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アブストラクト・マイパーソナリティ

私がnoteを書こうと思ったきっかけのひとつは、「自分の内面を言語化する」ことだ。

この作業は内面的な恥部みたいなところを削り取って、人に見せられるかたちにするというカロリーの高いもので、なかなか着手できずにいた。その結果、いくつかのお茶濁し記事を世に放ってきたのだが、最近になってようやく気力が湧いてきたので、その灯が絶える前に書いておこうと思う。

(ところどころ出てくる写真に意味はありません。大学時代に撮った風景写真とともにお送りいたします。)


その日暮らしを続けてきた

大学入学前までの私は、舵もオールもないいかだのようなものに乗り、ただ波に揺られ流されるように生きてきた。嫌なこと、面倒なことを避け、その日を生き抜くことができればそれで良い人生だった。

このように日々を消化してきたから、面倒なことは徹底的に後回しにし、いよいよどうにもならなくなった頃にツケを払う生き方が染みついてしまった。とても苦しい生き方だと思う。

大学生になった今でも、課題は期限前にまとめてやっつけるし、出さなければならない書類は催促が来てから書き始めることもしばしば。このような生き方を続けてきてしまったのは、そんなやっつけ仕事でも特段痛い目に合うこともなく、なんとかなってきてしまったからだと思う。一度でも強烈な痛い目を見ておけば改善しようと思ったかもしれない。ただ、これまでの私ときたら、結局他方に何かしらの手間をかけさせるかたちでなんとかその場しのぎを繰り返してきてしまった。


人生の舵

大学に進学し3年が経過し、早いもので今年度はもう最終学年である。

どの大学、どの学部に進学するか、サークルは?アルバイトは?

ここ数年自分の身に降りかかった無数の選択において、常にベストチョイスができていたのか、自分の人生に価値のある方を選べたか、その評価ができるのはきっともう少し先のことだろう。それとは別に、大学生生活の中で得られて間違いなく良かったなとすでに実感しているものがある。それは生き方の変化だ。

大学生になってようやく、私は自分の人生の舵を自分で取っている実感を手にした。

裸のいかだに乗って波に身を委ねていた私は、突然オールを手にした。たぶん誰しも最初は何もないいかだに乗っていて、子どもから大人に成長する過程のどこかでその舵の存在に気づき、自身のいかだを操縦し始める。早い人は小学生くらいからし始めるだろう。そのタイミングが私にとっては大学在学期間だったという話である。


埋もれる

大学という機関は、高校以前の学校に比べて専門性が高く、人それぞれ自分の学びたい分野を学ぶことができる。

では、すべての大学生が自身のやりたいことがあって学部を選べているかと言えば、そうでもないと思う。私もある程度興味があって「デザイン工学部」を選んだものの、その分野に関してもともと腕に覚えがあったわけではない。


私は器用貧乏な人間だと思う。小さい頃から、人に比べて極端に劣っている能力は無かったと思う。特に小・中学校はできないことを伸ばすことにこだわる教育機関だから、その環境においては、私は割と「できる子」だった。

ところが大学はその専門性ゆえ、できないことがあることは割とどうでもよく、むしろ人より突出した才能がある人間が輝ける場所なのだ。器用貧乏はなかなか高評価をゲットしにくい。

実際、大学に入って見ると、専攻分野のデザインに関してすでに実力のある人間がごろごろ存在した。スケッチが得意なやつ、造形が得意なやつ。そんな学生に囲まれ、私は完全に埋もれた気がした。しかも外を見ればデザインに関しては美大なんかはもっと高いレベルでやっているだろうし、工学についてもさらに上のレベルがある。この世界で戦っていくにはとてつもなく上に立ちはだかる存在がいることを私は知った。


まあでも、何とかなるよね。

最初こそ、私にも埋もれてたまるかともがく意思があった。しかし、大学が夏休みに入ったあたりからその心の灯はいつの間にか消えてしまった。否、私のさぼり癖、なんとかなるやろ精神がその灯を消してしまった。


タイミング

あらゆる勝負から逃げ、結局大学でもその場しのぎで日々を送り、気づけば4年生になっていた。

研究室に配属され、卒業研究やら就活やら、何かと忙しくなった。研究も就活も言ってしまえば自分との戦いだ。だけどどうしても周りの人の進捗が目に入り、気になってしまう。そして必要もなく優秀な他人と比べては自己嫌悪に陥り、やる気は下がる一方だった。


周りに優秀な人間がいる環境は、それ以前にも当然あった。ミニバスのクラブチームでは、球技全般苦手な私は万年ベンチメンバーだったし、自分の意思でもないのに参加することになったピアノのコンクールでは、小学生ながらに自分では到底手の届かない才能を持つピアニストがいることを知った。

ただ、そんな事実が悔しくてたまらなかったかと言われると、そうでもなかった。やっぱり私はその日一日が楽しければ、美味しいご飯が食べられれば、好きなテレビを見てぐっすり眠ることができれば、あとは何でも良かった。


では、なぜ大学生になった途端、周りの活躍にこんなにもジェラシーを感じるようになったのだろうか。将来就く仕事に直結し得ることを学び始めたからだろうか。親元を離れ一人暮らしを始めたからだろうか。

原因こそ様々あるだろうが、とにかく大学という環境は、自分のやっていることが自己を形成し、飯を食っていくためのスキルになり得ることを自覚させられる場所だった。そうなれば、周りの中での自分の立ち位置、もっと生々しい表現をするなら自身の社会的なランクを意識せざるを得ない。

全身全霊で勝負に挑むとこんなにも自分は勝てないのか。それを自覚するタイミング。大学3年生。21歳。

これまで器用貧乏にかまけて、なあなあでやってきた自分を恥じた。


ジェラシーを原動力に

成功の裏には相応の努力があると思う。私は必要な努力を怠ってきた。

その場しのぎの連続で日々過ごし、いざ自分のキャリア形成の壁にぶち当たった時、「目標達成のためにすべき必要な努力」に使う筋力の貧弱さに気づかされた。

努力から逃げ、その場しのぎでやり過ごしてきたことは今になってコンプレックスとして自分の身に重くのしかかった。「努力できることは才能」という言葉があるが、まさにそれを実感した。


周りの人間が活躍しているのがうらやましくて仕方がなかった時期があった。成果そのものに対してではなく、その人間の、おそらくあるであろう裏での努力にジェラシーが募った。そしてジェラシーばかりで結局何も行動に移さない怠慢な自分が情けなくて仕方がなかった。


ようやく最近は、ジェラシーを原動力に換えられるようになってきた。

こう思えるようになるまでかなり時間がかかった。ここまでだらだら過ごしてきた過去は変えられないし、周りの活躍は自分に無関係だ。就活、研究が忙しくなってきてあーだこーだ言ってもいられなくなってきたし、もはややるしかない域まで来て、前を向かざるを得なくなった。


ここまでをまとめると、流されるがままにだらだら過ごしてきた人間が、急に自分の人生設計に自覚的になった時、それまで必要な努力を怠ってきたことに急に情けなくなった。だけどずっとネガティブでもいられないので、その悔しさを原動力に無骨にやっていくしかないと思うようになった人間がいるという、そんな話だ。


cinema staffというバンドがいる。私は会話の中でたまにその名前を出すことがあるので知っている人もいるだろう。cinema staffは、色々な意味で私を形成しているバンドだと思う。

「シャドウ」という曲がある。昔から聴いてきた曲だったが、最近になって歌詞に強く共感するようになった。この曲、「ジェラシーを原動力に」がテーマになっているのである。


なんでも、cinema staff(の前身バンド)は高校生時代、アニソンで有名なLiSAと同郷で肩を並べて活動していたそう。お互いミュージシャンとして活動していく中で、規模の差がどんどん開いていくのを感じ、常に先を行くLiSAへの嫉妬の思いが基になって「シャドウ」ができたのだそう。


cinema staffは最高にクールなロックバンドだ。私のヒーローと呼べるロックバンドだ。そんな彼らであっても、裏でものすごい嫉妬があって、それを原動力に活動を続けているのだと思うと、アーティスト、ミュージシャンという存在が身近に感じられるようになったというか、彼らも同じ人間なんだななと気づかされ、さらにこのバンドが好きになった。


最後に

さて、ここまで私の内面的な恥部を必死に削り取ってきたのだが、文章にしてみると読みにくい事この上なし。こんなとっ散らかった醜い文章を最後まで読んでくれた人がいるのだとしたら、本当にありがとう。次は頭を使わず気楽に読めるnoteを書きたいな。




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