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noteで自分の過去や弱みを赤裸々に語ることについて

私がここで、引きこもりや不登校、精神病の経験について包み隠さず語る姿勢は、多くの人にとって信じがたいかもしれません。

恥ずかしくないのか、気まずくないのかと問われれば、答えは単純です。特に気にしていません。何も感じていません。

私の過去に何があったとしても、それを今持ち出して何になるでしょうか。人間は過去に何を経験したかより、これから何を成し遂げるかの方が重要です。過去は終わった物語、今この瞬間に生きる私たちには影響を与えはしますが、それに縛られる必要はありません。

私のプロフィールや経験が、同じ悩みを抱える誰かの励みになるのであれば、そのために恥を晒すことに何の躊躇もありません。

しかし、日常では、自分の生い立ちや個人的なプロフィールを人に明かすのは容易ではありません。

自分にとっては「なんでもない」ことでも、他人は引いてしまうのです。

人は自分の経験からかけ離れた話には、どう反応していいか戸惑うものです。もし私が聞く側なら、ほとんどの重い過去も受け止められるでしょう。しかし、それは私自身が同じ経験を持つからでしょう。

結局のところ、他人に自分の過去を語ることには疲れ、すでに諦めています。時折、その過去を理由に見下されたり、馬鹿にされた経験もあります。それは決して楽しいものではありません。

だからこそ、このnoteは私にとって唯一のはけ口であり、自分自身をのびのびと表現できる場所です。

私のイラストはご覧の通り、女の子と猫ですが、猫は私にとって切り離せない、人と関わる上で自分を守るためにかぶる「猫」を表現しています。このnoteでは、猫を外して、自分を表現したいという願いを込めています。

そして、もし私の言葉が誰かの心に寄り添い、少しでも力になれるのなら、それ以上の喜びはありません。

この貴重な場を通じて、私たちは互いに繋がり、共感し合うことができます。

過去は亡霊ですが、その亡霊と対話することで、私たちは時に慰めを得て、今をより豊かに生きることができるのです。


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