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「自分とおしゃべりする」のが好き。(2018年4月19日(木))

少し前のnoteに、「「相談をしてくださる方に5,000円お支払いし、30分相談を受ける」という「けんすうさん」のアイデアを、私もやってみたい」と書いてみたのですが、私の場合、その後、具体に何かが動くことはありませんでした。

これは、「実際に何をどのようにやるのか」という、具体的設計がなかったことに加え、私がどんな表情を見せ、どんな言葉を口にするのか、他の方に想像してもらえるものを持ち合わせていないからなのだと思います。

「私だったら、私に、何を相談するだろう」ということも考えてみたのですが、そもそも私自身が、誰かに何かを相談したいとは、あまり思わないタイプで、むしろ、自分で「解決」の「段取り」を組んで、パッとやってしまうのが大好きなタイプだということに気づき…。

さらに最近は、他の方に聞かれもしないことに口出しするのは、百害あって一利なしだと気づいたこともあって、自分の思いを口にする機会が激減。

結局、いつまでもいつまでも、自分とおしゃべりすることが、どんどん大好きになっているのです。

ただ、自分の中に抱える「危機感」のような思いの中に、「自分を外に開きたい」という気持ちが強くあって、どうしたものかなとも思っています。

そんな折、古賀史健さんが昨日アップされたnoteを読み、「私だったら、どんな「教科書」が欲しいだろう」「私が通いたい「学校」ってどんなものだろう」と考えて…

例えば、「自分はこういうテーマでこういう古典を読んでみたけれど、今の自分との、歴史や地理などの状況の違いが、こういう考えの差になって現れているみたい」とか、そんなレポートを見せあえるような、

しかも、そのレポートの表現方法を適切に添削してもらえるような、そんな場所が欲しいなぁと思いました。

「自分とのおしゃべりが好き」な私が外に開きうるとしたら、イメージとしては、そういう学校に学び、学んだことを報告することなんじゃないか。少なくとも、その入学準備をオープンスペースで進めていくべきなのではないか。

そんなとめどないおしゃべりを、自分と重ねています。

#エッセイ #好き #自分とおしゃべり