あの人が好きなわたしのこと。

あの人が好きなことには理由がある。私の内面的な理由だ。

わたしは、見抜いてしまう。相手の頭が私より悪かったり、一緒に考えてくれるセンスを持っていないと、世間話モードが発動してそれ以上仲を深められない。

本当は、生きるとは?働くとは?愛とは?共存とは?平和とは?家族とは?ビジネスとは?マーケティングとは?と問い続けたい。簡単に答えを出さずに、簡単に割り切らずに、一緒に考えて言葉にして、「うーん」とか「あ、わかったかも!」とかって話をしていたい。わたしだけの、あなただけの、解釈や定義について語り合いたい。

それができる人は、あまりいない。

わたしは見抜いたとたんに、自分を隠す。ごくごく自然なわたしの頭のよさがしゃべっているだけでバレて、そのつもりがないのに相手を威圧したり論破したりネタばらししたりしてしまって嫌われるのが嫌だからだ。だけど、頭がいいと気づかれないのも嫌だ。この矛盾があるから、わたしは人付き合いを面倒がってしまう。

たとえ、わたしが知らないことを知っている人が、わたしが知らなくてその人が知っていることについて話していても、浅ければ浅いときづいてしまう。そんなの、そこらへんのネットニュース1本読めば話せるレベルでしょ、と思って、知ってよかったこの人と話せて良かったと思えない。すでに知っていることを敷衍して、当然そうなるよねとしか思えない。

だけど、私と同じくらいか私より頭がいい人なら。
男女問わず、私と同じくらいか私より頭がいい人なら、そうはならない。
私と同じくらいか私より頭がいい人は、わたしがどんなに自分を全開にしても、威圧されたり論破されたりネタバラシされない。
威圧されずに深めてくれる。論破されずに同レベルの別解を示してくれる。ネタバラシされずにその先の知識を披露してくれる。

だから、私と同じくらいか私より頭がいい人と一緒にいたい。
でも、なかなか、いないのだ。

しかも、私と同じくらいか私より頭がよければいいわけではない。
それに加えて、この世界への立場と姿勢を問う。
自分自身で、この世界に対峙しているか。自分の言葉でこの世界を解釈し、解釈した世界観に基づいて、よりよくしようとしているか。
全人性・主体性・創造性をもって生きているか。

出会ったことがあるから、いないわけではないと知っている。
だけど、ずっと一緒にいてくれる人にはならなかった。
私は今とても、そういう人で、ずっと一緒にいてくれる人を求めている。

もう、ひとりは限界なのだ。

だから、あの人が好き。期待している。

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