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【長編】ベビ子誕生!ー私の出産体験談

無事にベビ子ちゃんが誕生しました!
すでに数ヶ月経っていますが、少し落ち着いてきたのでここで体験談を書き留めておきたいと思います。

私は予定日がいよいよ近づいて来たあたりから、出産までの過程や経験をネットで見ていたので、どなたかの参考になれば幸いです(ただし、私の場合、出産はものすごく大変でした…)。

【24日】3時に破水

予定日を4日も過ぎた深夜3時にトイレに起きたら破水。それも結構、どばっと。これが破水か?と思いつつ確認のため、すぐ助産院に電話をしてタクシーで向かいました。

タクシーは、事前に「お産タクシー」を予約しておく方法もあります。そうすると、呼んだ際に優先的に来てくれることや、事前に出産場所を登録しておくので利用がスムーズ、また、破水に対応したタクシーだったりするそうです。

私の場合、お産タクシーを登録したものの電話が繋がらなく、配車アプリの「GO」でタクシーを呼びました。なので、両方用意しておくと便利かも。

このとき、「いよいよか…」というドキドキと、「この先どうなるのかな…」という不安が渦巻く中、寝ているRに「破水したかもしれない」、と伝えた瞬間、Rがすぐ飛び起きてくれたことが嬉しかった。

助産院について、リトマス試験紙のようなもので破水したことを確認してもらい、陣痛に備え始発電車が走るまでとりあえず助産院で休憩を取ることに。

実際に破水するまでは、トイレ(小)と見分けつくのかな?なんて不安に思っていましたが、私の場合、トイレから出た直後、ということもありますが、水が温かかったのと無色だったので破水なのかな、と思いました。あと、生理で血が出る場所から水がどばっと出た感覚だったので、トイレ(小)ではおそらくないんじゃないか、と感じていました。

ちなみに破水した際には、着替えはしつつも、破水で濡れた下着やナプキンなどを持参すると検査がしやすいようです(私の助産院岳の場合かも知れませんが)。私は着替えてから&シャワーで軽く流してから向かったので、破水した時の水があまり残っておらず結果が明確に出づらかったです。

7時過ぎ 一旦家へ帰宅

しばらく産院で待つものの、陣痛が来ないため一旦家に帰ることに。
これが病院での出産だと破水したら入院となることが多いようですが、私の通っていた助産院では動いた方が陣痛がきやすい、との考えから、無理がなく、本人が希望すれば自宅に帰れました。

16時 再び助産院で健診 →助産院に宿泊

破水をすると外界と羊水が繋がってしまい、感染症のリスクがあるため、42時間以内に陣痛が来なければ病院送りとなる、と言われていました。こうして私は、破水した時点で、助産院で埋めるかどうかのカウントダウンが始まったわけです。

家でゆっくりしていても陣痛らしい陣痛が来ないまま、同日の夕方に再度、助産院へ戻り子宮口の開き具合を確認。このときで、1.5センチくらいだったかな? まだまだ出産になりそうにないため、急遽、鍼灸院で出産を進める熱いお灸と鍼をしてもらいに行きました。

ここで陣痛のような痛みの波が少しでたため、その日は助産院に泊まり様子を見ることに。先が読めない不安な気持ち、そして、痛いのは嫌だけどはやく陣痛が来てほしいと願いながら、最寄駅の駅ビルで遅めの夕食(中華)を食べたのをいまでも覚えています。

【25日】8時過ぎ、帰宅 →夕方に再び助産院で健診

助産院で夜を過ごしたものの、陣痛らしき痛みは来ず、私の希望もあって再度家に戻ることになりました。このとき、すでに破水から1日が経っています。

夕方、助産院へ行く前にここ数日間そわそわしていた母と落ち合い、お茶をしました。
私もRも前日からの寝不足や不安で疲れていましたが、こういうときに母と会って応援してもらえたのは嬉しかったな。でも、「なんでまだ出ないんだろう」「早く出てきてほしいね」っていう言葉はちょっとセンシティブでした。それ、私が1番知りたいよ!って思っていたので。早く出てきてっていうのが私へのプレッシャーに感じてしまいました。私の努力が足りなかったのかな…と。

夕方、子宮口の開き具合や陣痛の波をチェックするも全然産まれる気配がないため、さすがに助産院ではこれ以上は待てないとのことで、翌日の朝いちで連携している病院へ行くことを告げられました。

つまり、助産院での出産を断念することになりました。
助産院で産みたくて、ちょっと遠くでも通って、予定日近くになったらほぼ毎日のように通って鍼灸をしたり、階段上り下りをしたり、お掃除をしたり、薪割りをしたり、たくさんの努力をしてきたのはすべて助産院で産みたかったから。

それが叶わないという事実をすぐには受け入れられませんでした。
この状態で病院で産むということは、自然な陣痛ではなく、陣痛促進剤を使用しての出産となることを意味します。最悪は帝王切開の場合も。

私は自然な形で出産をしたくって助産院を選んだのに…。
これまでの努力が無駄だったと思えたり、私の努力が足りなかったからなのかと思ったり、悲しい気持ちになりました。

それと同時に、母子共に無事に出産できることが何より、と思い直そうと何度も自分に言い聞かせたし、Rにも同じようなことを言われました。
1番大事なのは私とベビ子ちゃんが無事でいること。そのために必要なら促進剤も仕方がない、と。

【26日】9時、病院に入院:陣痛促進剤スタート

25日も鍼灸をしてもらい、夜7時ごろに家に帰ってきて、翌朝すぐにまた助産院へ最終チェックへ行き、助産師さんと一緒に提携病院に行きました。
このとき、子宮口は最大でも2センチ。これが10センチになるといざ出産!となるので、まだまだの道のりでした。

それにしても24日から何度も自宅と助産院を往復、しかも朝早く出て夜に帰ってくるスケジュール。よくやったなあ、と今になっては思えます笑

病院へは今までお世話をしてくれた助産師さん、そして助産師見習い学生の子が付き添ってくれ、医師の話や陣痛促進剤を開始した最初の数時間、一緒にいてくれました。すごく心強かったです。

私みたいに破水後、2日待っても陣痛が来ない状況だと、病院都合で帝王切開になる場合も多いみたいです(そもそも破水後、2日も待つとことも少ないらしい)。
ただ、医師の説明によれば、帝王切開の方が赤ちゃんにとっては負担が少ない(産道を通るのは赤ちゃんにとっても命がけ)が、母体にとっては将来的なリスク(臓器の癒着や合併症のリスク、2人目も帝王切開になりやすいなど)が増えることもあり、できるだけ経膣分娩(下から出産すること)をおこなっているとのことでした。

説明後、すぐ陣痛室に移り、右腕には促進剤のチューブが、左腕には感染症予防のための抗生物質をつながれた状態で促進剤がスタート。

最初は痛みを逃すために、Rに背中や腰をさすってもらいながら、息を大きく吐いていましたが、30分ごとに促進剤の量が増やされていくにつれ、痛みもどんどん強くなっていきました。

この日、母が来てくれたのですが、まだ促進剤を使っている時間帯で、私はまともに会話もできないのに、いろいろ質問されてイラッとしてました笑
私はとにかく痛みがきたら「話はいいからさすって!怒」と。

その間、Rは束の間の休息を取りに部屋の外に。なんといっても、促進剤が効いている間は、Rもまともにトイレに行けないし(いつ痛みが来るかわからないからずっとそばにいてもらっていたので)、ここ数日まともに寝れていなかったのお互い精神的にも体力的にも辛かったです。

夕方に子宮口の開き具合の確認がありましたが、4センチ。数時間痛みに耐えたのに、2センチしか開いてない…。辛かった…。
翌日も促進剤、決定です。

【27日】9時から16時まで促進剤、ふたたび

私のいた病院の陣痛室は、分娩台になるベッドが1つ入るくらいの大きさで、窓もありませんでした。そこにRも泊まり込み。もちろんシャワーも使えません…。

前日はどうにかこうにか2人でベッドに横になりつつも、私は陣痛がちょこちょこ来る度に起きて、Rにさすってもらって2人ともまともに寝れませんでした。

この日も朝から促進剤。でも昨日より痛い。昨日の終わりくらいに感じた痛みレベルから1日が始まって、この先どれだけ痛くなるんだ…!と恐怖でした。
痛み逃しで大きく息を吐くのも難しく、叫びつつありました。このときから、2人とも「出産がこんなに大変ならもう2人目とか無理じゃないか…」との考えが頭をよぎっています。

私も痛みに耐えるので必死でしたが、Rも数分感覚で襲ってくる痛みに合わせて、ものすごい力で腰や背中、おしりを押さなくちゃいけなくて大変でした…。しかも、私から「そこじゃない!!ここ!!!」「そうじゃない!!こう!!」と言われっぱなし笑 
時間が経過するにつれて痛みの場所や、さすり方、押し方の要求が変わるので、もう大変。でも、痛すぎて相手を気遣っている余裕なんて私にはなくて、とにかく自分の痛みを逃すための要求をほぼ命令口調で伝えていました。こういうとき、英語でいちいち指示するのがややこしかった。。でも、Rが最低限の単語(強く、右左上下、おしり、など)を知っていたため、そこはだいぶ楽でした。

促進剤が終わるころにはお互いヘトヘトで、ボロボロで。でも、促進剤がなくなると陣痛の感覚が10分とか15分感覚になるので、少し休憩できる時間も増えます(本当だったら、そのまま痛みの間隔が短くなって出産につながるのですが)。
そのたびにRに感謝の気持ちを伝えていました。私じゃ心折れてたと思います。Rも心折れた瞬間は何度か見受けられましたが(そうすると、「ちゃんとやって!(怒&泣)」と私から言われるっていう…)、でもしばらくするとまた元に戻って、Rも必死に私の痛みを逃すためにひたすら弱音も吐かず、助けてくれていました。

促進剤2日目の夕方の子宮口は6センチ。前日と比べて2センチしか開いてない…。翌日も促進剤、決定。「またこの苦しみを数時間耐えなければいけないのか…」生きた心地がしない、なんとも言えない気持ちです。
この日くらいから、もう帝王切開でもいいからはやくこの痛みから解放してくれ!と心で願うようになっていました。

この日は促進剤終了後に、母と姉が来てくれました。促進剤が終了すると人と会話できる余裕ができるくらいの間隔、そして痛みに戻ります。2人が来てくれて安心したし、狂気の沙汰から何気ない日常を過ごせて嬉しかったです。姉は仕事で多忙な中、仕事終わりに駆けつけてくれて泣。その気持ちが嬉しかったです。

【28日】促進剤3日目

この日も朝9時から開始。
朝の子宮口チェックでは、5.5センチ。わずかに縮小している…?!

促進剤による陣痛の痛みも強まり、朝から夕方まで、ひたすら叫ぶ状態。
この時点で、他の妊婦さん2人の出産を見届けていた私たち。分娩室がすぐ隣にあるので、陣痛の痛みから出産のときまでの叫び声が直に聞こえていました。みんな叫んでいて、当初は私もそうなるのかな?なんて思っていたら、例外なく、私も前日の午後あたりから叫ぶようになっていました笑
人生でこんなに叫ぶことがあるなんて、思いもしませんでした。

これだけ痛いとまわりのことなんて気にしてられないので、思いのまま叫んでいました。本当は息を吐いた方がいいんだろうけど、そんな余裕もサポートももらえず。看護師の方々はこんな拷問のような叫び声を3日も聞かされて…大変なお仕事です。。

この日も朝から超絶な叫びだったのですが、ベッドから降りたり、ベッドの上で体勢を変えてみたり、動きながら悶絶していました。
これまでの2日間は痛みがくるのが怖くてまともに動けず、ずっとベッドに座ったまま痛みに耐えていました。でも、2日間ずっと座りっぱなしでおしりにテニスボールを置いて痛みを逃していたため、(テニスボール、効くんです)、足の神経が圧迫されたようになってしまい、突き刺さるような痛みが足の筋に出てくるようになってしまいました。

病院では、お腹にモニターをつけて陣痛の間隔や強さを測ったり、赤ちゃんの心拍数を測っていることもあり、自由に動きづらいことが多いみたいです。その点、助産院は必要な時にしかモニターをつけないので(もちろん赤ちゃんと母体が安全とわかっている場合だけです)、自由に動いて出産を進めていけるそうです。

私の場合、動く度にお腹に巻いているベルトがずれ、エラー音がでて、陣痛で苦しんでいる中エラー音を消すために手を伸ばしたり、とにかく邪魔でした。モニターをつけているのに、とくに病院スタッフは見てない様子でした(モニター見たら分かるのに、痛みの間隔がどのくらいか、私に聞かれたりしました)。また、寝ている時もつけていたため、まともに寝返りも打てず(泣)とにかく厄介な存在でした。

少し慣れも出てきたので、この日は動きながらいろんな体勢で痛み逃しを試していたおかげか、当初は腰あたりだった痛みの位置が、どんどんおしりに近づいていって、ベビちゃんが下に降りてきている感覚がありました。また夕方近くにははじめて「いきむ」感覚が出ました。

入院初日、助産師さんに「いきみたくなったら教えてね」と言われていましたが、いきむ感覚って言われても分からなかった私ですが、陣痛がきて痛みに耐えていた時、ふと「出したい!出そう!」という感覚になって初めて「これがいきむってやつか!」と思いました。痛くて叫んでいたのが、自然と下腹部をプッシュする感じになったことを覚えています。

16時 子宮口9センチ、救世主現る

出産まであともう一歩のところだったので助産師さんが医師に確認したところ、「今日はここまでで明日また開始」との判断となりました。そのころの私は一日中、叫びまくっていて、3日間まともにご飯も食べれず、水も飲めずだったため、ぐったりしながらその判断を受け入れるしかありませんでした。でも心の中では「またか…もう耐えられる気がしない…」とつぶやいていました。

夜勤シフトの助産師さんが出勤したところで再度、子宮口を確認してくれたところ「もう全開だよ…!」と! 私はぐったりしながらも「でも、医者が明日また促進剤やるって・・・私はもう産みたいのに・・・」と息絶えながら訴えたところ、「産もうよ!先生に話聞いてくるから」と。

・・・救世主!泣

17時 急遽、出産へ!

その後、各方面へ働きかけてくれて、促進剤を継続してこのまま出産へ向かうことに

この時間帯から勝手にいきむことが増えてきて、助産師さんに誘導してもらいながら息を大きく吐いて「いきみ逃し」をしていました。助産師さんが一瞬でも部屋を出ると不安になりすぎて「もう絶対離れないで」と訴えたことを覚えています。出産が近づき、痛みが来る度に出て来ちゃいそうで不安で不安で。もう敬語を使うどころじゃなかったですね(失礼な態度すみません…)。

16時過ぎの段階では、「今日も産めないみたい」と母に連絡していたので、17時過ぎに急いで電話を入れました。私は気力がもうギリギリだったので、Rが母に電話をしました。これがいまだに語り継がれている電話で笑

Rが母に電話口で言ったのは「来て、来て、来て!」のみ。

私はそんなことを気にかける余裕もなかったのですが、母としては何事かと思い、電話をとってから10分で家を出たそうです笑

そんなこんなで分娩室へ移動し、1時間ちょっとで無事に出産を終えました。

実際の出産の感覚

分娩室に移動してからは、促進剤を継続していたにもかかわらず痛みの間隔が5分くらいで、不思議と拷問状態からは解放されていました。痛みが来ない時は、助産師さんと会話できたり笑ったりできるくらいで、とっても変な感覚。陣痛の痛みも、それまでと比べたら痛くなかったような・・・。

いきんでいる時間は痛かった記憶はなく、助産師さんのガイドが素晴らしかったおかげでスムーズでした。助産師さんからいきむのが上手と褒められたのですが、運動していた経験が役に立ったのかも(助産師さん談)。この時点でもうRのさすりは必要なく、横に立って手を握っててもらいました。

産道ってすごく短いにも関わらず(医師や助産師が指を入れたら赤ちゃんの頭に触れられるくらいの長さ)、ここまで赤ちゃんが降りてくるまでがものすごく大変なことで痛みも伴うものなんですね。知りませんでした。

時々、助産師さんから経過を教えてもらいながら進めていったのですが、実際、頭(何かでかいかたまり、という感覚)が産道の途中にとまっている感覚は確かにありました。いきむと「にゅっ」と何か大きなかたまりが進む感覚はありました。赤ちゃんも狭い産道を進むのは楽ではないなか、一生懸命頑張って進んでくるんだなあと実感しました。まさに共同作業

最後は初産婦ということもあり、会陰(えいん)切開があり、するっ!と全身出て来ました。そのときの安堵感と言ったら・・・言葉になりませんでした。感動というよりも安堵。とにかく出て来た〜(号泣)、と。

会陰切開はできるだけ避けたかったのですが、必要だろうとの医師の判断で行われました。麻酔があったので切られた感覚はありましたが、痛みはなかったです(医師には自然に切れたとしても出産の痛みが強くでそれどころじゃないと思うよ、とは言われました)。最後に全身が出る間際で医師が登場し(それまでは助産師が主導)、最後の陣痛の波がきたところでスパッと。すごいタイミングだなあと思ったことを覚えています。

とにかく出産までが長くて心配が山のようにあったため、感情が解放され涙が自然にボロボロと出て来ました。私の場合は、感動でもなく、愛着でもなく、とにかくホッとしました。そして、顔を見て「日本人じゃないぃぃぃぃ泣 やっぱり西洋人の顔してるぅぅぅぅ泣」「やっぱりゴラムだぁぁぁ泣 スメアゴルの顔してるぅぅぅぅぅ泣」と。これが初めて対面した我が子への率直な感想です。
※3Dエコー写真で見た痩せ細った背中が「ゴラムみたいだね」と話していたこともありこの発言につながりました笑

それを聞いていたRは感動そっちのけで涙流して笑っていました笑

その後は、少し休んで駆けつけてくれていた母と姉に対面して、号泣。顔を見た瞬間、お互い泣き始めて…。今思い出しても泣けてきます。
母も姉も部屋に入って来たら自然と私の手をとってくれ、ねぎらいの言葉をかけてくれました。お互いの手を握りながら、「頑張ったねぇぇ泣」(母)「頑張ったぁぁ。大変だったよぉぉぉ泣」(私)と。このとき2人からもらった愛情、手を握った時のあたたかさや感覚は一生忘れないと思います。

特に母は姉を産んだ際に促進剤を使用されていて(大病院だったため陣痛を待たず、予定日に産まされたパターン)、それがどれだけ大変なことか知っていたのでなおさら私の大変さを理解してくれていました。

出産間近から存在感薄めだった(笑)Rはというと、生まれた瞬間からベビ子ちゃんにメロメロ。そんなRを見て私は幸せを噛みしめていました。

産後についてもいろいろ書きたいことがあるのですが、ひとまず出産体験談はここまでに。産後の悩みや育児についてはまたいつか(近いうちに…!)。長文にお付き合いくださり、ありがとうございました!

首も座るようになって来たベビ子ちゃん。あっという間の成長です。

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