢大輔の元を去った人間」と書いているのは、私が辞めた時期と、小杉さんの離婚(この表現は正確ではないかもしれないけど)がだいたい半年くらいのスパンで起こったという意味です。先に小杉さんが別れていたので、当時の私に「小杉さんだって一緒にいられなかったのだから、私が一緒にやっていけないことも不思議ではないな」という納得感があったのも事実です。

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恐らく必要だった冷却期間
 小杉さんとは、会社を辞めてから「同人仲間」として親しくなりました。私は家内が同人活動をしていて、コミックマーケット等の同人即売会にも手伝いで参加しています(今でも)。そんなイベントで顔を合わせ「今回の新刊はこれです(作ったのは家内ですが)」なんて挨拶をするようになって、「社長の奥様と部下」の時より頻繁に顔を合わせるようになったわけです。

 私がCB'sを辞めてから、現在すでに15年が経過しています。辞めた当初こそ残務があって連絡を取ることもありましたが、その後は会社としてのCB's Projectとの直接的接触は途絶えました。一部のスタッフとは個人的な繋がりがあったので、たまに状況を聞いたりしましたし、私個人で仕事をしているCB's時代から関係のある会社の方などから「この間成沢と会ったよ」みたいな話を聞く機会はありました。
 CB's Project名義の本を書店で見かければ手に取ったりして、「まだがんばってるんだな」と思ったり、奥付を見て「スタッフもずいぶん変わったな」なんて思ったりすることはあっても、社内の状況まではわかりません。そのうち編プロとしての名義もAbingdoniというものに変わって、私が在籍した当時いた他のスタッフも全員辞めたと聞いた後は、書店で成沢の新刊を手に取ることもなくなっていきました。

 そんな状況が急転直下したのが、辞めて12年目。奇しくも在籍期間と同じだけの時間が過ぎた2015年のことで、たまに私から仕事をお願いしている元CB'sメンバーからもたらされたのが突然の訃報でした。にわかに信じられないことでしたが、ちょっと前にSNSを通じて「激ヤセしてる」だとか、在籍中の頃にちらっと聞いたことがある肝炎で闘病中といった情報はありましたし、その時進行中の競馬関係の本が大変な状況だと聞いて、「あー、本当なんだ」と思ったことを覚えています。
 やがて葬儀やお別れ会といった話も入ってきましたが、私自身はケンカ別れした立場でもあり、出席することはありませんでした。

 その時点からすでに3年以上経ってのことですから、「なぜ今になって、ケンカ別れしたお前が成沢の同人誌を作るのか」と思われて当然です。実際、自分でもそう思います。そうなるに至った経緯は、実は成沢が亡くなって少ししてからのいくつかの出来事の積み重ねがあるのですが、決定的となったのは小杉さんのゲスト原稿にある「久しぶりに呑もう」という軽いノリで始まったサシ呑みの会です。
 久しぶりもなにも、実のところはサシで呑んだのはこれが初めてです。で、呑み始めてすぐに会話は成沢の思い出話大会になりました。ぶっちゃけると、それが目的の呑み会でもあったんです。遡れば2年前くらいから時々思い出したように、「一度成沢に関する愚痴をたがいに思い切りぶちまけよう」というやり取りをSNSで交わしていて、ようやく実現したという次第です。

 小杉さんも私もいろいろ思うところがあっての経緯ですし、愚痴の内容にも共通する部分があります。どちらも後悔とかはしていないのですが、ちょっと複雑な心境も共通するのは、公私両方のパートナーを同時期に失った成沢も大変だったんだろうみたいな感慨は持っているわけです。

 そんな中、「成沢の仕事をまとめた本を誰か作ってくれたらいいのに」という小杉さんの発言があって、私もその場で少し考えました(呑んで会話しながら)。まあ、逆に考えてみれば少なくとも私がCB'sに在籍していた期間の成沢については、仕事の面で私以上に知っている人間はいないだろう、とも思ったわけです。ケンカ別れした事情や立場はどうあれ、小杉さんが望むような本を作ることができるのは、自分しかいない……とまでは言えないにしても、そうすることが望ましいのではないかと考えて「じゃあやりましょう」と決めたわけです。

 私はCB'sを辞めて以降フリーランスに戻ったわけですが、CB's時代も担当することの多かった『真・女神転生』シリーズに関する仕事がけっこう多かったりします。もちろん、その背景には「成沢と一緒にメガテン本を作ってきた」過去があって、出版社にもゲームの開発会社であるアトラスさんにもCB's時代から繋がりがあったからこそ続けられたわけです。「成沢のおかげ」であることに疑問を挟む余地はありません。

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『成沢大輔業績本(仮)』ってどんな本?
 ところで、私たちが作ろうとしている『成沢業績本(仮)』とはいったいどのような本なのでしょう。小杉さんがあって欲しいと言っていたのは、「成沢がどんな仕事を遺したのか」その全体を見渡すことができる本。……ではないかと、私は理解しています。基本的には、「成沢の作った本カタログ」みたいなものと言えそうですが、さすがにただ奥付に「成沢大輔(成澤大輔)」の名前が入ってる本を並べただけで納得できるとは思えません。私としても、そんな本を作りたいとは思いません。

 カタログ的な構成を基本とするにしても、それぞれがどんな本で、どんな特徴があって、成沢自身がどこを担当していたのか。……といった情報が欲しい。そんな風に思うわけです。しかし、すべての本にそんなデータを用意するのは簡単ではありません。CB's設立初期の本であれば私もほぼ関わっていますし、作業に加わっていなくとも近くで見ていたのである程度はわかります。が、スタッフが増えていき本ごとにチーム分けが行われるようになると、担当分以外はわからなくなっていきます。特に私の場合、自身が競馬をまったくやらないので競馬関連の書籍についてはほぼノータッチでした。メガテン関連でも、『ペルソナ倶楽部2』以降は当時在籍していた女性スタッフたちで制作する体制が確立していきました。逆に、私が担当する本は成沢がノータッチになっていったわけです。

 そういった私が把握していない本については、元CB'sスタッフ等に協力を求める予定です。すべてをそれでカバーできるかどうかは、まだわかりません。特に、Abingdoniに名義を変更して以降についてはなかなか難しそうです。あと、CB's Project設立以前の仕事については当時交流のあった方に話を伺うなどで情報収集する必要があるでしょう。

 仕事の範囲をどこまでカバーするかもひとつポイントになるかと思います。小杉さんとは、「編集者としてクレジットされている本」という基本方針で話していますが、まれに「クレジットはされていないけど仕事をしてる」パターンもあります。CB's Projectの本ならば名前が入っていなくても、広い意味では代表者だった成沢の業績とも言うことができます。書籍への関わり方にも、「企画を作った」、「出版社と契約を交わした」、「編集を上から見ていた」など色々ありますから。

 攻略本研究家の松原圭吾氏に協力をいただけることになっているので、書籍についてはほとんどカバーできるのではないかと思います。雑誌や出版以外の仕事については、本人以外把握していないものもあるので、一部記憶していることを紹介できるかどうかくらいですか。『HIPPON SUPER!』『じゅげむ』あたりならまだ情報も集められそうですが、競馬関係は如何ともしがたいところです。

 現状は「どんな風に作ろうか」を考えている段階なので、協力を募ったり書籍等の現物をどれだけ確認できるかなどまだまだこれからです。同人誌ですので、もちろん仕事と並行して進めていく形になりますから思ったよりも時間がなさそうではありますが、小杉さん( @ayadayWreath )や私のTwitterアカウント( @Yen_den )、またFacebookアカウント( https://www.facebook.com/yenden.shinno )を通じて随時情報を発信していきたいと思っております。報酬等お支払いすることは難しいと思いますが、ご協力いただけるという方はDM等送っていただければ幸いです。

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最後に、塩田の現在について
 なんだか便乗して宣伝をするみたいで恐縮ですが、塩田信之はCB's Projectを辞めた後も、メガテン関連書籍等CB's時代から続けて行っている仕事があります。「成沢の遺志を継いで」みたいなことはさすがに標榜するつもりはありませんが、CB's初期に成沢とともにメガテン関連書籍を作っていった時に考えていた編集方針は、今も根底に息づいていると思っています。

 フリーランスになって以降に制作したメガテン関連書籍は一迅社から出版された「ワールドアナライズ」と題した作品の世界観を中心に紹介していくことを主眼としたものでしたが、それは『真・女神転生デビルサマナー ワールドガイダンス』(ソフトバンク)を起点とするもので、当時の編集者が一迅社に移籍し、デビサマワールドガイダンスの悪魔ページを担当していた私自身もCB's Projectを辞めたことから、スタートした企画でした。

 その『真・女神転生IVワールドアナライズ』がきっかけとなり、アトラスさんの『真・女神転生IV FINAL』『真・女神転生DEEP STRANGE JOURNEY』の公式サイトで、神話についてその背景となる歴史とともに紹介する連載コラム『神話世界への旅』を手掛けることになりました。連載の内容は山井一千ディレクターとも相談しながら決めたものですが、そうしたスタイルの記事のルーツとしてはCB's時代に作った『真・女神転生デビルサマナー ワールドガイダンス』で、出身地別に悪魔を紹介していったことや、『デビルサマナー ソウルハッカーズのすべてRevision』(エンターブレイン)で出身地域ごとに書いた概説ページなどがあります。『女神転生十年史』(同上)の悪魔データページに書いたコラムなども、私見を交えた解説として(それで、奥付にもわざわざ「コラム文責」として内容に関する責任はライター個人にあると明記されているのです)ルーツにあたると思っています。

 『神話世界への旅』の連載が、『真・女神転生DEEP STRANGE JOURNEY』限定版に付属したハードカバーの資料集『メガテンマニアクス』の編集を担当することにも繋がりました。これは成沢がまだ存命であれば成沢がやっていたとしてもおかしくないものだったと思います。私がスーパーファミコン版の『真・女神転生』シリーズをスタート当初から単行本制作を通じてお付き合いしてきたのは、まさしくCB's Projectの元、成沢大輔とともに行ってきたことだったわけですから。

 『真・女神転生』シリーズの歴史を総括した『メガテンマニアクス』を作り、今度は成沢大輔とCB's Projectの歴史を総括をすることになります。それは自分自身の歴史の一部でもあるわけですから、どちらも自分にとって大切な記憶であることは間違いありません。可能な限り良いものを作り上げたいと思っております。

2018年10月4日
塩田信之


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