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EP.11 【ネアンデルタール人】

今回もぼくの日々の学びについてのアウトプットも兼ねながら、感じたことを短く簡潔にお話していきたいと思います。

今の世の中では、「国も企業も守ってくれない、これからは自分のことも自分の大切な人も自分の力で守っていかなければいけない。」と言われています。

そこで、じゃあ自分の力ってなんだろう?って考えてみました。

まずぼく達の祖先から見ていくと、

まだ槍を片手に野原を駆け回っていた頃の人類にとって力とは単純な腕力だったり、子孫を残すための精力の強さだったりが「力」となっていたと考えました。

次に人類は単純な腕力ではなく「文化」を持つようになり、架空の神話などによって作られた一部の貴族のような人が持つ「権力」が「力」となっていたと考えました。

またそういったフィクションによって生まれた「権力」を、社会的地位をかまわず人を従え下克上を起こすような「武力」を「力」としていたと考えました。

さらに文明が進むと、それまで村や集落だったものが国としてまとまり始めその国同士で争うようになると銃や戦艦、戦闘機などを生み出す「技術力」こそが「力」でした。

ここまでは人類の文明の中で「集団」としてみたマクロな部分での「力」でしたが、現在の社会に戻し「個人」としてのマクロな「力」について考えてみます。

戦後高度経済成長期を体験した人類は一時的に得た富により、その後の社会は「お金」を持つ人に権威が集まり、「お金」により貧富の格差が生まれ、「お金」こそが「力」と言える時代だったと思います。

しかし、今では「お金」よりも「情報」に価値が生まれる時代に突入しています。

なぜなら、特に日本の場合「情報」または「知識」がなければ必死に稼いだ「お金」を守ることができない時代になっているからです。

だから現在では貧富の格差は「お金」で決まらず、「情報量」によって貧富の格差が生まれていると言われています。

そのため、現在の社会では「情報」こそが「力」と言えます。

これを聞くと今まで学ぶ習慣がなかった人はとても怖くなると思います。ぼく自身も怖くなり、早速学ぶことを始めました。

ぼくの場合は以前から学ぶ習慣はありましたが、それは自分の興味の持ったことや好きなことのみの内容でした。

しかし、これからを生きるぼく達は自分や大切な人を守るために学ばなければいけないと思い、今まで全く想像もしていなかったことも学ぶことにしました。

これを読んでいただいた方の中でまだ学ぶ習慣がなかったという人は、ぜひぼくと一緒に学ぶことを始めていきましょう。☺️

今回も完全に私事の内容となりましたが、

読んでいただきありがとうございます。笑

ではまた次回🙌🏻


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