嫉妬について
悲しい事件があった
嫉妬という感情によって、悲劇が起きた
現代においてこういった嫉妬という感情は社会の不安定要素として確実に大きく存在している
貧乏人が金持ちを憎み、モテない人が幸せそうなカップルを憎み、低学歴な人が高学歴を憎み そこには鬱屈とした感情が溜まり続け、悲劇を引き起こすまでいくことがある
しかし、片親の元に生まれ貧乏な生活を強いられても、金持ちを憎むことなく親を助ける親孝行な子供もいれば、不治の病に冒されても誰かのためになろうと頑張っている人もいる
一体どういうことだろうか
一方はちゃんとした普通の家に生まれて、健康な体だというのに嫉妬まみれの人生であり、一方は客観的にはより辛くおもわれるような境遇にありながらも愛に溢れた充実した人生を送っている
無論、いい家庭に生まれたとしても、健康な体に生まれたとしても、前者のような人間は後者よりも確実に不幸な人生であると予想できるし、誰もそんな人生は絶対ごめんだと思う
幸いなことに僕は人に対して嫉妬という感情はあまり抱いたことがない
しかし嫉妬を感じている当の本人にとってはとても辛いことだと思う
人を殺すことまである 異常な心理だ
どうしたらいいんだろうか少し考えてみようと思う
現代社会の嫉妬が生まれやすい構造
現代社会において人は生まれた瞬間に自由な存在として生まれる
このことについてサルトルは人間は「自由の刑に処せられている」と言った
江戸時代までであれば、生まれが農民であれば一生農民であるし、武士に生まれてもその武士の中での序列というのはほとんど決まっている
「自由」という言葉自体、福沢諭吉が明治に初めて作った言葉であって、それまでの日本人の概念の中に自由など存在しなかった
つまり自分が農民であり、武士階級より貧乏な生活で過酷な労働で卑下されていたとしても何の責任もないし、全くもってそこに疑問は生じない
しかし現代において思うような人生を描けないのは当の本人の自己責任である
生まれた瞬間に東大に行ける人など一人もおらず、東大を出ている人はすべからく血の滲む努力をしているし、エリートサラリーマンはその地位を獲得するために途方もない努力をしている
しかし、だからこそ東大を出てエリートサラリーマンとして活躍している人に対して、嫉妬する人が現れる
なぜならそれは自分も成れたかもしれない姿であり、敗者となった自分を認めることができないからだ
ニーチェはこのことを「ルサンチマン」と言った
ルサンチマンとはつまり、弱者が強者に対して抱く恨みの心である
現代の自由な社会では、自分のせいで自分の人生が上手くいかないことを認めるということができずに、
「今の自分の境遇は社会が悪いからだ」
「金持ちたちが悪いからだ」
「女/男はアホだ」
とかそういった思考回路に至り、自分自身の責任を回避する
すべて自分のせいであるにもかかわらず
そしてその結果として、その鬱屈した感情が溜まり続けた末に、
自分より強者の人に対して怒りをぶつける もしくは
さらに臆病な人間は怒りを自分よりさらに弱者である人にぶつける
こうして社会にとって害悪でしかない存在になってしまうことさえある
これは悲劇以外のなにものでもないだろう
ではどうすればいいのだろうか
処方箋
僕の好きな言葉に
「不幸になりたければ他人と自分を比較しろ」
という言葉がある
こういった嫉妬という感情を持つ人は自分の境遇と他人の境遇を比較して、その差に耐えられないと思うのだが、まずその思考を持つ限り永遠に抜け出すことはできない
なぜなら上には上が居続ける
東大でていても、法学部でて財務省に入っている人に対して、経済学部出身の経産相が嫉妬を持つことはできるだろう
もっと言えば、ハーバードの首席とか、天皇家の一族でとか、世界を変えた起業家であるとか、自分が上に行っても行っても上には上がいる
自分と他人を比較している限り、永遠と現在の自分に鬱憤がたまりつづけるだけだ
そして責任を逃れるために、「コネだけのやつめ」とか「あいつは性格が悪いから」とか 思うようになる
勝手に人と自分を比較して、敵対するような人と誰が一緒にいたいだろうか??
他人の幸せを喜ぶことができない誰からも相手にされない惨めな生き物になってしまうだろう。。。
勝負の世界で点数や成績を競い合うのはいい
だけど不幸になりたい人以外は人生だけは絶対に比較してはいけない
そして今の境遇に納得いかない場合はそれを自己責任として受け入れて、前をむいて努力すればいい
先述のニーチェは「ルサンチマン」から逃れるために「超人」となれと言った
超人とは、現在の自分よりよくあろうとし行動し続ける人だ
誰かと比較してどうこうではなくて、自分の目指す姿に向けて努力を続ける人間である
アドラーは「優越性の追求」という言葉を使っている
人間は誰しもが今よりも良くなりたいという想いがあるのだから、そしてその方向性は人それぞれであり、誰と比較することもなくただ優越性を自分の中で追求するのみでいい
また、社会が悪いとか、成功者は性格が悪いとか言うのは「人生の嘘」として、その嘘に逃げてはいけないと説いた
先日、大学時代の友達と久々に飲みに行った
彼は今から5年前の大学時代、大手広告代理店を目指していたが就職活動に失敗し、不動産会社に営業職で入社した
僕は「最近どうや、変わりないか?」と聞くと
彼は目がキラキラして自信に溢れた顔で
「僕、今、電通に転職して働いてるんですよ」
と嬉しそうに言う
さらっとそう言ったが、彼の目つきや堂々とした所作から、全て自分の責任として、とてつもない努力を乗り越えて夢を実現したんだなとすぐわかった
彼は悔しい想いを経験したが、それを人のせいにすることはなかった
他の内定者に嫉妬する事も、会社のことを悪く言うこともなかった
ただ自らの目標と向き合い努力したのだ
彼と話しているだけでこっちまで嬉しくなり誇らしくなるそんな清々しい飲み会だった
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