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弱者の生存戦略#1 野村克也(プロ野球)

大竹です。
世の中を見回すと、なんとセンスに溢れた人が多いものかと感じます。

SNSは、人との接触に完全な自由を持ち込みました。今までなら接することもなかったような、優秀な人が何を考え、どんな行動をしているのか、わかるようになりましたよね。

センスのある人は、SNSでフォロワーを集め、自分の発言力をさらに強めます。AIはそれを抜け目なく察知し、私達が興味を持つ「発言力のある人」をレコメンドしてきます。こうして、一部が持つ発言力は、さらに強まっていくのです。

ビジネスも同じです。
起業して一攫千金の夢を勝ち取った、特定の個人に富が集中していきます。

現代はいわば、強者総取りの世界。普通の人に勝ち目はないのでしょうか?

私はそんなことはないと思います。
本当にセンスで勝ち抜く人は、ごくわずか。多くの成功者は、センスだけの活動に限界を感じ、地道に、正しい報告に向かって、努力を積み重ねていくのです。

また、強者総取りは現代のビジネス・SNSだけではありません。

プロスポーツでは、昔から一部のエリートが高額の年俸を勝ち取ってきました。歴史を遡れば、日本の戦国時代は、まさにバトルロワイヤル。裏切りが裏切りを呼ぶ時代でした。鎌倉時代の初期には、源頼朝が権力の邪魔になる兄弟を次々に殺害し、頼朝が倒れたあとには、執権の北条家が同じようにライバル豪族を排除していきました。

その中で、個人はどんな事を考えて、生き残りを図ったのでしょうか?

日本は、世界で一番歴史の古い国家です。ご存知ですか?
中国4千年の歴史っていいますけど、王朝(=国)は何度も変わっていますからね。日本人が思っている以上に、世界で日本は尊敬を集めているんですよ。

この歴史の中で積み上げられてきた、先人の知恵。
活用しない手段はないと思うのです。

前置きが長くなりましたが、歴史とスポーツが好きな大竹が、過去の様々なエピソードから、「弱者の生存戦略」の実例をご紹介していきたいなと、そう思うわけであります。

記念すべき第1回は、プロ野球の名選手にして名監督、野村克也氏です。

パ・リーグ初の3冠王(捕手としては世界初)。
通算本塁打657本塁打(歴代2位)。
ベストナイン19回選出(歴代1位)。

まあ、記録を上げればキリがない名選手です。
しかし、彼のキャリアのスタートは、順風満帆とは言い難い、いつ解雇されるかわからない状況でした。

この写真、見てください。一番左下が、中学生時代の野村氏です。
真っ黒に日焼けした野村少年は、ランニングと半ズボンですね。父親は戦死、母子家庭ながら母親は2度もがんを患い、極貧家庭に育った野村氏は、野球のユニフォームすら買えませんでした。

前列左が野村少年

そんな彼は高校進学するも、強豪校ではありませんでした。家計が苦しい中で、兄を大学進学させるために野村氏は高校へ行かず働くことになっていたのですが、兄が大学進学をやめて、野村氏を高校に行かせてくれたのです(泣ける)。

進学した高校は、野球では全くの無名校。このままではプロ野球など100%無理です。

しかし、極貧生活から抜け出すためにプロ野球を切望していた野村氏を見かねて、野球部の顧問教師が、プロ野球球団に推薦状を手当り次第に送付。ただ一つの球団(南海ホークス)だけが返事をくれたことから、テスト生として入団したのです。

同期入団の選手は甲子園出場など、野球エリートばかり。テスト生で入団した選手は、通用するわけないと、次々に退団。野村氏は、何も成し遂げずに地元に帰るわけにはいかないと、必死に努力しました。

そこでも目が出ず、2軍のまま。解雇になりそうになると「電車に身投げして自殺する」と言って踏みとどまったり、本来のポジションではなく1塁手にコンバートされたり、それでもなんとか生存をかけて、2軍で努力を続けていました。

ようやくバッティングが2軍で通用するようになり、キャッチャーに戻してもらえたのですが、そこでようやく、彼にはプロのキャッチャーとして、致命的な欠点があることを、先輩選手から指摘されました。

ボールが真っ直ぐに投げられていない。

極貧でまともに野球を教えてもらう環境にいなかった野村選手は、ボールの正しい握り方を知らなかったのです。

ボールの握り方には理由があり、知っているかどうかで結果が大きく違う。この経験が、センス任せでは限界があるという気づきに繋がり、「考える」ことでパフォーマンスを高める、野村氏の哲学を生むことになりました。

逸話の多い野村氏。
私と同世代の人であれば、「野村スコープ」を覚えているかもしれませんね。ピッチャーがどこにどんな球を投げたかを表示し、次の配球を予測する。今も野球中継で見ますけれど、始めたのは野村さんです。

彼の解説はあまりにも的確で、試合チームのコーチが野村の解説をテレビで聞いて、バッターに次の配球をサインで知らせていたという話もあります。

つまり、選手としても、「次の球」を読んで、準備をして打っていたということです。選手として技術を磨く努力は当然のこと。さらに、頭を使って結果を残すことで、彼は頭角を現し、最終的には27年も現役を続けました。

解説者として配球の読みが冴え渡った

振り返れば、高校時代の顧問が推薦状を書いたのは、野村氏の身体能力が高かったからです。ところが、基本的なボールの握り方も知らずに野球をしていた。つまり、センス任せのプレーをしていたということですね。

そのままでは、彼が1軍に昇格し、定着することはなかったでしょう。

考えること、理論を踏まえることの大切さに気が付き、体を鍛えて、チャンスを待つことができたからこそ、選手としても監督しても、大輪の花を咲かせることができたのです。

ビジネスでも同じこと。自分のやり方だけに固執すれば、必ず盲点が生まれる。自分の得意なことしかやらなくなる。これは、スポーツで言うとセンス任せのプレーに似てるんじゃないでしょうか?

成長とは、盲点を可視化し、不可能を可能に変えることです。そのためには、意図的に時間を作り、先人の知恵を学ぶことが求められます。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
あなたの経営のヒントになれば幸いです。それではまた。


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