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500円で私を売ります。【月刊アートPJ】

 平和に暮らしていると、厳しい状況で生きている人々の存在を忘れがちです。同じ人間でも、同じ日本人でも、考えられないほど悲劇的な日々を生きている。あまりにもかけ離れていると、異次元の存在と感じられることもあるでしょう。これは、私の『異次元の出会い』についての体験です。

 新宿駅の西口付近は、数十年前から大道芸や音楽演奏、物販を行う人々で賑わっています。私は子どもの頃からその辺りでよく遊んでおり、不思議なことに馴染みの商店街のような感覚を持っています。

 そんな通りで、いつ頃からかは分かりませんが、一人の小柄な女性が立っているのを見かけるようになりました。

 普段は気にも留めないその光景。しかし、その女性が胸から提げている段ボール書きの看板を目にした瞬間、急に胸がドキドキし、息ができなくなりました。

「私を500円で売ります」

 そう書いてあったのです。

 その女性は40代くらいで、がっちりした体格。清潔そうな水色のTシャツと白いパンツを着て、真っすぐ正面を向いて胸を張って立っていました。小さな目は道行く人に向けられているようでしたが、実際にはどこも見ていないようでした。

 私はすぐに顔を背けて通り過ぎましたが、彼女のことを考えずにはいられません。

 なぜ? 何のため? 500円は安すぎる。

 「自分を売る」とはどういう意味なのでしょうか。自分の身体、労働力、何を売るというのでしょうか。それとも、何か他の意味があるのでしょうか。

 そして、500円という値段設定。新宿なんて、東口の方を暇そうにウロウロしていれば、ランダムな男性が値段を書いたメモを渡してくる地域です。いくらなんでもそれで500円ということはないでしょう。

 彼女がそこに立つに至った経緯を考えると、陰惨で複雑な事情が浮かびます。

 リストラや経済状況の悪化により職を失い、貯金も底をつき、家賃や生活費を賄うための手段がなくなったため、最後の手段として街頭に立つことを決意したのかもしれません。生活費を稼ぐための切実な方法なのでしょうか。

 あるいは、彼女は家庭内での問題、例えばDVや虐待、経済的な支援の欠如などから逃れるために家を出たのかもしれません。助けを求めると同時に自分の存在をアピールし、誰かが状況に気付いてくれることを期待しています。彼女の行動は、助けを求める叫びなのでしょうか。

 あるいは、彼女は社会の不公平や格差に対する強い意識を持っており、この行動はその抗議の一環なのかもしれません。「500円で私を売ります」という看板を掲げることで、社会の中での人間の価値や扱いについて問題提起を行い、関心を喚起しようとしています。彼女はこの行動を通じて、社会の変革を訴えているのでしょうか。

 あるいは、彼女は人生の中で多くの挫折や失敗を経験し、精神的にも追い詰められているのかもしれません。自己価値を見失い、絶望感からこのような自己破壊的な行動に出ています。彼女の行動は、内面的な苦しみや孤独感の表れであり、誰かに気付いてもらいたいという無意識の訴えなのでしょうか。

 もし実際に500円を払ったら何が起きるのでしょうか。暗澹とした気分になります。

 彼女に何があったのかは分かりませんが、私はその苦境を想像しつつも自分が被害を受けることを恐れ、彼女に話しかけたり、ましてやお金を払ったりできませんでした。彼女の目つきは断固としていて、強い意志を感じます。何かが気に障り、刺されたりしても特に不思議はありません。

 平和な日本でもこのような捨て身の行動を取らざるを得ない人がいるのだと、異次元は本当は異次元ではなく日常なのだと感じてしまいます。

後日

 数年後、仕事で同僚の女性と新宿駅を訪れたときこの話をすると「えー、こわーい」と言われました。私が感じた衝撃を共有して欲しかったのです。

 帰り道に再び新宿駅の東口を通りかかった時、私はまさにその「500円」の女性が立っているのを見かけました。凍り付き、同僚の女性の肩を叩いて気を引こうとしましたが、その女性は「お腹が空いた」「新作クレープが食べたい」という話題で他の同僚と盛り上がっており、気づく素振りもありません。

 隣で起きている悲劇なんて目にも入らないのです。彼女は自分に都合の悪い異次元に対する「鈍感」という名のバリアを持っているのです。ロシアやウクライナで拷問されたり虐殺される人々、アフガニスタンやシリアでろくな食べ物も病院もなく死んでいく子どもたちも見えないでしょう。

 それは皮肉な事実です。彼女は精神的に健康で、そうであるべきです。結局のところ、私たちにどうすることもできない他人の苦しみを感じ取って何かいいことがあるのでしょうか? おそらく、知らない方が幸せに生きてけます。でもこの苛立ちは何なのでしょうか。目の前30センチのことしか見えない、この残酷な無頓着さ。

何も出来ないが

 「500円」の彼女がどういう理由でその場所に立っているのかは分かりませんが、彼女にそうさせる理由は決して明るいものではなさそうです。私たちの人生は風に吹かれる風車のように、自分の力ではどうしようもない出来事によって影響を受け、順調だった生活も崩れ落ちてしまうことがあります。

 その時、彼女のようにある意味堂々と世界に挑戦できるでしょうか。無理かもしれません。ある意味で彼女の生命力や意志の強さを表している行動なのかもしれません。

 彼女は今でも立っているのでしょうか。ここ数年はそもそも私自身があまり外に出ていませんが、以前は昼間ならわりといつ立ち寄っても彼女は立っていました。

 そもそも新宿近辺はろくでもない所で、普通に歩いているだけでナンパやキャッチやお金を求める外国人が話しかけてきます。ナンパはともかく女性にお金を求められると「お茶代にでもなれば」と思っていくらか渡してしまいます。でも彼女に対しては何もできません。自分が情けないです。

 もし彼女が今も立っているなら、事件や事故に巻き込まれないよう願わずにはいられません。その苦境や悲劇的な状況が一日も早く解消されることを願います。


企画概要:月刊アート・プロジェクト企画

今月のお題:『異次元の出会い』をテーマに『風車』をモチーフにした『エッセイ』でした。

※この話、他で絶対に一度書いてるのですが、公開したかどうか思い出せず…。二度目だったらすみません。。

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