「自閉スペクトラム症」という本能
自閉スペクトラム症の障害特性というのは、「意識ではどうしようもなく、どう心がけようとも自動的に働く本能のようなものだ」と最近改めて感じている。柔軟な考えを持ちたいと思っても、柔軟に生きたいと思っても、本能的に体や脳が拒絶するのだ。
生活時間の厳密さ
我が家では食事の時刻が決まっている。朝は7時半、昼は12時半(出勤日は12時)、夜は19時半。「5分ならば前後してもよい」「遅れるときは必ず言う」というルールも付随している。そのルールを守るため、私は時刻までに用事を切り上げて食卓に向かい、家族は時刻までに食事を用意する。そんなルールが決まることになったのも、食事の時刻が変動すると私がパニックを起こすからだ。
一時期、食事の時刻を可変にしていたことがある。その頃、若干体調が悪かったときに母に「今日はご飯何時にする?」と聞かれた瞬間、私はパニックを起こした。なぜパニックになったのかは、自分でもよくわからない。しかし、その後「体調が悪いときのパニックの機会を減らすため」と食事の時刻を固定することになった。我が家では食後の薬を飲む者が多いため、食事の時刻が定まっていることは理想的なことである。なお、この食事時刻は、休日でも変わらない。
私の就寝時刻は、日によるが概ね22時〜23時ごろだ。あまりにも寝付けなかったときには0時を越してしまうことがあるが、そうすると翌日は明らかに体調が悪くなる。起床時刻が7時で固定されており、何曜日でも変わらないから、寝るのが遅くなると確実に寝不足になるのだ。起床時刻は仕事の有無にもよらない。「休みだから」と朝ゆっくり寝ることで、かえって体調は悪くなる。「毎日同じリズム」が理想なのだ。
向いている職、向かない職
最近は自分の適職もわかってきた。データ入力や書類のチェックのような、誰から見ても意見の変わらない絶対的な正解があるものだ。同一のものを多数作る、同じ作業を繰り返すなどの単純作業の類も向いていると思う。「向いている」というのは単に楽しいかどうかではなく「職業としてできる」、つまり「健康を維持しながら、長期的に、求められる品質のものを作り続けられる」という意味である。
データ入力といっても様々な内容があるが、画像を扱うもの、たとえば「写真の中から指定の要素を見つけ出し入力する」というようなものは困難さが強い。私にとって曖昧すぎるのかもしれない。名簿などの入力はおそらく可能であろうと思う。
向いていない仕事は「正解のない仕事」だ。創作に関わる仕事(文筆業や芸術家、映像制作など)、料理人、サービス業などがそれに当たると考える。一時的にならこなせることもあるのだが、苦手意識が強く、健康を保ちながら職業として取り組むことはまず無理だろうと考え始めた。
料理人に関しては、下働きとして決まった味を作るのならばもしかしたらできるかもしれない。しかし自分が主導するのは絶対に無理だと断言できる。何故なら「美味しい料理」は人によって違うからだ。パンひとつとっても、人の好みはそれぞれ違い、美味しいと感じるパンは人それぞれ全く違う。その上、飲食店では日によって注文されるメニューが違う。「レトルト食材や缶詰などを作る工場」なら、勤められる可能性があるかもしれない。
文筆業も同じで、「良いと感じる文章」は人それぞれ全く違う。ある人は私の文章を「過不足がない」と評するが(言い過ぎも言い足りなさもないということらしい)、別の人は「くどくて読みづらい」と言う。小説家の好みだって人それぞれ違うし、好きな小説家でも好みでない作品を書いていたりもするだろう。あるいは他の創作(絵や映像、ゲームなど)も同様の理由で困難だろうと思う。趣味としてならその限りではないが。
文筆業は向いていると言われることがたまにある。何かしらのモチベーションがあれば可能なのではないかと考えたことはある。しかし、仕事として依頼されて頑張って書いた末に仕上がったものを褒められても、疑問符が浮かんでしまう。「これはいいのか……」と首を傾げながら他人事のように感想を聞いている自分がいる。自分が納得いくものを提出しているはずなのに、それを評価されてもピンとこないというのが、生きていて悩ましい点である。そこを喜べて意欲を持てたら、もっと楽に生きられるだろうと思うのに、なぜか関心が向かないのである。
学生時代には「研究者向きだ」と言われたことがある。しかし大学院では研究に必要なスケジュール管理能力や、自分で目標を立ててそこまで進む力などが欠けており、修了できなかった。
「こういう仕事ができそう」と言われても、その仕事を達成するのに必要な能力の一部は満たしていても、他の部分の能力が足りず足を引っ張るということもたびたび起こる。その結果、どうにか達成はできても困難さが強すぎて「二度とやりたくない」という感想になったり、仕事を続けるための体調維持ができなくなってしまったりする。
コンビニで昼食を買うことすらしんどい
職場に弁当を持って行く必要があったとき、最初の数回はコンビニで買った。しかし、コンビニで売れ残っている商品は日によって違う。私の出勤時間帯は昼食ラッシュの後だったので余計である。「おにぎりを買う」と決めていても選ぶのが困難で、昼食を買おうとする時間が非常に苦痛であり、選んでレジまで持っていくのに時間がかなりかかった。「おにぎり」「120円以下」と決めていても選ぶことが苦痛すぎて、とうとう自力でお弁当を用意することにした。そうしたら精神的な負担は激減した。お弁当を用意する手間より、コンビニでおにぎりを選び取る苦痛のほうが大きかったのだ。なお、母親には「買うおにぎりを第3候補まで決めていけば?」と提案されたが、もしどれも駄目だったときには今より重いパニックになると言って断固断った。
もう少し自分に柔軟性がほしい。しかし私の中の自閉スペクトラム症がそれを許してくれない。障害特性は理性で制御できない。自分の障害が他人だけでなく自分も苦しめる。だからこそ障害なのだろう。
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