「学歴ロンダ」の話が出るたびに思い出すこと
手元に1冊の小冊子がある。そこにある言葉を引用することから始めたい。
今この大東[文化大学(まつーら・補)]に来ていろいろな学生諸君に接するようになったが,若いのに何と寡欲の人の多いことか,と驚く。この大学の学生は自らの能力に自ら天井を作ってしまうのだ。とんでもないことである。たとい2度や3度入学試験に失敗したからといって,それがその人の能力の限界を示している訳ではない。ましてや暗記暗記を強いられて,それに成功した人間が高得点を取るような時代であるのならなおさらのことである。大東の学生はもっと自信を持つべきだ。いい才能を持っている学生が何人もいることは,1期生・2期生の我がゼミ生を卒業させ,今や3期生・4期生を現役生として共に勉強していて分ることなのである。
これは私が卒業した大東文化大学で指導教員だった先生が学科の冊子に寄稿した文章に書いていたものだ。私が入学した1996年当時の雰囲気では大東文化大学はいわゆる日東駒専などに落ちた人が来る「負け組」感がとても強い大学で,あちこちで学生たちから「しょせん大東」という言葉が誇張ではなく聞こえてきた。勉強にせよサークル活動にせよ大学を楽しんでいた私自身は上のような言葉を聞くたびに少しイラッとしつつ特に反論もできずにいた。ただ,もっとも幸いなことに私のいた外国語学部日本語学科は学内で見るとちょっと変わった人が多かったのか,そういった言葉を口にする人はまずいなかったように思う。
上の文章を書いたゼミの指導教員だった先生は大学院への進学を希望していた私の勉強によく付き合ってくださったが,その後の夜の部(飲み会)などで折りにつけ「大東の学生はできるのにもったいない」と口にしていた。上のようにイラッとしつつも特に反論しないでいた私にとって,現役の教員からこのようなことを聞けたことは心強いものだった。
Twitterでは間欠泉のごとく「学歴ロンダ」の話題が出てくる。最近もとあるウェブ記事(内容は大してここと関わらないので紹介しない)がもとで話題になっていたところだ。「学歴ロンダ」とは典型的には偏差値の低い学部から高い大学の大学院へ入ることを揶揄した言葉で,私の場合は2002年頃に初めて聞いたが,正確にいつ頃から言われたのかは分からない。ちなみに手元にある朝日新聞のデータベースでは『アエラ』1995年10月9日号が初出だが,インターネットジャーゴンだろうからもっと早くから使われていたのだろう。
私は大東文化大学を卒業して九州大学の言語学講座に進学した。すなわち,私も「学歴ロンダ」した人となる。そんな当人が言うことにどれだけの説得力があるか分からないが,どんな勉強をしたいか,専門の勉強がどれだけ面白いかが分かるのが卒業生になってからということは十分にあるし,実際,卒業論文を完成させてから「専門の勉強が面白いことに気付きました」という感想を持つことは珍しくない。だから,大学院に進学しようというとき,もといた大学がどうだということにひきずられる必要は全くない。専門のことをもっとやりたいならそれが第一だろうと思う。専門の勉強をするときに学部に入るときまでの学力が付いているに越したことはないし,あるとかなり有利なことは否定しない。僕も英語ができず(実は恥ずかしいことにそれなりにできると思い込んでいた)に苦労することが多かった。ただ,それでも大学院に入って専門の勉強を始めたら,いろいろなところでそれまでの学歴は関係なくなる。私だって内部進学した人の議論がおかしいことを指摘することはあった(もちろん逆もしかり)。だから,他大学の大学院に進もうとする人は,ぜひそんな呪いの言葉に気持ちを持っていかれることのないよう,頑張ってもらいたいし,ここまで読んでしまった人もぜひ「呪い」を口にしないでほしい。言霊を信じているわけではないけど,いつの間にか言葉にやられることはあるのだ。
ちなみに最初に書いた指導教員の文章には続きがあり,
しっかりした正統派の学問をすることが,別に学者にならなくても,就職するためにも,大学の卒業生として肝要なことなのである
など今の目で見ても(見ると?)刺激的なことが書かれいて非常に面白いのだけど,それらについてはまたいつか。
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