引越し

北海道に行こうと決めてから、長いようで短いあっという間の3カ月が過ぎた。なかなか対面で挨拶をしに行けない人も多い中で、なんとか都合をつけて会えた友人や、なじみの店。夏場はうんざりするようなコンビニへ向かう坂道ですら、少しだけ名残惜しい気持ちになる。

「どうせ時々帰ってくるから、いつでも会える」

送別会みたいな空気になるたびに、しつこいくらいそう言った自分のそれはもしかすると、自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。別れのひとつも言わせまいと、あっさり別れることにこだわった自分はきっと、また会いたいと強く思っているのかもしれない。数字の上ではほとんど変わらない、東京と北海道のあいだに置かれた距離の現実感は自分次第で遠くも近くもなるのだと、そう思っていたい。

満員電車も交差点の人混みも最後まで険しい顔で通り過ぎていった東京の生活の中にも、出会った人がいて、時々この家にやってくる人がいた。5年という時間が刻まれたこの部屋の記憶は、笑顔も涙も等しく詰め込まれている。

段ボールが重くなりすぎないように、本と服を何個にも仕分けしながら詰めていく。硬いものと柔らかいもの。重いものと軽いもの。その一つ一つの手触りと重さを確かめながら、順番に詰め込んだ。この街を離れる通過儀礼みたいな気持ちで慎重に、硬い記憶も柔らかい記憶も同じ箱のなかに入れていく。

嵐のようなスピードで荷物をトラックに投げ込んでいく引越し業者と別れたあと、空っぽになった部屋を見る。やたらと坂に囲まれたこの部屋の来たばかりの時は真っ白だった壁紙に目を凝らすと、日焼けした家具の痕跡がうっすらと浮かび上がる。

これは僕の生活の幽霊だ。

僕の20代の日常はたしかにこの街で走り続けた。日焼けした壁紙に浮かび上がる、そこで生活を続けている自分。彼にこっそり別れを告げた。

坂道に囲まれた、小さなアパートの一室にはまだ、きっとあったかもしれない僕の生活の幽霊がいる。もしもどこかで彼にばったり出会ってしまった時、北海道の暮らしをたくさん自慢してやろうと思う。

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