感覚過敏短歌と父
最近、父が車のカーステレオを止めてくれます。以前は何度頼んでも「言わなければ止めない」という状態だったのに、最近は私が乗り込むとすぐに自発的に止めてくれるのです。
不思議だけどありがたいので、感謝を伝えながら乗りつつも「不思議だなあ、なんで急に」と思っていたのですが、ふと気づきました。
もしかしたら感覚過敏短歌のおかげかもしれない、と。
アート展を見に行ってくれた父
今年4月1日、世界自閉症啓発デー函館地域のアート展に短歌集を出品しました。展示期間中、私とは別の日程で母と父が見に行ってくれました。
出品した短歌の中には、
「自家用車 乗ればステレオ音の渦 止めてほしいと言えず耳栓」
という、車に乗るときの聴覚過敏のつらさを訴えた作品がありました。
それがきっかけだったかどうかは、正直なところ不明です。父は元々言葉少なな人ですし、私も感想を求めたりはしないので、父が展示をどう思ったのかは不明なのです。
ですが、今年の春先ごろから、父はカーステレオを自発的に止めてくれるようになりました。
短歌の強さ
これまでに父の車に乗るたび、何度も何度も「ステレオ止めてほしい」と言いました。「音を下げるだけでなく止めてほしい」と。
ですが父はカーステレオをつけている状態が好きで、家にいるときもずっとテレビかラジオをつけている人なので、カーステレオをつけて運転していたいんだろうなと思う部分もありました。
なので、私もできれば「止めて」と頼みたくなかったのです。そのため耳栓やイヤーマフで耐えられれば耐えるようにして、どうしても耐えられないときだけ「止めて」と頼むようにしていました。
それが悪かったのか、言わなければ止めてもらえない状態が12年以上続いていました。
父が自発的にカーステレオを止めてくれるようになったのが、短歌のおかげなのかどうかははっきりしませんが、私は短歌の効果だったのではないかと思います。
面と向かって伝えても伝わらないことが、短歌で伝わるのかもしれません。
最近はあまり短歌を作れていないのですが、また少しずつ作っていきたいと思います。
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