『ジョーカー』─無敵の人の作り方
映画感想をまとめたマガジンを作ったのです。
まだ私、noteがよくわかっていないんですが「カテゴリ分け」みたいな感覚で使っているわけです。
そのマガジンのサムネイル画像を、なぜか『ジョーカー』を見に行ったぶたぶたに。じゃあ、それも一応別ブログから転載せねば、と思いました。
核心には触れていませんが、ある程度ネタバレしています。
□『ジョーカー』"Joker" 2019(10/4公開)
富裕層と貧困層の格差が拡大するゴッサム・シティに住むアーサーは、母を介護しながら、大道芸人のピエロとして働いていた。生活は貧しく、発作的に笑い出す病気も抱えていたが、夢はスタンダップコメディアン。しかし、思うようにいかず、アーサーは次第に追い詰められていく。(監督:トッド・フィリップス 出演:ホアキン・フェニックス、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ、ロバート・デ・ニーロ、他)
見終わって真っ先に思ったのは、
「これは、『無敵の人の作り方』の映画ではないか」
でした。
無敵の人。それはすなわち、孤独で、失うものが何もなく、何をやっても何も得られず、誰からも顧みられない人。アーサーがまさに「最強の『無敵の人』」──ジョーカーになって、映画は終わる。スーパーな能力がなくてもバットマンの最強の敵になったのは、彼が「無敵の人」の頂点に君臨するからなんだ。「無敵」だもん、そりゃ無敵だよ。
アーサー、いいことが一つもない人です。「小さい頃、学校が嫌いだった」と本人が言っていたとおり、おそらくいじめられた幼少期なのでしょう。本人が忘れている部分もあるんだけど、そこでも悲惨な目に合っている。それでも母に言われた「世の中に笑いと喜びを届けて」という言葉をよすがに、ピエロとしてがんばっている。
しかし、家族は年老いて妄言をくり返す母だけ、親しい友だちも恋人もおらず、理不尽な暴力にさらされ、精神の病気も抱え、お金の心配ばかりする毎日。こんな毎日では、遅かれ早かれ壊れてしまうことは容易にわかるし、同じような状況の人は今、たくさんいるはず。
「それでも生きる」という唯一の選択肢を放棄すると、誰にも知られないまま一人で死ぬか、誰かに自分の存在を知らしめるために何かするか、しかない。一人でひたすら創作をするとか、そういう方に没頭して他に目もくれない人は全然幸せです。ただ「認められたい」という気持ちがある場合、「報われない」という悪夢が別にある。アーサーは、ロバート・デ・ニーロ扮する有名コメディアンみたいになりたいからいっしょうけんめいネタを作って、舞台にも上がるけど、全然受けないわけです。これはつらい。「努力をしても報われない」ことに追い詰められる気持ち、すごくよくわかる……。
そんなストレスを、どのように解消すればいいのかわからない「無敵の人」予備軍がどれだけいるのか──というのが、この映画、そして今のこの世の中です。映画の設定は1980年代初頭らしいですが、映画を覆う空気は今とほとんど変わらないし、昔を知っている私たち年寄りにはなつかしくても、何も知らない若い人は『未来世紀ブラジル』的なレトロフューチャー(いや、過去なんだけどね)として見られそう(そういえば、『未来世紀ブラジル』にもロバート・デ・ニーロ出てたね。しかもテロリストの役で)。
そんなアーサーに、思いも寄らない転機が訪れます。仕事帰りに地下鉄で絡まれた証券会社(のちのバットマン、ブルース・ウェインの父親が経営)の傲慢な社員たちをはずみで撃ち殺したことにより、富裕層への不満を募らせている貧困層の人たちから「ピエロ姿のビジランテ(私刑人)」と呼ばれるようになる。それを機によりどころを次々と奪われていくアーサーだが、落ち込むどころかこんなことを言い放つ。
「あいつらを殺したら、悩むと思ったんだけど、そうならなかった。スカッとしたんだ」
その気持ちには、見ている私もうなずいてしまう。しかし、
「犯罪者の弁護士が『こういうかわいそうな人だから』と言い訳を言っているみたいな映画」
と言った私の家族の言葉のどおり、一線を超えた人に対する過度な感情移入は危険な気がするし、行き過ぎた結果や期待がこの映画のラストに現れるわけで──いろいろな意味で瀬戸際に立つ人々に一線を超えさせる力がありそうな映画なのです。しかも悪い方へ。そういう瀬戸際の人がたくさんいるであろう野(今の世の中)にジョーカーを放つのはヤバい。やっぱり「無敵な人」なんていない方がいいんだから。
面白いし、文句なしの傑作だけれど、人にすすめられるかというと微妙だ。自分の気に入った映画を見た他の人が、「つまらない」とか「主人公に感情移入できない」という感想を持ったからといって、それはたいてい「その人には合わなかったから」としか思わないのですが、この『ジョーカー』ではそう思えなかった。
「アーサーの置かれた立場に一つもピンと来ないくらい、その人は幸せなんだ」
と感じたから。
とはいえ私は、見終わった時、そんなに落ち込んだりしませんでした。すごく覚悟して見た、というのもあるんだけど、「スカッとした」と言ったジョーカーに同調しちゃうような人間ですから。
ただそのカタルシスがフィクションの限界にも感じた。というより、現実との齟齬や乖離が、より現実の残酷さを浮き彫りにする、という感じかな……。現実は、こんな映画のような結末を用意してはくれないからね。
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