![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/133470824/rectangle_large_type_2_f3f0901be3f6a1548e9d410b7b81ac42.png?width=1200)
心のデフォルト
昨日また椿事が出来し(出来(しゅったい)という言葉は『半七捕物帳』で覚えた)、凹みもしたが淡々と処理していくうちになんだか楽しくなってきた。
めでたい。
がっくりしたのちに急に楽しく、ハイになることがあるのは、脳の働きなのでしょうかね。
自分を護るためなのかなぁ…… ふだんは出ない物質が出ている感じ。
そういう何かが前より出るようになって、生きやすくなってきた気がする。
それには、一つのキッカケがあった。
私は物心ついてから40代まで、気分転換が壊滅的に下手だった。トラブルや自己嫌悪で凹む事があると、数日低空飛行が続き、苦しんだ。よく高熱も出した。
そんな中、どの本か忘れたが、時代小説の主人公の科白に対して遣手婆さまが
「ほほほほほ、人生なんて辛いに決まっているじゃないか!」
と高笑いしていたのだ。この場面が強く胸に残った。
え、そうなの?
なーんだ、そうか、そうだったのか。
とても救われた気がした。
なぜ、自分がそう感じたか、考えてみた。すると、
「人生は、楽しいもの」
「生まれてきた以上、幸せであるべき」
という刷り込みがあることに気づいた。
自分がトラブルに遭ったり、沈んだ気持ちになると、なんだか自分があるべき姿から外れている無能力者のように感じ、必要以上にダメージを食らっていた気がする。
その刷り込みがどこから来ているかは、わからない。
親たちなのか、マスコミなのか……。私は、知らず知らずのうちに外部からのメッセージをしっかりと受け入れてしまっていたようだ。
そして、いつのまにか、自分の中に「こうあらねばならない」という存在を作り上げてしまっていた。その目に見えない相手と、いつも現実の自分とを比較してきたような気がする。
私は自分の中のこの亡霊のような比較対象の存在を消去することに決めた。
「ほほほほほ、人生なんて辛いに決まっているじゃないか!」
をデフォルトに設定し直した。
基本、つらいものなら、もう何が起きても仕方がない。ちょっとでも嬉しいことがあったらそれだけでもう幸せになれる。
基本、生きる事は楽しいもんではない、というマインドセットでいたほうが疲れない。少なくとも私は。
ささやかな喜びが起きると、とても嬉しい。両手で大切につつむようにしてその喜びを味わうことができる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?