
谷川俊太郎さんと北星学園大学
詩人の谷川俊太郎さんが亡くなられた。
小学校国語の教材にスイミーの日本語訳が初掲載されたのが1980年(昭和55年)なのだから,見たことない人はほぼいないだろう。

谷川俊太郎さんと北星学園大学も関わりがある。というのも,北星学園大学の学歌は谷川俊太郎さんが作詞しているのだ。作曲は息子の谷川賢作さん。

このリンクにある動画はiPhoneだと聞けないの(ダウンロードリンクも僕のではダメだった)で勝手にアップしたYouTubeのリンクも付ける(別のバージョンなら大学公式YouTubeにもある)。
これがご縁で谷川俊太郎さんかつて大学広報誌にもインタビューが掲載されたことがある。
そのインタビュー全文を再掲するので読んでいただきたい(原子,池田は当時の学生,大学から叱られたら消します)。
北星学園大学の学歌を作詞。
原子:本学は1991年に開学30周年を迎えた際、谷川さんに学歌を作詞していただきました。当時のエピソードなどについてお聞かせください。
谷川:詩人で当時英文学科の教授だった矢口以文さんから依頼を受けたと記憶しています。息子の賢作が学歌の作曲を手がけて間もない頃でしたが、今あらためて聴くと、学歌らしい良い歌だなと思いました。
池田:歌詞に「宇宙へと響け歌ごえ」とありますが、アニメ「鉄腕アトム」の主題歌や詩『二十億光年の孤独』など、谷川さんの作品には宇宙に関する表現が多く登場しますね。
谷川:十代の後半から自分の住所は宇宙だと思っていたんです。一般的な住所も範囲を広げれば日本の一部だし、アジアの一部、地球の一部と視点を広げていくと結局宇宙に行き着いちゃう。天文学の知識はあまりないけれど、宇宙は身近な環境だと思っていました。僕はひとりっ子で親しい友達も少なく、人間関係における孤独はあまり感じなかったけれど、宇宙の中ではひとりぼっちなんだという感覚が『二十億光年の孤独』の根底にはありました。
池田:本学の教育理念であるキリスト教主義を反映した「祈り」という言葉や、創立者サラ・C・スミスが札幌に持ち込んだとされる「ライラック」が歌詞に盛り込まれるなど、北星らしさを感じさせる表現も印象的です。
谷川:学歌を作る上では具体的な校風やシンボルを意識しますが、もともと僕はライラックが好きでね。庭に植えたかったけど「東京では根付かない」と植木屋さんに断られて残念な思いをしたこともありました。また、母が同志社大学出身で僕もキリスト教の幼稚園へ通っていたので、キリスト教には親しみがありましたね。幼稚園の時、赤と青のを持った天使の絵を見て「秤が赤に傾くと地獄へ行く」と聞いて、幼心にすごく印象に残っているなあ。
湧き上がる言葉をどう伝えるか。
池田:谷川さんは60年以上もの間、創作活動を続けていらっしゃいますが、どんなふうに詩を書かれるのでしょうか?
谷川:散文は左脳で書くけれど、詩は右脳で書くもの。まず自分をからっぽにして待ちます。潜在意識の中にある言葉にならない何かが、思いがけない言葉になってポコッと出てくるまで、何時間でも待ちます。「インスピレーション」は天から降りてくるイメージだけど、僕の場合は言葉が地下水のように湧いてくる。それを書き留めて毎日見直して、使えそうな言葉を組み合わせたり、手直ししたり、一作品を仕上げるのにひと月以上はかけます。
原子:原稿用紙に書かれるのですか?
谷川:今はパソコンです。字が下手だし、万年筆はインクが擦れて汚れるのが嫌なので、ワープロが出た時はすぐに買いました。最近はノートパソコンを持ち歩いていて、旅先で書くこともあります。
池田:書くツールが変わったことで詩作に変化はありますか?
谷川:ありますね。原稿用紙は20字✕20行。1フレーズが行をまたぐと美しくないので20文字以内に収めていたけれど、ワープロやパソコンになってからは息の長い詩が書けるようになり、口調も変化しました。推敲もしやすくなって、手直しに時間をかけるようになりました。
原子:谷川さんの詩が読めるスマートフォンアプリが登場するなど、メディアも変化していますね。
谷川:詩を読者に届ける方法は紙だけではありません。僕は若い頃から映画やアート、音楽とのコラボレーションにも取り組み、時代に合った発信方法を考えてきました。詩の読者が激減する今、電子メディアを活用した詩の発信は、ますます重要になっていくだろうと思います。僕はもともと真空管ラジオを作るのが好きだったこともあり、今も電子メディアに興味があるんですよ。ただ、ツイッターやフェイスブックなど不特定多数とのやり取りは疲れちゃうので、ネット上ではホームページを介して読者のみなさんとつながっています。
谷川作品を「感じる」ということ。
原子:東京・森アーツセンターギャラリーで「スヌーピー展」を開催中ですが(2014年1月5日まで)、「ピーナッツ」の翻訳も谷川さんが手がけていらっしゃったと知って驚きました。
谷川:1967年頃、知り合いの出版社社長がアメリカで翻訳権を取ってきたのがきっかけで、2000年に原作者のシュルツ氏が亡くなるまで翻訳し続けました。アメリカを旅したときに新聞で見て「変な犬がいるなぁ」と興味を持っていたので、翻訳はとても楽しかったですね。でも3ヵ月分のマンガがいっぺんに届くので、旅行に行くときなどは大変。徹夜で訳したこともしばしばありました。
池田:キャラクターたちのセリフは短いけれど、心に響くものが多いですね。
谷川:シュルツ氏に一度お会いしたことがありますが、哲学者のように真面目で思慮深い方でした。日本語にない表現も多いんですよね。当時はハロウィンの習慣が日本になく、ライナスの心の中にいる「かぼちゃ大王」は実在すると思い込み、悩みながら文献を調べたりしたのもいい思い出です。
原子:谷川さんは子どものための絵本も多く書かれていますね。私も『にじいろのさかな』『もこもこもこ』などを読んで育ちました。
谷川:絵本は子どもが喜んでくれるのが一番。詩もそうですが、僕は自分が書くものにメッセージを込めることはありません。メッセージが見えてしまう作品はつまらない。だから伝えたい思いは奥の方に隠して、いかに楽しく洗練された表現を書くかに心を砕きます。だから僕の作品は、その人が感じたように受け取ってもらえればいい。そして、奥に隠れた微妙で味わい深い何かをくみ取ってもらえれはうれしいですね。
原子・池田:本日はありがとうございました。
短いインタビューだけれど,宇宙は身近な環境,ツールによる詩作の変化,変な犬(笑),メッセージが見えてしまうことなど,面白い視点や首肯することが多く読み取れるだろう。
あらためてご冥福をお祈りしたい。
同日14:46追記
大学の公式HPでもお悔やみの言葉と広報誌への紹介が出ました。