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挫折の取説(短編小説)

夏の始まりを待つ頃。
休日の電車の中は夏の予定を語る嬉しそうな
声が溢れている。
楽しい休日の軽やかな気持ちと、バイトに向かう
気の抜けた俺の気持ちを乗せた電車。

耳で気配を拾いながら何時もの様に携帯を出す。
ついでにガムを取り出し口に放り込んだ。
携帯の画面に太陽の光が差し込んで見え難い。
自分勝手には調整出来ない車中の日除に目を移した。一瞬、急に車中の風景に時が止まった感覚に
襲われる。

車両内の右から左へと眺めて驚いた。
座っている人や立っている人。
全ての人が携帯画面を見ている。俺もだ。
太陽の光に誘われる様に携帯を触る手を止めた。

車窓からの眺めを心地良く感じるのは何時ぶり
だろうか。直ぐに浮かぶ記憶は就活に惨敗した
頃から無いと気づく。
下車する駅まで自分と向き合うとする。

俺は、幼い頃から身体能力がまあまあある。
特に球技は得意で保育園の時からサッカーを
して来た。思い出の箱を開けただけでも元気が
漲る理由は、楽しみながら懸命に生きた時間
だからかも知れない。

サッカーでは規模は小さくとも、いろんな形で
選抜して貰えたが、推薦枠まで手に入れる事は
出来なかった。
高校進学はわがままの我を通して、正面から
強豪校を受験して入学した不器用者。
誰が何処で何を言おうと俺には関係無かった。

サッカーを諦めたくは無かった。

強豪サッカーチームのCチームに所属出来た。
練習もメンタルもキツイ。ボロボロだ。
歯を食いしばり過ぎて顔のエラが張り、野球の
ホームベースの形に似ていた。
それでも大好きなサッカーが出来て幸せだった。

俺は絶対にいじけない奴だ。仲間も先輩も
後輩も気の合う奴ばかりでは無いが上手く
バランスを取れる。
ただ、勉強とのバランスが下手で特進コースを
首になっちまった。
母さんの溜め息まで記憶と共に再生される。

「 母さん、すまない。もう少しやらせてくれ 」

母さんの小さな頷きを胸に刻み走り込んだ。
目指すはBチーム。
苦しくて、情け無くて、惨めさが襲った。

2年生の夏
俺に小さなチャンスが到来した。Bチームの
大会に選抜された。嬉しいと高ぶる胸を少し
調整しながら監督の話を聞いた。

「 悪いが一足先に帰るな 」

仲間の返事など聞かずに学校を飛び出た。
日頃から自転車はお前の命を守ってくれる仲間
と思いなさいと言う母さんの声を思い出しながら
自転車をぶっ飛ばす。 安全第一と声にだす。
どうしても早く伝えたかった。

「 母さん。俺。とうとうやったよ。」

Bチームと言ってもその中の格下のチームだ。
記録にも大学進学にも役には立たない試合。
けれども、仲間や俺にとったら全国大会の価値
程の試合なんだ。
母さんの毎日の弁当と握り飯に応えたい。

試合本番の日
更なる早起きをして2食分を食べた。
爺ちゃんと婆ちゃんの仏壇にも手を合わした。
気合いもポイントは合っている。問題無い。

応援だって試合参加だ。応援の為のメガホンと
旗のメンテナンスもしてある。問題無い。

試合開始のホイッスルが鳴る。
良い試合展開にメガホンを叩く手が痒くなる程
に高ぶる心を感じた。
項垂れる歓声と共にゴールネットが揺れた。

同時に鳴るホイッスル
同時に立ち上がる監督
同時にコーチが俺に手招きをする

助けてくれ。僅か数秒に反応出来る力をくれ。
俺は顔や腹に足に全身を叩いてジャンプで準備。

「 いいか。頼んだぞ。」

この瞬間の為に俺は走った。食った。
全身のエネルギーが集結するイメージが湧く。

ホイッスルと同時に緑色の舞台に駆け出した
その時.....

鳴るはずの無いホイッスルがもう一度鳴った。
咄嗟に監督を振り返って見た。
振り返り目に飛び込んで来た監督の姿は
間違い無く手招きだった。

 「  交代 」

身体が震える。感情を殺せ。睨むな。耐えろ。
日頃の鍛え抜いたメンタルが俺を抱きしめて
くれた。
代わりの選手が無事に入り試合再開。
試合中は理由を聞く事は出来ない。応援参加に
切り替える。頑張れ俺。泣くな。絶対に泣くな。

試合終了のホイッスルが鳴る。仲間が頑張り
抜いて試合は勝利した。共に喜び、ゴミを一切
残さずに整え、チーム全体で挨拶をした。
今頃その日の記憶が戻って来た事に動揺していたその時の自分に気づく。

「 すいません。監督。あの.....  」

厳しい眼差しで振り返る監督に後悔した。

「  よく聞きに来た。偉いぞ。」
「   理由も聞かずに帰ったらお前のサッカー
  は中途半端で終わっただろう。」

偉いぞと言われて吐きそうになった。

「 お前は緑色の聖地に入る時に一礼を忘れた。
     わかるな? 基本中の基本だな。」

「 皆が必死で手に入れたいチャンスをお前は
 手にいれた。だからこそ、あの一礼には意味が
 あると思う。だから下げた。以上。」

バッサリ切られる言葉は初めての感覚だった。
自分の部屋に帰るまでは泣かないと決めた。

大学は複数のサークルに席を置いた。
サッカーは未練だろうか同好会に入った。

世間から見れば就活難民の負け組の俺。
この日を思い出す偶然に意味はあるのか。
そうだ。
基本に戻れ。初心にもどれ。腐るな。

母さんがいつも言ってる言葉を思い出せ。

頭の中に天秤を持て
左の皿には今の悩み。
右の皿には自分の大切な大切な命。

左の皿に何を置いても右の皿の重たさが勝つ。

どれだけの悩みにぶつかり疲弊しても忘れては
いけないよっと母さんは言う。

今の俺は情け無い。
けれども、まだ試合は出て無いから負けて無い。

携帯を見ないバイト先までの短い旅を笑顔で降り
た。 
やっぱりサッカーして良かった。

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