NBAのプレースタイルの歴史(1):インサイドの軍拡競争

・概要

ここから続くいくつかの文章ではバスケのプレースタイルの大まかな流れを説明する。まずが下記の大まかなトレンドを説明し、その後に時代ごとの特徴を見てみたい。

1) 選手の体格と「インサイドの軍拡競争」

2) PACEの変化と守備の文化

3) インサイドの軍拡競争・ガードの守備力向上・セットオフェンスの確立の結果としての「ポイント・ガード」の成立

4) スラッシャーとシューター

5) 現代と未来

12)20年代

特に変化の原因は不明なところが多く、推測に頼っている。これは今後の課題としたい。また、2015年からNBAはプレースタイルを大きく変えている。もちろん、レブロン・ヒートの革新性を否定するわけではないが、それまでの流れの中でスパーズが2014年に優勝し、その翌年の2015年にGSWが優勝してNBA史上最も大きな変化を起こしたことを踏まえ、とりあえず2014年までを大きな区切りとしたい。



◆選手の体格と「インサイドの軍拡競争」

データについては下記の記事を参照(グラフの縦軸の数字が間違っているのに注意)

ここで示されている通り、選手の身長は1985年頃まで一貫して伸びてきていた。その理由は単純で、単純にバスケという競技が背が高い方が有利だというものだ。また、60年代にウォルト・チェンバレンがバケモノ・スタッツを残す一方で、ビル・ラッセルを守護神としたセルティックスが勝ちまくったことも大きかっただろう。60年代に唯一セルティックスに勝って優勝したのも、ウィルト率いる76er'sだった。逆に60年代に何度もファイナルでセルティックスに負け続けたレイカーズに強力なセンターがおらず、69年に全盛期を過ぎていたとはいえうぃると・チェンバレンを獲得して72年にようやく優勝できたことも印象深かっただろう。

もちろん、彼ら2人はどちらも過大評価されている(下記の動画を参照)。また、特に彼らがプレーしているところを見ると、特にウォルトが突出して大きいことがわかる。リーグのCの平均身長が6-9(2m5cm)程度だったのに対し、チェンバレンは216㎝もあった。これはある競技の創世記にありがちなことで、育成や選手選考がまだ整理がついていない時に起こってしまう(黒人問題がどれだけ絡んだかは今後の課題)。ただ、彼らが目標になったのは間違いないと思う。

ただ、選手の身長は1985年頃にピーク・アウトしてしまう。理由は単純。人間の身長には限界があるという訳だ。しかし、ここから今度が体重が目立って増えてくる。高さでの勝負に限界がきたら、次はパワー比べというわけだ。ここには筋トレのような近代的なトレーニングの導入も背景にあると思われる。そしてこの傾向は2010年代半ば頃まで続くことになる。正に「インサイドを制するものがバスケを制する」の時代だった。この頃から、典型的なポスト・アップから押し込んでいくプレーが目立ち始めた。そのほかのスキルとしては70年代までは普通のシュート以外はフックシュートぐらいで、フィンガー・ロールなんかはウィルトぐらいしかできなかった。


・センター

様々な時代がビックマンの時代だったと言われることがある。だが重要なのは、2010年代半ば頃まではその追及が進んでいたということだ。私はこれを「インサイドの軍拡競争」時代と呼んでいる。センターに関して言えば、カリーム、モーゼス・マローン、ユーイング、デビット・ロビンソン、オラジュワン、シャックの様な破壊的な攻撃力の選手が出現した(彼らは同時に守備でも鬼でした)。私はシャックを近代的なセンターの最終形態と考えている。そして今度はそれをブロックで止め、セカンド・チャンスを許さないためにリバウンドに強い、ネイト・サーモンド、ウェス・アンセルド、マーク・イートン、ムトンボ、アロンゾ・モーニング、ベン・ウォレスの時代でもあった。

下でも書いたように、00年代にはインサイドの主役の座はPFに移り、センターは地味なポジションになっていった。しかし、00年代後半から10年代前半にはドワイト・ハワード、ディアンドレ・ジョーダンのような近代的なセンターのほか、ジョアキム・ノア、デマーカス・カズンズ、そして海外出身のガソル兄弟のようなスキルのあるセンターも見られるようになっていった。


・パワー・フォワード

センターに並んでPFもインサイドで活躍するために高身長化・重量化が進んでいった。ドルフ・シェイズ、ボブ・ペティット、エルビン・ヘイズ、ケビン・マクヘイル、カール・マローン、チャールズ・バークレー、ケビン・ガーネット、ノビツキー、ティム・ダンカンという攻撃の猛者たち(センターとして同様に彼らの多くは守備でも鬼でした)。守備面ではボビー・ジョーズ、ロドマンが有名。特にダンカンは攻守ともに素晴らしく、5回の優勝に大きく貢献したことから、私は近代的なPFの完成形だと考えている。

特に、90年代のカール・マローンを嚆矢に、PFにはただ大きいインサイドだけの「第2のセンター」以上のスキルが求められるようになっていった。そして00年代はチャールズ・バークレー、ケビン・ガーネット、ダーク・ノビツキー、ティム・ダンカンという攻守兼ね備えた選手が台頭し、PFの時代を迎える。このことは、逆にセンターが従来の地位を得にくくなったことを意味していた。


・リバウンド

特に70年代からインサイドが重視されるようになるにつれ、PFの「第2のセンター」化が進んでいた。それと共に、リバウンド王のリバウンド数が20以上から15前後へと低下している。これは、PACEが60年代の異常な高水準から低下してきたと共に、センターとPFがリバウンドを分け合う時代に変化してきたことを意味している。そして、その象徴が90年代の身長2m程度のPF、デニス・ロドマンの7度のリバウンド王獲得である。最早、ウィルト・チェンバレンやビル・ラッセル、モーゼス・マローンといったセンターだけがリバウンドを支配する時代は終わったのである。

画像1

PFを第2のセンターにしてまでリバウンドを重視したのは、当時のFG%が低かったことも背景にある。60年代に入りようやく40%の壁は超えたものの、70年代でも45%程度で停滞していた。「シュートの半分以上はは外れる」と思えば、それをなんとか拾おうと考えるのも当然だった。こうして、85年頃までのセンターとPFの高身長化は進められたのである。


・ポイントセンター

現代ではニコラ・ヨキッチの登場と共に、ポイント・センターという言葉が用いられるようになってきた。ただ、非常に拙い形ではあるがこれは既に60年代に見られたのである。

後に述べるように、60‐70年代頃はポストプレーも少なく、混雑したインサイドを切り崩すスラッシャーもほとんどいなかった。得点パターンは、普通のショットしかなかった訳だ。もちろんドリブルからシュートに持ち込めればよいが、インサイドからキックアウトされたボールをシュートするのが一番簡単だというのはどの時代でも変わらない。実際に、ビル・ラッセルやウィルト・チェンバレンはこの役割を請け負っており、ウィルトのアシスト王もこの形からのアシストを積み上げた結果だった。

もちろん、近代的なハンド・オフなどはこの時代には見られない。そもそもスクリーンのルールがどうなっていたのかさえ不明である(ささやかなものは散見されるが)。

ただ、単純なプレーですら誰にでもできるものではなかった。この時代のセンターはのちの時代の様に7フッターが揃っていた訳ではないことに注意しよう。そして、必ずしも片手でボールを鷲掴みしていたわけでもない。身長の高くない選手がゴールに背を向けてボールを持っていることには、常にスティールの危険が付きまとう。身長が高くボールを高い位置に収められる選手や、状況判断の良い選手にしかこういったプレーはできなかった。


・ポストプレーの繁栄

インサイド・プレーヤーの得点パターンと言えば、ポストアップからのねじ込みをイメージされるだろう。しかし、過去の動画を振り返ってみると、これは80年代からのものだということが分かる。ただ、70年代前半にも多少は行われていた。


その理由はいくつか考えられる。まず、PFに関しては70年代まではその身長は2m程度で体重も軽かったため、インサイドをごり押しするよりシュートに体形が向いていたこと。彼らの身長は相手にシュートをブロックされないために使われており、「高身長シューター」という方がしっくりくる。PFでインサイドでの得点を取り始めた代表はおそらくケビン・マクヘイルだろう。そして、カール・マローンというインサイドのごり押し・シュート・そしてダブルチームに来られた時にキックアウトができるというスキルフルなPFの先駆けが生まれる。そこからケビン・ガーネット、ティム・ダンカン、ダーク・ノビツキーと引き継がれていく。

また、センターも含めて70年代頃までポストプレーが少なかったのは、ルールの影響があったかもしれない。下記動画にあるように、ドリブルのルールは歴史を通して大きく変化している。相手を体格で押し込みながらドリブルするのは容易なことではなく、ドリブルの自由度が低かった時代には技術的に難しかった可能性もある。もちろん、80年代半ばからの体重の増加やインサイドの選手のスキルの向上もあり、因果関係まで考え出すと容易に結論が出るとは思えないが、少なくともこれらの要素が関わっているのは間違いないだろう。


・ポストプレーへの対抗策としてのファウル要員

このようにしてポストプレーが流行るようになるのだが、その最も正攻法の防ぎ方は素晴らしいインサイドのディフェンダーを用意することだ。しかし、素晴らしい攻撃者を用意するほど難しいことではないものの、優れた守備者も決して安くつくわけでもない。また、上で見たように攻撃と守備の両方に優れた選手も多い。彼らが守備でファウル・トラブルになることは、攻撃の停滞を生み出す。

そこで対策として考えられたのは、とにかくファウルで止めてしまおうというものだった。今も昔もビックマンはフリースローが下手だ。ただ、同じ人間がファウルをしているとファウル・トラブルになってしまう。そこで、センターを3人用意するようなチームが現れた。有名なのは90年代のシカゴブルズ。ホーレス・グラントという若手で優秀なPFはいたが、センターは格が落ちた。そこで、ファウルで止めてしまえということになったというわけだ。(もちろん、イカツい相手にフレッシュな選手を対抗させるという意味もあった)

もちろん、ファウルが5つになれば相手にフリー・スローを与えてしまう。しかし、2-4番の守備が良かったブルズはシュートが上手いこのポジションの相手には容易にファウルをすることはなかった。これはリーグの主要な作戦だったかどうかはまだ調査中だが、言及しておく価値があるものだと思う。特に時代の趨勢を無視してビックマンを要せずに勝ち続けたブルズのこの作戦には注目の価値があると思われる。


・MVP

最後に90-00年代以降がいかにビッグマンの時代だったかをSMVPで確認しておこう。90-91から09-10シーズンでビッグマンは10回MVPを獲得している。内訳はマローンの2回、ダンカンの2回、バークレー・オラジュワン・ロビンソン・シャック・KG・ノビツキーがそれぞれ1回ずつである。逆にビックマンでない選手を挙げると、ジョーダンの4回、ナッシュとレブロンの2回、アイバーソン・コービーの1回ずつである。


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