Endless Summer 第1話 プロローグ

「BackStreetBoys」の「Shape of my heart」が、僕を眠りの底から呼び戻した。

ジジジジという不快なバイブ音に混じって、サイドテーブルの上のケータイからその音は流れている。

「でんわだ」

僕はばかみたいに声を上げ、その自分の声でいよいよ目覚めた。

といっても、外は漆黒の闇。ここはまだ、夜の世界だ。BackStreetBoysの着メロが一周して、二周目に入ったあたりで、僕はようやく通話の緑色のボタンを押した。

誰からなのかは確認しなかった。とっさにわかったのは、この着メロが鳴るのは実に久しぶりで、学生時代の誰かだということだけ。

「もしもし?」

懐かしい声が聞ける期待と、こんな時間にどういうことだろう?という困惑を抱えながら、僕は言った。

「もしもし?秋元?」

女である。

しかも明らかに泣いている。女は続けざまに訴えてきた。

「今、都心に住んでる友達、みんな旅行とかでいなくて、車持ってないやつとかで、秋元しかいなかった。」

言い訳のようである。しかし、一体なんのだ?

僕は、こういうことで夜中に起こされても、別に大して腹は立たない。だからただ、状況がつかめなくて困惑を深めていた。

「秋元、お願い。今すぐ渋谷に車で来て。家、渋谷だったよね。お願い」

ああ、そういうことか。

僕はわかり、同時に電話の相手が誰なのかもわかった。

顔が浮かぶ。でもその顔は、少し酔っ払って、大きな口をあけて笑っている顔であり、泣きながら「迎えに来て」と懇願する姿には到底結びつかない。

さて、どうしたものか。

別に、車を出すのはかまわない。ただ、どんな顔で彼女と会えばいいのか。

おそらく、こんな、もともと別の大学で、そのうえもう3年も会っていない僕のところに電話をかけてくるぐらいだから、彼女は相当に切羽詰まっているだろう。彼女にしてみれば、僕がどんな顔だろうとどうでもいいのだろうが。

ケータイを顔に押し当てたまま僕は、眠い頭でうだうだ考えた。

彼女、黒川綾乃は、黙って僕の返事を待っている。勢いで僕を頼ったはいいが、彼女も僕と-つまりはもともと別の大学で、そのうえもう3年も会っていない奴と-こんな状況で再開することに違和感を感じ始めたようだった。

「じゃあ・・・」

「久しぶ・・・」

声が重なり、再び沈黙。

「何?」とまたハモった。

「久しぶりなのにこんな変な電話でわけわかんなくてごめん。」

さっきよりも、小さな声だった。やっぱり彼女も引っ込みがつかなくて気まずそうだ。

でも僕は、彼女の弱気な様子で逆に勢いづくのを感じた。

無謀なことをして、直後にしおれる人間くささが、彼女への親しみを思い出させた。

「びっくりした?」と、彼女はますます不安げになって聞いてくる。

「うん。まあびっくりした。行ってあげるよ。どのへん行けばいいの?」

僕は軽やかに言った。女の子に頼られるのは悪くない。それに、彼女が僕に遠慮から発した「びっくりした?」という質問に答えるかたちになったので、なんだかすごく、しゃべりやすかったのだ。

歯車が噛み合った。

僕は一向に的を得ない彼女の説明から苦心して現在地を割り出し、親父のバンで急行した。

真夜中だから、道は空いていた。

運転しながら少しずつ、彼女について思い出す。

さっきの、なんともつかみどころのない地理説明。

そう、そういえば彼女はびっくりするぐらいの方向音痴だった。


あの時も。


僕の頭の中に、11月の終わりの沖縄の白い砂浜が浮かぶ。

あの頃のことを思い出すのは、本当に久しぶりだ。

浮かび上がるひとかたまりの記憶を背景にして、綾乃の存在がどんどん輪郭を得ていく。

そういえば、僕はあいつが、少し好きだった時期があったんだった。

でも、綾乃にはなんだかやたらと垢抜けた年上の彼氏がいて、その人は僕も知り合いだった。

綾乃は年頃のくせに腕とか足とか妙に太くて、よくすっぴんでうろうろしてて、だけどどこか華のある、変な奴だった。

いじられキャラで、「また太るぞ」とか、「綾乃はほんとだらしねーなー」とか言われても、めげる様子もなく、「うるさい!」とはじけるような笑顔ではね返していた。

そのくせ、ヨットのことになると真っ向から自分のことを主張してきたり、すごく弱気なことを言ったり、けなげに僕の意見を求めてきたりと、いちいち真剣だった。ヨットのことでは、一段階、人間が濃くなるみたいに。

そうかとおもえば、たまにすごい母性本能を見せ、それに癒されたこともあった。

そう、いつも少しもつくったところがなくて、なのに会うたびにコロコロ変わるその魅力の、僕はあっというまに虜になったんだ。

あいつだって少しは、僕のことを気にかけていた。

同期のヨット仲間の中で、僕に一番たくさん話しかけて、レース会場でも浜でも、いつも近くにいて、用事を見つけては電話をかけてきて。そんな風だった。

でも、恋愛はタイミングだから、と割り切った。2人は、手も繋がなければキスもしなかった。


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