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対話その11|ゲスト 中村さん|自殺はダメなことなのか

wish you were hereの対話その11。
ゲスト回が続いていますが、今回は友達の中村さんが来てくれました。

中村さんとは職場の同期ですが、周囲の人の自殺や自分自身の自殺未遂についてこんなにじっくり話したのは初めてです。リアルな距離感がある人にこういった話をするのはなかなか勇気のいることですが、ラジオに来てお話ししてもらえたことがとてもありがたいです。
特に私自身の自殺未遂経験についてはnoteでもこれまであまり深く話したことがなかったので、中村さんがいたからこそ話せた話題だったとも思います。
(聞く人によってはかなりしんどい内容もあると思うので、心に余裕のあるときに聞いてください。)

自殺はダメなことなのか。
ラジオでそれを話すことになってから、末木新さんの自殺学概論のYouTube動画を見ながら色々考えたりしました。ラジオの中でも紹介した動画です。

動画を見ながら納得する部分がありつつも、自分の体験や思いの全てを理屈立てて説明するのには違和感があるような気もして、なんだかモヤモヤしていました。
ラジオを収録してからそれを何度も聞き直して、それでも考えがまとまらなくて、訳もなく環状線に乗って天王寺駅で降り、昔ながらの純喫茶でほぼ水みたいな味のアイスティーを飲みながらこの記事を書いています。

母がした自殺という行為が許されることなのかどうか。私が20年近くこだわっていたのはそういうことではないような気もします。
母が拒絶した、母のような人が死ななければいけなかった、そしてもう二度と母には会えないこの世界に取り残されたことが、途方もなく悲しく、一緒にここで生きてくれなかった母に裏切られたような気分になったのです。
母が死を選んだことよりも、母がたった一人でそのことを決めてしまったことのほうが悲しかったのかもしれません。

だから私も一人でそれを決めて、母と一緒の場所に行こうと咄嗟に思ったけれど、私は死なずに今でも生きのびています。
肉体は生き続けているけれど、あのとき本当に一度死んだような気もします。自分のことなのにまるで実感がない、とても不思議な気持ちです。

死んではいけない理由も、生きていく理由も未だによく分からないですが、あの日から地層のようにただ日々を積み重ねて、生きていることの実感のようなものはだんだん分かってくるようになりました。

それはまったく特別なことではなくてふいに、秋のつめたい空気がベランダに金木犀の甘い香りを運んでくるような、ほんの些細な瞬間に強く実感するものです。
生きている意味はまるでわからないけれど、ただ生きている。それだけで肯定されるような気持ちになる日があります。生きることも死ぬことも、そんなふうに理由もなく受け入れることなのかもしれません。

最後まで考えがまとまりませんでしたが、ほぼ水みたいな味のアイスティーを飲み終わったのでまとまらないまま今の気持ちを残しておきます。

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